子どもに多く、妊婦がかかると流産・死産の原因になるリンゴ病。しかし、ワクチンはなく、母親から胎児への感染の予防法も確立されていません。保育園で流行すると、自分に免疫があるかどうかわからない妊婦は不安を抱え、きょうだいを自宅保育に切り替えるかどうかも悩むことになります。ある日、当事者の夫になった記者が、専門家への取材を交え、経緯を振り返ります。(朝日新聞デジタル企画報道部・朽木誠一郎)
両頬が赤くなるリンゴ病(伝染性紅斑)。ヒトパルボウイルスB19が原因で、4~5年周期で流行し、最後の全国的な流行は2019年。今年9月には、神奈川県川崎市が6年ぶりとなる流行発生警報を発令し、医師も「手洗い・うがい、感染者との接触をなくす」といった感染対策への注意を呼びかけています。
そんなリンゴ病が、今夏、2歳の我が子の通う保育園でも局所的に流行していました。リンゴ病は子どもでは自然によくなることが多い病気であり、厚生労働省の『保育所における感染症対策ガイドライン』でも、保育園の出席停止は求められていません。
しかし、我が家にとって深刻な問題だったのは、「妊婦がリンゴ病に感染すると流産・死産の原因になる」ということでした。
妻は妊娠中で、その頃は安定期(一般的に16週から)に入る前でした。妻が流行を知ったのは、上の子を迎えに保育園を訪れ、掲示板に「【妊婦さんは注意】リンゴ病が発生しています」と書かれているのを見かけたときのことだそうです。
医療従事者である妻ですが、仕事で担当する分野は産婦人科ではないため、妊婦のリンゴ病感染のリスクは「学生時代に習ったような、習っていないような」というくらい。あらためて調べ直して、母体を経由して胎児が感染した場合のリスクに驚いたと言います。
妊婦が子どもの頃にリンゴ病に感染して免疫(抗体)があれば、そもそも感染しないので、胎児への感染もありません。しかし、日本の成人の抗体保有率は20~50%といわれています。
妻にはかかった記憶がなく、すぐに母に連絡。しかし、きょうだいの看病をしたエピソードは覚えていたものの、妻が感染したかどうかは覚えていなかったそう。
ただでさえ精神的に不安定になりやすい妊娠中のこと。妻は「もしお腹の子に何かあったらどうしよう」「子どものころにかかっておけばよかった」と自分を責める気持ちになったと、後で打ち明けてくれました。
妻から報告を聞き、まず専門家に話を聞こうと、妊婦検診を受けている、かかりつけの病院の産婦人科に電話。担当の看護師さんが親身に相談に乗ってくれて、妻の抗体を調べることになりました。
IgM抗体では最近の感染の有無が、IgG抗体では過去の感染の有無(現在の免疫の有無)がわかります。
悩ましかったのは、抗体の検査をして、結果が出るまでの約1週間、リンゴ病が流行している保育園に子どもを通わせるかどうかでした。
リンゴ病は、頬が赤くなる前がもっとも他の人への感染力が高く、頬が赤くなる=リンゴ病が疑われるころには、感染力を失っていることがわかっています。潜伏期間が10~20日と長いのも特徴的です。
つまり、保育園でがっつり他の子と接触している上の子は、「すでにリンゴ病に感染していて発症する前の状態」「症状が出ないが感染している状態」「まだ感染していない状態」のいずれかの可能性がありました。
リンゴ病に特別な予防法や治療法はないので、妻に抗体があるか判明するまで、できることは「感染者と妊婦(妻)の接触を減らすこと」「妻がよく手を洗う、うがいする、マスクをすること」しかありません。
もちろん、上の子の体調が悪ければ保育園を休ませますが、その時点で大変に元気だったので、どこまで大事を取って休ませるか、というのは微妙な問題でした。上の子の健康が最優先ですが、自宅保育の場合、夫婦のどちらかが急に仕事を休むことになるのは、現実的には頭の痛いことです。
医学的には、学校の流行では感染者と同じクラスの生徒の10~60%が感染するとされます。感染しても症状が出ない状態は、小さな子どもでは1~2割とされます。こうした数字だけみても、上の子はもうかかっているかもしれないし、かかっていないかもしれないとしか言えません。
そうなると、「大事を取って……」という方針になりがちです。保育園からも、注意喚起とともに「妊婦さんが家にいる場合、流行中は上の子の自宅保育を」と勧められました。
しかし、その場合はいつまで自宅保育にすればいいのか「終わりが見えない」という問題もあります。もし、検査で妻に免疫がないことがわかれば、保育園で流行している間は、ずっと自宅保育が望ましい、ということになるからです。
結局、ひとまず抗体検査の結果が出るまで自宅保育にし、結果と上の子がその時点で症状が出ているかどうかを踏まえて、あらためてその後の方針を決定することになりました。
先行きが不透明なまま、夫婦交代で仕事を休み、いたって元気な上の子を自宅保育するというのは、親側の精神的負担も大きい期間でした。
検査結果は、幸いなことに、IgM陰性、IgG陽性。過去にパルボウイルスB19に感染しており、現在は感染していないであろうことがわかりました。症状が出なかった上の子の登園も再開させ、安心して仕事に復帰できました。妻とは「とにかくホッとしたね」と言い合いました。
感染が疑われる妊婦に対しては、IgM抗体の検査のみ保険適用で、IgG抗体の検査は自費になります。かかった金額は3000~4000円でした。
妻は「こういう思いをしないように、妊娠時の検査にリンゴ病の免疫の有無がわかるものを入れておいてほしかった」「片方が保険適用で、片方が自費というのもわかりにくい」とぼやいていました。
妊婦のリンゴ病感染に詳しい元神戸大学医学部産科婦人科学分野教授で医師の山田秀人さんに話を聞きました。
2013年に発表された厚生労働省のリンゴ病の全国調査で主任研究長を務め、現在は手稲渓仁会病院・不育症センター長を務めています。
大人になってからかかると重症化することが多い病気は、「小さいころにかかっておいた方がいい」と言われることがあります。リンゴ病について、山田さんは子どももまれに重症化することもあるため、「かかっておいた方がいい」とは言えないとします。
その上で「現状、ワクチンや胎児への感染の予防法がないので、そのように母親が感じてしまうことはよく理解できる」とし、「だからこそ一般的な感染対策が大事」だと強調します。
「感染者の咳やくしゃみを吸い込まないようにマスクをすること、感染者と食器などを共有しないこと、子どもにキスをしないこと、よく手を洗うことやこまめにうがいをすることが感染予防になります」
山田さんによると、リンゴ病は「初感染妊婦のうち6%が胎児死亡になり、4%に胎児水腫(胎児の胸や腹に水が溜まったり、全身に浮腫を来たす重い病気)が起きるという報告」があるとのこと。「リンゴ病は他の病気と比べて、流産・死産の原因になることがあまり知られていない」と警戒を呼びかけます。
「教育・啓発により流産・死産のリスクを減らすことができるので、ぜひより広く知られてほしい」と訴えていました。
リンゴ病という病名自体は、聞いたことがある人も多いであろう、ありふれたものです。しかし、立場が変わるとそのリスクも大きく変わるというのは、社会の中で違う立場の人を思いやる上でも、ハッとする経験でした。