紫式部が主人公の大河ドラマ「光る君へ」。最新回では『源氏物語』が33帖まで書き進められ、彰子さまが命じて紫式部はじめ女房たちが写本をつくるようすが描かれました。そもそも『源氏物語』の主人公「光源氏」にモデルはいたのでしょうか。平安文学を愛する編集者・たらればさんに聞きました。(withnews編集部・水野梓)
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withnews編集長・水野梓:最新回の第37回「波紋」では、まひろ(吉高由里子さん)が『源氏物語』を33帖まで書き進め、『紫式部日記』にある写本づくりのようすも描かれましたね…!
こちらは、たらればさんがいつも「最古の同人誌づくり」とおっしゃっているところ……。胸にしみました…!
たらればさん:中宮彰子さまがガチで写本依頼と製本を手伝っていましたね…!思っていた以上に「最古の同人誌づくり」描写でした…!
そして驚いたのが、この当時最高権威の能書家のひとり・藤原行成が『源氏物語』の清書を手伝った説をとっていたところでした。
つまり…この世のどこかに行成筆の『源氏物語』が存在する可能性が……!
この描写が史実でありえたとしたら、(行成の書は貴重なので)「とっておいた人がいた」という可能性が少しだけ上がります。
水野:どこかで厳重に保管されていて、見つかってほしい…!
ドラマでは、道長と倫子が紙や筆を差し入れていましたね。道長との仲が疑われているまひろは気まずそうでした。
たらればさん:同人誌づくりの最中の修羅場に、道長が彰子さまへ差し入れた上等な紙や筆や硯や墨を、彰子さまが速攻で紫式部へ渡してしまうシーンが『紫式部日記』にあります。
水野:わ!実際にそういう描写があるんですね!!紫式部が中宮さまから愛されているのが伝わります…。
水野:そもそも『源氏物語』の主人公・光源氏ですが、このキャラクターにはモデルがいたんでしょうか?
「光る君へ」ドラマ内でも、源俊賢(本田大輔さん)が「父の高明を思い出した」と言ったり、藤原斉信(金田哲さん)が「俺のことじゃないか」と言ったりしていましたよね。
たらればさん:『源氏物語』光源氏のモデルは誰か、実在するのか、という考察や研究は、この作品が広まった直後から現代までたくさんあります。みんな気になるんでしょうね。
水野:やっぱりそうなんですね。
紫式部の邸宅跡とされる京都市の廬山寺。『源氏物語』の「若紫」の巻の絵をあしらった特別な御朱印もありました 出典: 水野梓撮影
たらればさん:ご存じの通り、『源氏物語』は最初に「いづれの御時にか」から始まります。
これは時代設定を特定せずに「いつの頃のお話でしょうか」とボカしているわけで、この「いづれ」がどの御代だったかで、冒頭から多くの読者や研究者を惹きつけるわけです。
そのうえで、『源氏物語』ができてから350年ほど後に出た注釈書『河海抄』では、「これは醍醐天皇の時代ではないか」といわれています。
醍醐天皇の御代は、紫式部たちの時代よりも50年ぐらい前のことですね。「聖代」と言われ「古今和歌集」が編纂されるなど文芸が盛んだった時代ですが、皇統が混乱した時代でもありました。
水野:天皇の子どもの光源氏も、母親の身分が低く、帝になるのではなく臣籍にくだった設定なので、いろいろモデルが想像されそうですね。
たらればさん:そうです。まず「舞台のモデルは醍醐天皇の時代」という説があり、その醍醐天皇の第十皇子であり、臣籍降下して「源」の姓を与えられたのが、前述の(俊賢と明子の父である)源高明なんですね。
水野:天皇の子から臣籍になった不遇さを考えると、光源氏っぽさがありますよね。
たらればさん:高明は、歌がうまくて賢く美男子だったといわれています。それに加えて、政変に巻き込まれて太宰府に飛ばされてしまうんです。
水野:大河ドラマ「光る君へ」では高明の娘の明子さまが、道長と結婚した当初、父の不遇を恨んで、道長の父・兼家(段田安則さん)を呪い殺そうとしていましたもんね……。
たらればさん:この政変(「安和の変」)は兼家が主犯というわけではないんですけど、藤原一族が父の不遇の原因なので恨んでいる、ということですね。
『源氏物語』の光源氏も須磨に流されますから、それも踏まえて、高明は有力なモデルのひとりであると言われています。
水野:複数のモデルがいるということは、二人目は?
たらればさん:高明よりも100年ぐらい前の人で、源融(とおる)という人がいます。この人もお父さんが天皇です。
六条河原院という大きなお屋敷を建てて住んだ人ですが、河原左大臣とも呼ばれて百人一首にも出てきます。
<陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰ゆえに 乱れそめにし われならなくに>
水野:この源融さんは、京都・嵐山に別荘があったんですよね。再建された清涼寺、わたしも訪ねてきました。
5月ぐらいに訪れたら、源融に顔を似せたとされている阿弥陀如来像がちょうど公開されていました。たしかにキリリとしたお顔でした……!
10,11月も公開予定のはずなので、ぜひお近くの方はお顔を見にいってみてください。
たらればさん:そうでしたか(笑)。
2019年、新たに見つかった源氏物語「若紫」の写本「定家本」の冒頭部分。大ニュースになりました 出典: 朝日新聞、2019年10月、京都市上京区、佐藤慈子撮影
水野:この美男子だというあたりが光源氏のモデルということなんでしょうか?
たらればさん:なかなか説明が難しいのですが、このあたりも皇統が乱れた時代だったんですね。
順調な天皇の序列ではない時代に、「源氏」だったのが融や高明でした。「この皇位継承って怪しくない?」というときに、源氏だったことが、光源氏と境遇が似ているということですね。
皇統が乱れる時代を『源氏物語』のニュアンスとして盛り込んでいるのではないか、といわれています。
水野:なるほど。
たらればさん:天皇家の皇位継承は順風満帆ではなく、それぞれの時代なりに策謀がうずまいていて、波瀾万丈で、そのそばにはずっと藤原氏がいるわけです。藤原氏が至る所で暗躍するわけですが、『源氏物語』もそれを反映させているわけですね。
さらに言えば、源氏物語って権力論でもあり恋愛論でもあり人生論、宗教論、秩序論でもあるわけです。それが1000年の歴史のなかで読み継がれ、それぞれの時代で「これは今の時代に合っている」と言われ続けてきたわけで、やっぱり「日本を代表する文学作品だよな」とは思いますね。
水野:そして有力なモデルとしてもう一人挙げるとなると……。
たらればさん:やっぱり道長(柄本佑さん)でしょうね。
水野:道長かーーー。
たらればさん:光源氏と藤原道長、違うところはたくさんあるんですよ。道長はめちゃくちゃ子だくさんだとか(光源氏の実子は3人のみ)、そもそも道長は(源氏でなく)藤原北家の人間であるとか。
たらればさん:ただ、「光る君へ」だと道長は恋に一途な人だと思われてるかもしれませんが、史実の道長はそうとう「太いやつ」ですからね。倫子さまの姪っ子にも手を出したりとか。
水野:そうでしたね(笑)。たらればさん、ドラマが始まるまでは道長のことあまり好きじゃなかったんですもんね(笑)。
たらればさん:え、いや、あの、まあ、好きとか嫌いももちろんあるんですが(あるんですが!)、その前に、そもそもの話として「光る君へ」が放映される以前は「藤原道長といえば、巨大な権力を持ち、それを自分と自分の一族のために全力で行使したふてぶてしい人物だ」というイメージを、多くの人が持っていると思います(笑)。
水野:先ほど話がありましたが、光源氏は『源氏物語』ではちょっと自業自得な理由で須磨に流されますよね。
たらればさん:兄(朱雀帝)の婚約者(朧月夜)と密会を重ねていたわけですからね。
そして須磨から京へ戻ってくるのは「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」ってやつですね。やっぱり貴い人は1回くらい遠くへ流されて大変な思いをして、さらにパワーアップして戻ってくるものなんですねえ。
水野:そうなのか~!たしかにマンガのヒーローでも、一度どこか遠くで不遇を味わって、そこで成長して戻ってくる……みたいな描かれ方をしますよね。
紫式部が源氏物語の着想を得たという「石山寺」の紫式部像=滋賀県大津市 出典: 水野梓撮影
水野:リスナーさんからは「光源氏のモデルとして道長の父・兼家という説もありますね」といただきました。兼家も一度不遇の身に置かれていた、ということですね。
たらればさん:お兄さん(兼通)との関係が悪くて政治的に一時期冷遇されますから、確かにそうですね。
水野:『源氏物語』にはたくさんの姫君たちも出てきますよね。これにもモデルがあるんでしょうか?
たらればさん:いるんでしょうけど、女性はなかなか記録が残っていないということがありますね。
桐壺帝と桐壺更衣は、一条帝と定子さまがモデルである…という説があるにはありますが、『いま読む「源氏物語」』(山本淳子、角田光代著)という本で、山本淳子先生が「桐壺更衣≒中宮定子説は1990年代まで研究者の間でも出てきたことがなかった、まさか(執筆当時の)今上天皇をモデルにするとは思われなかったのではないか」と言われています。
水野:最新回のドラマでは道長が、まひろに「次の東宮が敦成親王(彰子さまが産んだ皇子)」って言ってましたね。定子さまの皇子はどうするのか……まひろの表情が曇ってましたよね……。
そんな道長ですが、どんなところが『源氏物語』に反映されているのでしょうか?
たらればさん:女性の口説き方とか、(特に若い頃の)自信満々な性格でしょうね。
以前も申し上げましたが、中級貴族の紫式部は、最上級貴族の男性がどんな風に女性を口説くのか、それに最上級貴族の女性がどう答えるのか、知りようがありません。だから、道長に取材して、その所作などを源氏物語に反映しているはずなんですね。
水野:そう考えながら読むと、ちょっと読んだときの印象が変わるかもしれませんね。