“グンマーの国境”などとしてネット上でミーム化されてきた、群馬・長野県境にある毛無峠(けなしとうげ)の「群馬県」「遭難多発区域」「立入禁止」などと記された看板。しかし、大自然に晒されたその文字が次第に消えかけ、今後が取り沙汰されています。実は看板の先には、かつて繁栄し、後に悲劇が訪れた鉱山と集落の遺構も。管理する群馬県の中之条土木事務所に話を聞きました。( #ふしぎなたてもの 取材班)
群馬県と長野県の境にあることから、10年以上にわたり“グンマーの国境”と呼ばれてきた、毛無峠のスポット。
「群馬県」「この先危険につき関係者以外立入禁止」「遭難多発区域」などとされた看板が並んでいることで、まるで「この先の群馬県が遭難多発区域で危険」であるかのように読めるとして、ネットで度々、話題になってきました。
実際には高木がなく風が抜け、雄大な大自然がパノラマで広がる、爽やかな場所です。
この看板のうち、「群馬県」と記された看板の文字が、大自然に晒されてきたことで、消えかけています。このことも<よりグンマーっぽい><群馬がグンマーに侵食されていく>などとSNSを賑わせてきましたが、今後はどうなるのでしょうか。
群馬県内の施設や県道を管理している同県中之条土木事務所に話を聞きました。同事務所によると、看板は完全に文字が読めなくなれば交換されるため、かなり消えかけた現在は交換予定があるとのこと。ただし、時期は未定だということでした。
ところで、この「立入禁止」の先には、何があるのでしょうか。そこにあるのは小串鉱山跡という、硫黄鉱山の遺構です。
残る石碑によれば、同鉱山は北海道硫黄株式会社の鉱山として、1929年に操業を開始しました。
硫黄は当時、火薬や農薬、繊維などの化学工業に不可欠なもので、朝鮮戦争による特需では「黄色いダイヤ」と呼ばれ、価格が高騰したそう。同鉱山は全国有数の産出量を誇りました。
標高約1600mの高地、冬の積雪の厳しい、決して住みやすいとは言えない場所に、最盛期には2000人が住み、小中学校や診療所、商店、映画館などが立ち並んだといいます。
一方で、1937年11月に大規模な地滑りが発生、245人が亡くなる大事故がありました。当時の東京朝日新聞は「小串鉱山に山津波」「火薬庫相次いで爆発」「救援隊施す術なし」「硫黄の悪臭で近づき難し」と報じています。
山肌には地滑りの跡が残りますが、土砂災害や建物の崩落のおそれなどがあり、関係者以外は看板の先には立入禁止となっています。
亡くなった245人をまつる地蔵堂があり、鉱山の元住民らが維持管理をしてきましたが、高齢化で難しくなり、解散。同県の嬬恋村が事務局となって、新たに保存会を発足させ、管理に乗り出しています。
その繁栄と悲劇の歴史を知る人は少ないかもしれません。今となっては、ネットミームとしてもあまり見かけることはありませんが、この機会にぜひ、思いをはせてみるのはいかがでしょうか。