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「タカ、生きろ!」高校野球、試合中に心肺停止 AEDに救われた命
あれから17年。男性はいま、警備会社の社員としてAEDの普及活動に力を入れています
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あれから17年。男性はいま、警備会社の社員としてAEDの普及活動に力を入れています
「設置されていて当たり前」の存在になったAED(自動体外式除細動器)。医療従事者ではない一般市民が使えるようになって、20年が経ちました。これまでに市民がAEDを使って救った命は8000人を超えます。
高校2年生の春、野球の試合中に強い打球を胸に受けて心肺停止になった男性は、周囲の救命処置などによって一命を取り留めました。
「がんばれ! 生きろ!」。当時、救命に使われたAEDには録音機能があり、緊迫した様子が収められていました。男性はいま、警備会社の社員として、AEDの普及活動に力を入れています。
2007年4月30日、高校野球の春季大阪大会。当時、飛翔館高校(現・近畿大学泉州高校)2年生の上野貴寛(たかひろ)さん(33)=大阪市在住=は、投手としてグラウンドに立っていました。
記憶が残っているのは、3回表まで。対戦校の打者の強烈なライナーを左胸に受け、ボールを追いかけようと2、3歩足を進めたところで意識を失いました。
ふらつき、「ドスン」という音とともに仰向けに倒れ込んだ上野さん。
観客席で応援していた母親の愛美さん(58)は「痛そうだな」と心配になったものの、「スポーツでケガをすることはあるから」と見守っていました。
しかし、上野さんはなかなか立ち上がりません。
審判や監督が駆け寄って異変に気づき、「親御さんはいらっしゃいますか?」と呼びかけました。愛美さんは「そこで初めて、大変なことが起きていると認識した」といいます。
救急車が来るまでの間、監督が胸骨圧迫(心臓マッサージ)、父親が人工呼吸を続けました。
たまたま観戦に来ていた地元消防署の救急救命士が、学校のロビーに設置されていたAEDで救命処置をしました。AEDはその1年前に卒業生から寄贈されたものだったといいます。
「ウエノォーーー!」「タカ、タカ!」「起きてくれよ!」「がんばれ!」「生きろ!」
家族や監督、チームメイトが必死に叫び続けました。
その騒然とした様子は、AEDに記録されています。
AEDは、素肌に電極パッドを貼ると心電図を測り、電気ショックが必要かどうか自動で判断してくれます。
上野さんにパッドが貼られ、「ショックが必要です」「ボタンを押してください」などとガイダンスが流れましたが、泣き叫ぶ声にかき消されて聞き取ることができない状況でした。
1度、電気ショックのタイミングを逃してしまいましたが、2度目の解析で実行しました。
AEDは初回の心電図自動診断、充電、ショック指示のあと、一定時間が過ぎると放電し、次の指示は2分後に行われるように設計されているそうです。
電気ショックを与えられ、呼吸が戻った上野さん。AEDの音声には「生きてます!」という救急救命士の声も残っていました。
上野さんが意識を取り戻したのは、病院に搬送される救急車の中でした。「苦しくて血を吐きました。でもそのときの記憶もあいまいで、『救急車の中や……』『苦しい』と思ったくらいでした」
数時間後には話をできる状態となり、「腹減った」と話していたそうです。
10日ほどで退院し、後遺症はなく、1週間後には部活に復帰できたといいます。
AEDの音声は退院後に自宅で聞き、涙しました。
「言葉が出ませんでした。僕自身は記憶がないので、何があったか分からない。みんなめっちゃ泣いてるやん、って」
「自分としてはたいしたことではないと思っていましたが、想像をはるかに超える壮絶なものであったことが分かりました」
あとから確認したところ、電気ショックを与えられたのは倒れてから8分半後だったといいます。
心臓が止まってしまった場合、1分経つごとに救命率は約10%ずつ低下すると言われています。居合わせた人によって心臓マッサージを続けられることで救命率は約2倍、さらにAEDの使用で約2倍になるそうです。
いま、上野さんは綜合警備保障(ALSOK)の営業担当として働いています。「僕を救ってくれたAEDを販売していた会社です。AEDを普及していきたい気持ちがあり、いまの会社に決めました」
自身もAEDの販売や操作説明、一次救命講習会に携わります。
そのとき、「実は僕、AEDを使ってもらって助かったんです」と話すそうです。
「経験者の僕だからこそ伝えられることがある」と考え、AEDの設置を多くの人に呼びかけます。
「AEDは耐用年数が6~8年で、置いていても使うことがないケースもあるかもしれません。しかし、社会貢献として考えてほしいと思います。身近な人に起きたらと想像して、いざというときのために導入してほしいです」
今回AEDで救われたのは、上野さんだけではありませんでした。
上野さんが入院していた当時、病室に対戦校の監督や打席に立っていた選手、主将がお見舞いに来て「すみませんでした」と謝罪したそうです。
しかし、上野さんは「悪意があってのことではありませんし、スポーツ中のことなので謝罪はやめてください」と伝えたといいます。「僕らはそこで棄権したので、次の試合も頑張ってくださいと話しました」
上野さんは、そのとき監督から「君が助かってくれて、この子(打者)も救われた。野球を続けていける」と言われたことが印象に残っているそうです。
日本AED財団の三田村秀雄理事長は「AEDは倒れた人の命を救うだけではありません」と話します。
「上野さんのケースでは、打者の人生も救ったことになります。打者に非がないことは明らかですが、上野さんが死亡するようなことがあればとてもつらいですし、悔いのようなものが一生残るかもしれません。もう二度と野球ができなくなってしまったかもしれません」
「AEDによって本人や家族、友人たちの悲しみが避けられただけでなく、その相手に一生のしかかるであろう心の重荷を解放できたことも、AEDの大きな貢献といえます」
「学校はもちろんのこと、合宿や遠征試合、草野球といった場面においても、万一のことを想定してAEDの存在を確認する、必要に応じて持って行くなどの配慮が大事です。スポーツの場面にAEDを用意しておくことが重要だという認識が必要であり、それが常識になってほしいと思っています」
昨年9月、上野さんには長女が生まれました。
「娘を見てかわいいなぁと思うたびに、今生きていられることに胸が熱くなります」
みんなが命をつないでくれたおかげだーー。
上野さんは改めて命の大切さを感じました。
「家族にも、命や人助けの大切さを伝えていきたい。娘には困っている人がいたら声をかけられる人になってほしいと思います」
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