連載
「ママ大好き」最後の言葉 〝使われなかったAED〟教訓に救命教育
小学生からできることもあります
子どもから大人まで、当たり前に救命処置ができる社会にしたいーー。13年前、小学校の運動中の事故で、尊い命が失われました。事故の教訓を、少しでも多くの命を救うために生かしたいと、遺族や教育関係者、医療者が手を取り合い、救命教育の輪を広げています。その軌跡をたどりました。
「駅伝がんばるね」「ママ、大好き」
2011年9月29日の朝、さいたま市の小学6年生だった桐田明日香さん(当時11)は、母親の寿子(ひさこ)さん(53)に投げキスをして登校していきました。
その日は駅伝のメンバーを決める選考会。午後4時過ぎ、1000mを走りきった直後に明日香さんは突然、校庭で倒れました。
教師らが駆け寄って担架で保健室に運びましたが、大きく息を吸うような動きがあったため意識も呼吸もあると判断し、胸骨圧迫(心臓マッサージ)などの心肺蘇生はしていなかったといいます。保健室にはAED(自動体外式除細動器)もありましたが、使われませんでした。
救急隊が到着したのは倒れてから11分後。すでに明日香さんは心臓が止まっている状態で、すぐに心肺蘇生が施され、病院に運ばれました。
寿子さんと父親の康需(やすひと)さん(58)、弟の真(しん)さん(18)がICU(集中治療室)で面会できたのは午後7時30分を回った頃。複数の管をつながれて全身がむくみ、朝見送った明日香さんとは別人のようだったといいます。
翌30日の夜、明日香さんは家族が見守るなか、静かに息を引き取りました。
「明日香は、何を願うのかな?」
亡くなった日の夜、桐田さん夫妻は話し合いました。学校の対応や説明に疑問はあったものの、二度と同じ事故が起こらないように「大切なお友達を守りたいと思うのでは」と再発防止への願いにたどり着きました。
事故から2カ月後、当時の市の教育長・桐淵博さん(71)との対話をきっかけに、再発防止へ向けて遺族と市教委の連携が始まりました。
明日香さんが亡くなって1年後の2012年9月30日、市教委や遺族、医師、有識者らによって体育活動時の事故対応テキスト、通称「ASUKAモデル」が作られました。
事故についての検証では、教師たちが「呼吸あり」と判断した背景に「死戦期呼吸」についての知識が不足していたことなどが挙げられていました。「死戦期呼吸」とは、心停止後に起こる、あえぐような呼吸のことです。
「ASUKAモデル」には、心停止の場合に「死戦期呼吸」やけいれんが起こること、意識や呼吸があるか分からないときはすぐに119番通報をして胸骨圧迫を始め、AEDを使うことなどが盛り込まれました。
寿子さんや桐淵さんは事故の教訓を各地で講演し、ASUKAモデルも全国の教育現場に伝わりました。
講演や救命講習で明日香さんのことを知った人のなかには、実際に「AEDを取りに走った」「心肺蘇生をした」という人もいるそうです。子どもたちが救命を手助けしたケースもありました。
寿子さんは「数年前、講演終わりに『僕、ASUKAモデルのおかげで助かったんです』と声をかけてくれた人もいました」と振り返ります。
「胸骨圧迫をされたときの痛みが少し残っているけど、『これが自分が生きている証』という言葉を聞いて涙が出ました」
9月30日は明日香さんの「命日」であるとともに、多くの命を救うASUKAモデルの誕生日「命の日」と考えるようにもなりました。
「命を守る取り組みが続いていく限り、明日香はみなさまの心の中に生き続けていくのだと思います」
さいたま市教委は、毎年9月30日を「明日(あす)も進む いのちの日」に制定し、AEDの一斉点検や場所の確認を続けています。
2004年に医療者ではない一般の人も使えるようになったAED。現在、全国の街中に推計で69万台が設置されています。
市民がAEDを使って救った命は、解禁翌年2005年の年間12人から、2022年は618人と大幅に増加。累計約8000人となりました。
総務省消防庁によると、2022年、誰かの目の前で突然心臓が止まり、倒れた人は約2万9000人。1カ月後に社会復帰できた人は、蘇生を受けないと3.3%でしたが、受けた場合は8.8%、AEDの電気ショックが使われた場合は42.6%でした。
しかし、目撃された心停止のうち、実際に電気ショックが施されたのは約1200人で、わずか4.3%にとどまっています。
心臓突然死の約70%は自宅で起きているほか、いざというときにAEDの場所が分からない、とっさの救命処置ができないといった理由が考えられるそうです。
心臓が止まった場合、AEDによる電気ショックが1分遅れるごとに救命率は約10%ずつ低下します。119番通報をしても、すぐに救急車が来るとは限りません。2022年現在、救急車の到着時間は全国平均で10.3分。居合わせた市民による救命処置が命を救うカギとなります。
一方、多くの学校現場には救命に必要な「目撃者・協力者・AED」がそろっています。文部科学省の2021年度の調査によると、AEDを設置している学校は95%に達しました。
日本学校保健会の調査によると、2012~2016年度に小学生32人、中学生 54人、高校生61人がAEDによる電気ショックを受け、そのうち小学生は70%以上、中高生でも60%以上が後遺症を残すことなく復帰したそうです。
心臓病を指摘されていた児童生徒の割合は30%程度で、持病がなくてもリスクはあります。運動中に起こることが多く、救急体制の整備が重要になってきます。
AEDの普及に取り組む日本AED財団などは「すべての国民がAEDを使え、救命処置が当たり前になる社会」をめざし、子どもの頃から救命教育を採り入れるよう提言を進めてきました。
現在、救命教育は中学・高校の学習指導要領に盛り込まれていますが、今年9月上旬、文部科学省へ小学校の学習指導要領にも導入するよう求めました。
AED財団専務理事で京都大の石見拓教授(蘇生科学)は、「国際的にも、できるだけ若いうちから救命教育をすることが推奨されている」と指摘します。
「119番通報やAEDが大切だということは4歳から理解でき、胸骨圧迫とAEDは10歳以上で十分できるため、義務教育で教えていこうという提言が国際蘇生連絡委員会から出されています」
AED財団の理事でもある元さいたま市教育長の桐淵さんは、「小学生には負担なのではないかという先生もいると思いますが、子ども1人にやらせるのではなく、大人も子どももみんなでやろうと教えてほしいのです。人を助ける行為を通じて命の大切さを学び、みんなが救命処置をできるように」と呼びかけます。
「人が倒れたときにどうすればよいか、大人も子どももみんなが知っている学校であれば、先生たちも安心して働くことができます」
提言の場に同席した寿子さんは、「誰かが倒れたとき、大声で助けを呼んだり、AEDを取りに行ったり、小学生にもできることがあります。小学生からくり返し救命教育を受けることで、救える命を救える安全な学校、安全な社会ができる」と期待を込めました。
明日香さんの事故から13年。さいたま市では、当時を知る管理職の多くは定年退職を迎えました。ASUKAモデルは浸透したものの、寿子さんは「慣れ」を懸念します。
「事故の風化が始まっているのも現状です。やけどをしたら冷やすように、人が倒れたら声をかける。そして、意識と呼吸があるかないか分からない、判断に迷ったときは、胸骨圧迫とAEDを『当たり前』にする。この私たちの想いを次の世代に伝えていきたいですし、明日香も応援してくれると思います」
※この記事はwithnewsとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
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