MENU CLOSE

連載

#36 親子でつくるミルクスタンド

東京23区で最後の牧場、存続のための一手「地元のミルク」への思い

練馬区の小泉牧場

23区最後の牧場「小泉牧場」で、生まれたばかりの子牛はパドックと呼ばれるスペースで元気に過ごしています
23区最後の牧場「小泉牧場」で、生まれたばかりの子牛はパドックと呼ばれるスペースで元気に過ごしています 出典: 木村充慶撮影

目次

東京・23区で最後の牧場が練馬にあります。匂いなどが問題にならないよう、牧場を清潔に保ち、地域住民に愛されてきましたが、3年前に事業を縮小。そこには、生き残りのための苦渋の決断がありました。(木村充慶)

【PR】「視覚障害者の困りごとを減らしたい」代筆・代読支援というサポート

23区最後の牧場「小泉牧場」

東京都酪農業協同組合のホームページによると、現在都内の牧場は37カ所。23区にあるのは小泉牧場だけです。

練馬区の大泉学園駅から徒歩10分ほどの場所にあり、一戸建てやアパートが密集する住宅街のど真ん中です。

小泉牧場の全景。大きな銀杏の木が牧場の目標になっています
小泉牧場の全景。大きな銀杏の木が牧場の目標になっています

昔ながらの木造の牛舎には29頭ほどの牛が飼われています。

牧場は一般開放されており、いつでも牛たちの様子を見たり、子牛たちに触れ合ったりできます。地域住民のほか、遠方からの訪問者も絶えないそうです。

開かれた牧場になるきっかけ

都内でミルクスタンドを運営している筆者は、「地元のミルク」を探しているときに小泉牧場に出会いました。

牧場を営むのは3代目の小泉勝(まさる)さん。いつも元気で、牧場を訪れる人には積極的に声をかけて、酪農の楽しさを明るく熱く話してくれます。

小泉さんは写真を向けるとすぐにピースサインをしてくれます
小泉さんは写真を向けるとすぐにピースサインをしてくれます

現在のように地域に開かれた牧場になったきっかけが、子どもたちに酪農の体験授業を行う「酪農教育ファーム」を開いたことでした。

「酪農を知らない人にも心を開いて話していたら、みんなが牧場のことを応援してくれるようになりました。自分たちが気づかなかった酪農の魅力を、子どもたちから教えてもらうこともありました」

子どもたちに牛へのブラッシングの仕方を教えている小泉さん
子どもたちに牛へのブラッシングの仕方を教えている小泉さん

過去には東京にはたくさんの牧場がありました。しかし、人口の増加にともなって牧場の周りに住宅が増え、牛たちの匂いなどのクレームが絶えず、多くの牧場が辞めていきました。

小泉さんが来訪者を笑顔で迎え入れていることが、今日まで牧場を維持できた理由のひとつであることは間違いありません。

牧場維持のため 半分をホスピスに

順調な運営でしたが、小泉さんは3年前に牧場を縮小しました。遺産相続が理由でした。

都会に広い土地を持っていると、多額の相続税がかかります。「土地はあっても現金がない」という状況になって、泣く泣く牧場を手放す……というケースが都会の牧場ではよくあるのです。

縮小前の牧場の風景。牛を引いているのは勝さんの父で、小泉牧場二代目の小泉與七さん=小泉さん提供
縮小前の牧場の風景。牛を引いているのは勝さんの父で、小泉牧場二代目の小泉與七さん=小泉さん提供

「3代にわたって守り抜いてきた牧場を簡単に手放したくない」

小泉さんは牧場を半分に縮小し、残りの半分のスペースを、収益の計画が見通せるがん患者の緩和ケアにあたるホスピスにつくりかえることとしました。

左奥にあるのが新設したホスピス。入居者の方々にも窓から牧場が見えるようになっています
左奥にあるのが新設したホスピス。入居者の方々にも窓から牧場が見えるようになっています

牧場を小さくするのは苦渋の決断だったと言いますが、維持するために必要な選択でした。

元・武士たちが始めた酪農

東京ではどのように牧場が広がり、減少していったのでしょうか。

江戸時代が終わり、武士たちは一気に仕事がなくなりました。そこで彼らが始めたのが、西洋から入ってきた新しい事業「酪農」でした。

酪農は現代でたとえると「ITベンチャー」のような存在だったようで、武士のほかにも新しいもの好きだった人びとが参入したといいます。

小説家・芥川龍之介の父親や、歌人で小説家の伊藤左千夫も東京で牧場を営んでいたそうです。

昭和30年ごろの小泉牧場の様子。あたりは畑が多く静かなエリアだったといいます=TOKYO OPEN DATAより
昭和30年ごろの小泉牧場の様子。あたりは畑が多く静かなエリアだったといいます=TOKYO OPEN DATAより

しかし、次第に牛たちの匂いやスペースの問題から牧場は郊外へと移っていき、現在のような状況に至ります。

そして、その一世を風靡した東京の中心部の酪農で、最後に残ったのが小泉牧場なのです。

「牛は飼うのではなく、育てる」

近頃は、家畜をできる限りストレスなく育てようという「アニマルウェルフェア」の思想が国際的に広がりました。

牧場では「牛舎で、首をつなぐ飼い方はよくない」と指摘する人もいて、私もかつてそう思っていた時もありました。

小泉牧場は昔ながらの牛舎での「つなぎ飼い」。小泉さんや近隣の方々が牛たちを日常的に可愛がっているので、とても人懐っこくかわいいです
小泉牧場は昔ながらの牛舎での「つなぎ飼い」。小泉さんや近隣の方々が牛たちを日常的に可愛がっているので、とても人懐っこくかわいいです

でも、小泉牧場の牛たちの「いい顔」に出会って、牛舎も牛たちもきれいなようすをみて、「つなぎ飼いだからよくない」は違うと考えるようになりました。

地域住民への匂いの影響を鑑みてということもありますが、牛の健康やストレス減少のため、毎日5回も牛糞を掃除。定期的に牛をブラッシングします。

小泉さんは地域から出る豆腐の副産物「おから」を集めて牛に与えています。資源循環も大切にしています
小泉さんは地域から出る豆腐の副産物「おから」を集めて牛に与えています。資源循環も大切にしています

小泉さんはよく「牛は飼うのではなく、育てる」と言います。牛を単なる家畜と見ず、大切なパートナーとして接しています。

都会で酪農を続けるのは決して簡単ではありませんが、地域住民が多い場所の特性に合わせながら工夫していて、小泉牧場で育った牛たちは幸せだなと感じます。

地域の小さな酪農のあり方を目指して

こんな素敵な牧場ですが、牧場単体のミルクを買うことはできません。

全国のほとんどの牧場でも同様ですが、農協がトラックでミルクを集めて、乳業メーカーに販売しています。その中で、たくさんの牧場のミルクが混ぜられ、スーパーに並びます。

右から2番目の子牛を抱えているのが若き日の小泉勝さん=小泉さん提供
右から2番目の子牛を抱えているのが若き日の小泉勝さん=小泉さん提供

でも、育て方やエサのバランスも影響して、牛乳の味は牧場ごとに違います。

以前、小泉牧場の搾りたてのミルクを特別に飲ませてもらったことがありました。とても甘くてきれいな味でした。

たくさんの人が住む東京23区に、こんな素敵な牧場、おいしいミルクがあるのなら、牧場単一の〝シングルオリジン〟の牛乳を作って飲んでもらいたい……。

そう思い、私たちは今年から小泉牧場の牛乳を作ることになりました(「牛乳作り」はものすごく大変なのですが、その話はまた別の機会に…)。9月なかばからまずは小泉牧場とWebサイトでの販売を始める予定です。

6月末までやっていたクラウドファンディング。みなさまの応援で無事目標を達成しました
6月末までやっていたクラウドファンディング。みなさまの応援で無事目標を達成しました

搾乳体験をしたとしても、そのミルクは飲まずにスーパーで買って飲む……。都内に住む筆者にとっては、23区内という近くにおいしい牛乳があるのに、飲めないという不思議な構造にとても違和感がありました。

日頃から近隣の牛乳を飲んで、親しみを持ち、ふらっと牧場を訪れて牛とふれあったり、牧場主と語り合ったり――。食育と日常で飲むミルクが一緒になったらもっと食のことを自然と考えるようになるのではないかと思いました。

連載 親子でつくるミルクスタンド

その他の連載コンテンツ その他の連載コンテンツ

全連載一覧から探す。 全連載一覧から探す。

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます