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「ぐんまちゃん」そっくり埴輪 「群馬」の地名との意外なつながりは
「ゆるキャラ」ブームの火付け役の一人、群馬県のマスコットキャラクター「ぐんまちゃん」。実は、偶然にもそっくりな埴輪が群馬県で見つかり、「ぐんまちゃん埴輪」と呼ばれています。出土の経緯を取材すると、「群馬」という地名とのつながりも分かってきました。(朝日新聞デジタル企画報道部・高室杏子)
「ぐんまちゃん埴輪」は、鼻から尾の先までが62.4センチ、横幅が25.8センチ、高さは50.4センチとなかなかの大きさです。
実際の馬とは異なり、顔の側面ではなく正面に両目がある点も特徴のひとつです。
古墳時代の当時は、サラブレッドのような馬ではなく、ポニーに似た馬が飼育されていたそうで、立派な4本の足と丸みのあるおなかと相まってかわいらしく思えます。
この「ぐんまちゃん埴輪」は、赤城山の南の麓、前橋市の白藤古墳群から出土しました。
前橋市教育委員会文化財保護課の小川卓也さんによると、1981年に古墳群の発掘が始まり、馬形埴輪が多数見つかったうちのひとつがこの埴輪でした。
見つかった当初は、横倒しになって砕けた状態で出土しましたが、元々は円墳の上に置かれていたとみられます。
発掘当時はまだ、今をときめく「ぐんまちゃん」はもちろん、その前のあかぎ国体のマスコットキャラクターの「ぐんまちゃん」もいませんでした。
「ぐんまちゃん埴輪」と呼ばれるようになったのは、小川さんによると「いつの間にか」とのこと。
発掘後、県内外の企画展で多くのひとの目に触れていきました。
そのうちに、ゆるキャラとして人気が出てきた「ぐんまちゃん」と埴輪のかわいらしい造形を重ねるひとが増えていったようです。
「身につけた馬具も少なくてシンプル。また、体つきも丸みを帯びて、平たく表現された顔もかわいい埴輪です」と小川さんは語ります。
群馬県立歴史博物館の学芸員・飯田浩光さんによると、群馬県の古墳は他の地域と比べると、馬形埴輪の出土数が多いことが特徴だといいます。
県内で出土した馬の埴輪の数は300点以上で、動物をかたどった埴輪のうち9割近くが馬だそうです。
日本では古墳時代の5世紀に朝鮮半島から馬が伝わり、飼育が始まったとされています。はじめは、当時権勢の強かった「ヤマト王権」の中心・近畿地方で、その後、群馬にも定着します。
火山性の黒い土と、「河岸段丘」と呼ばれる川の浸食でつくられた階段状に広がる平地が、馬の飼育に適していたこと。朝鮮半島から馬とともに渡来した人々が馬の知識を広げながら住み続けたこと。そして、東北地方へと勢力を拡大しようとするヤマト王権とこの土地の有力者の結びつきが強かったことなどが定着の要因になったようです。
そのため、群馬では馬を育てて、権力者に献上したり、農業や輸送・戦に使役したりしていたそうです。
ふと振り返ると、「群馬」の県名には「馬」が……。
今の前橋・高崎市のあたりは、古墳時代は「車」と呼ばれる地方でしたが、奈良時代に大和朝廷が「地域の特色を表す漢字2文字で地名を表記するように」と命じたのを受けて「群馬」と改めたそうです。
飯田さんは「車も馬車がもとにできた馬にちなんだ文字。古くから馬の飼育が盛んな土地だったことがいまの地名につながっているようです」と話します。
もともと埴輪は、古墳に埋葬された人の権力や財力を示す役割もあります。5世紀後半以降、馬形埴輪や馬具をかたどった埴輪の出土数が多いのも、馬の飼育が盛んな土地の証しだといいます。
「ぐんまちゃん埴輪」を所蔵する前橋市教育委員会文化財保護課の小川さんは「当時の人々にとって馬は、現代の高級車のような存在であったり、貴重な労働力でした」と指摘します。
古墳時代に、馬が大切に育てられ、群れていた群馬の地を思い返しつつ、前橋市立粕川歴史民俗資料館で「ぐんまちゃん埴輪」を鑑賞してみてはどうでしょうか。
【前橋市立粕川歴史民俗資料館】 群馬県前橋市粕川町膳48-1
■行き方
上毛電鉄膳駅より徒歩10分。
赤城タクシー「デマンドバス・中村北」下車、6分。
■開館時間
10時~16時
毎週月曜日・火曜日と年末年始は原則休館
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