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周囲に慕われる「ウッチャン」の魅力 駆け出しのイモトに語った金言

ウッチャンはなぜ、こんなにも周囲に慕われるのか。=2016年6月、山本和生撮影
ウッチャンはなぜ、こんなにも周囲に慕われるのか。=2016年6月、山本和生撮影 出典: 朝日新聞社

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ウッチャンナンチャン・内村光良。誕生月である7月から、各局で「還暦スペシャル」などと冠したお祝いの企画が続いている。本日28日には伝説の番組「内P」も、還暦に絡めて復活スペシャルが放送予定だが、彼はなぜ、こんなにも周囲に慕われるのか。その魅力について考える。(ライター・鈴木旭)
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どんな若手時代だった?

2024年7月に還暦を迎え、『ぴったり にちようチャップリン』(テレビ東京系)や『THE突破ファイル』(日本テレビ系)、『世界の果てまでイッテQ!』(同系)といった人気番組でスペシャル企画が打たれるなど、改めて国民的なお笑いタレントであることを証明した内村光良。

特に本日28日放送予定のテレビ朝日開局65周年記念『祝!内村光良還暦祭り 内村プロデュース復活SP!!』には、若手芸人の登竜門として伝説的だった同番組のリアルタイム世代のファンのみならず、期待が高まっている。なぜ内村は、ここまで慕われるのか。業界関係者や同業者の声を中心に、表で見せる顔とは違った魅力に迫ってみたい。

まず注目したいのが、若手時代からブレない軸があることだ。1990年に『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系)が半年間休止になったことに伴い、後続番組のメインとしてウッチャンナンチャンに白羽の矢が立ち、『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』がスタートしている。

しかし、番組が始まる前の飲みの席で、番組スタッフから「生放送をやる」と言われ、内村は「話が違う」と席を立ったという。作り込んだものをやると聞かされていた話が急きょ覆ったためだ。その場に居合わせた当時のプロデューサー(現・ワタナベエンターテインメント会長)・吉田正樹氏は、『QuickJapan vol.88』(太田出版)の中でこう語っている。

「内村は“作り込みノイローゼ”なんだよね。『誰やら』の話をもっていった時、『生放送だったらやめる!』ってその場で立ち上がったわけ。話を聞いたら生でグズグズになったり、クオリティが下がるのが嫌だから作りこみたいと。その時ナンチャンは、『別にそれでいいじゃん』って顔してた(笑)。ところがそこに至る過程においては、ウッチャンのほうが豪胆なんですよ」

後日、冷静になって最終的には「わかりました」と受け入れた内村。こうなると、目の前の仕事にまっしぐらだ。『内村プロデュース』など数々のヒット番組を手がけてきた制作会社・ケイマックスの工藤浩之氏は『チームが自ずと動き出す 内村光良リーダー論』(畑中翔太著/朝日新書)の中で、「頑固だから、元々が」と笑いながらこう続ける。

「その頑固さはすごいですよ、昔から。1回、ノーって言ったら、もう絶対どうやってもなかなかひっくり返らない。こちらが“ああ、もう無理だね”ってあきらめる。その代わり、イエスになったら、もうとことんやる。絶対にやり遂げる」

腑に落ちなければ断固拒否するが、一度受け入れたならば全力で向き合う。それは個人的なこだわりというよりも、番組の看板を背負う責任感からくる姿勢なのかもしれない。
 

志村の金言「コントを…」

内村と言えば、コント番組を継続する数少ないベテラン芸人としても知られている。

1990年前後の『笑いの殿堂』(フジテレビ)、『夢で逢えたら』(同系)、前述の『誰やら』やドキュメントバラエティー『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系/1996年~2002年レギュラー放送終了)でも、途中で内村が「どうしてもやらせてくれ」と懇願し、キャラクターコントのライブを始めた。

周りを見渡しても、1990年代後半はコント番組が減少の一途をたどっていた“コント氷河期”。そんな中で始まったのが、『笑う犬』シリーズ(フジテレビ系/1998年~2003年レギュラー放送終了)だった。内村の従兄であり、放送作家の内村宏之氏は著書『ひねり出す力 “たぶん”役立つサラリーマンLIFE!術』(集英社クリエイティブ)の中で、そのときの模様をこう記している。

「最初の打ち合わせでは、テレビマンの発想として、当時の状況を踏まえると、まずトークコーナーがベースにあって、トークで盛り上がった話題をコントにしてみる、という構成にするつもりでした。しかし、内村光良の、『あくまでもコントだけで番組を作りたい』という強い意志に押され、純粋なコント番組で行くことになりました。結果から言うと、彼のコントへの情熱が、あらゆるものを凌駕したわけです」

午後11時台で始まった番組は、ジワジワと人気を獲得。スタートして3カ月で視聴率15%を超え、1年後には相方の南原清隆を入れてゴールデン帯へと昇格した。

スタジオコントは、台本を練ってセットを組み、リハーサルを経て本番を迎え、終われば基本的にセットは取り壊される。つまり、演者にとっても制作側にとってもコスパが悪い。それでも、内村は今もなお『LIFE!〜人生に捧げるコント〜』(NHK総合)でスタジオコントを作り続けている。

もともと素で表舞台に立つのが苦手ということもあるのだろうが、意識的にコントを続けようと考えたのはコメディアン・志村けんの後押しも大きいだろう。2000年12月31日放送の『FNS年末スペシャル フジテレビにしか出来ない20世紀の黄金バラエティ大全集!』(フジテレビ系)で共演した2人はこんなやり取りをしている。

局の楽屋と思しき場所に鎮座する、大嵐浩太郎(内村)と変なおじさん(志村)。「素が苦手でございます」「上がり症なもんで」などとお互いにはにかみ笑いを浮かべながら、内村が「もう5、6年前になりますが、志村さんと一度飲みに行ったことがある」「あのとき志村さんにかけられた言葉をずーっと胸にして『笑う犬』を立ち上げたようなもんなんです」と切り出す。

これに志村が「毎日飲んでるから」と覚えていない素振りを見せてひと笑いあった後、「あのとき、『あなたはコントで出てきたんだから、コントを続けなさい』と」「それを私はずーっと胸に抱いて、そして『笑う犬』を立ち上げていった」と打ち明ける内村。程なく志村が他人事のように「えらい!」と返して笑わせると、「あんたが言ったの、あんたが!」と照れくさそうにツッコむ内村が印象的だった。
 

明太子スパ大盛りを片隅で

長らく番組MCとして活躍していることから、内村に対して「頼りになる、安心感があるリーダー」というイメージを持つ視聴者は多いのではないだろうか。

ただ、内村の場合はグイグイと共演者を統率するタイプというよりも、等身大の自分を見せることによって自然と人を引き寄せるリーダーのようだ。

例えば2014年に放送されたNHKの『LIFE!』で、内村演じる売れない歌手・竹脇みつるが長野県・小川村を訪れ、村おこしの歌謡ショーを開催する企画での一幕。竹脇は、30年前のヒット曲「恋のチムニー」に固執し、ロックやラップなどアレンジを変えて歌い続ける哀愁のあるコント内のキャラクターで、それを複雑な心境で見守るマネージャー・野田とのやり取りが好評を博した。

しかし、会場の観客は竹脇というキャラクターをほぼ誰も知らない。そのアウェーな状況に、本番前の内村は恐怖と緊張でえずきが止まらなかったという。前述の『内村光良リーダー論』の中で、野田役を演じたドランクドラゴン・塚地武雅は当時をこう述懐している。

「内村さんはちゃんと緊張するんです。あんまり言うと営業妨害になるかな、というくらい緊張する。けれど歌いだした途端、会場を一瞬で味方につけて、歌い終わりは拍手喝采。あれだけえずいてた人が、ようやりきったなと。舞台袖で内村さんを見守るマネージャー役だったんですが、本当に涙が止まらなくなって。この人はすごい、と心から感動しました」

同書の中では、“隙のある人柄”に関するエピソードも紹介されている。『ボクたちの交換日記』(ショウゲート)でプロデューサーを務めた青木裕子氏は、同映画の監督として携わった内村の意外な姿を目撃したという。

「編集、ダビングの時だったかな。東宝の古い方のスタジオに行ったら、コンビニの明太子スパゲッティ大盛りを食べているおじさんがいたんですよね。一人で端っこの方で。……それが内村さんだったんですよね(笑)。映画監督で、テレビ・舞台と多方面で活躍されている方が、“俺、これ大好きなんだよね”って、明太子スパゲッティを隅っこで美味しそうに食べてる」

前述の『QuickJapan vol.88』で出川哲朗が語るところによると、日本映画学校(現・日本映画大学)の昼食時間に内村が「オレお金ないからいい。走ってる」と教室の中をグルグルと走り始めたため、心配した女子生徒が翌日内村用にお弁当を作ってきたこともあったそうだ。「この人の力になりたい」と周囲に思わせる力は、生まれ持った才能なのかもしれない。
 

「俺に電話しろ」熱い理由

『内村プロデュース』の復活を見てもわかる通り、やはり内村はスタッフや後輩芸人から圧倒的に慕われている。

『内村光良リーダー論』には、「現場のスタッフを名前で呼ぶ」「他人の人生に敬意を払う」「馴れ合いにならないちょうど良い距離感を保つ」といった内村の人となりが出てくるが、もっとも目を引いたのは駆け出し時代のイモトアヤコを気遣うエピソードだ。

『イッテQ!』の総合演出を務める日本テレビ・古立善之氏は、イモトが初めてバンジージャンプのような海外ロケに挑むにあたり、内村から唯一叱られたことがあるという。

「結果的にイモトの出世作になったロケでもあったんですが、内村さんから『イモトはまだテレビに出たてで、周りのディレクターやスタッフから“飛べ”と言われたら、絶対ノーと言えない。そういう絶対ノーって言えない人間を飛ばせるのはダメだよね』と、かなり強く言われました」

これに加え、内村はイモト本人に「今後、本当に嫌なときは断ってもいい。自分で断れなかったら、俺から話すから俺に電話しろ」と伝えたそうだ。新人のイモトからすれば、これ以上なく心強かったに違いない。

一方で、どん底を経て2度目のブレークを果たした有吉弘行は、内村からもらった金言を後輩に語り継いでいるようだ。アルコ&ピース・平子祐希はYouTubeチャンネル『佐久間宣行のNOBROCKTV』(2024年8月7日配信の動画)の中で、自身が低迷期から抜け出せた遠因をこう振り返っている。

「僕は有吉さんに『1個1個のことを丁寧にやるんだよ』って。『必ず見てるから、誰かがどっかで絶対見てるから』『1個1個丁寧にやって悪くなること絶対にないから』って言われて、その一言が大きかったんですよ。そしたら、後々知ったのは、それは昔内村さんが有吉さんに言った言葉だったっていう」

有吉だけでなく、バナナマン、くりぃむしちゅー・有田哲平、おぎやはぎら、かつて『内村プロデュース』に出演していた多くの後輩たちが現在のバラエティーを支えている。そして、きっと彼らの後輩にも“内村の背中”は受け継がれていくことだろう。
 

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