政府が世界文化遺産への登録を目指す「佐渡島の金山」について、ユネスコの諮問機関「イコモス」は一部地域の除外を勧告していました。当該の地域には、雰囲気がそっくりだとして「佐渡のラピュタ」としてネットで度々、話題になる関連遺跡があります。どのような遺跡なのか、佐渡市を取材しました。( #ふしぎなたてもの 取材班 )
6日、政府が世界文化遺産への登録を目指す「佐渡島の金山」について、ユネスコの諮問機関「イコモス」が4段階の評価のうち上から2番目の「情報照会」を勧告しました。登録内定を示す1番目ではなく、世界遺産としての価値は認められたものの、追加の対応を求められた形です。
その勧告の中には、明治以降の史跡が多い北沢地区を構成資産から外すことが含まれていました。
この勧告を受け、林芳正官房長官は13日の会見で、政府と県、佐渡市で検討した結果、イコモスからの要請3点のうちの1つである北沢地区を除外する方針を決めたことを明かしました。新潟県の花角英世知事も、19日の定例記者会見で、イコモスの勧告に応じる方針を示しています。
そんな北沢地区には、雰囲気がそっくりだとして「佐渡のラピュタ」としてネットで度々、話題になる関連遺跡があります。
草木に埋まる、異世界のような建造物ーー。それが、新潟県佐渡市の北沢浮遊選鉱場跡です。
佐渡市の資料によれば、コンクリートの基礎部分を残す建造物は、世界文化遺産登録に推薦されることになった佐渡金山の関連遺跡で、粉砕した鉱石から金銀鉱物を回収する工場跡。
1938年に第一期工事分が完成し、稼働を開始。40年に追加工事分が完成するも、52年に佐渡鉱山の縮小により閉鎖されました。
「浮遊選鉱」とは、粉砕した鉱石を特殊な薬品を加えた水槽の中で浮遊させ、泡に吸着させて回収する手法のことです。
北沢浮遊選鉱場跡は金銀の鉱石に対する浮遊選鉱法を実用化させた施設で、技術史上も画期的だったとされます。その規模は東洋一とも称され、月間約5万トンの鉱石を処理しました。周辺の鉱山から出鉱した鉱石はトロッコなどでこの選鉱場に運ばれたと言います。
このように、実際に稼働していた時期は、政府が推薦する江戸時代の資産とは異なっており、構成資産に含まれていたことへの疑問の声もありました。
一方で、北沢浮遊選鉱場跡は現在、鉄筋コンクリート造の基礎部分が風雨にさらされて損傷がひどく、修理が不可欠な状態であり、その保存が危ぶまれています。
保存の上で、課題となっているのは費用です。同市によると、遺跡やその周辺の土地の所有者は民間、市、県と多岐にわたりますが、文化財保護法に基づく管理団体は市となっています。
過疎化が進む市には財政的な余裕がなく、保存には国や県の補助が必要な状況になっています。
市の担当者は「定期的な監視と調査を行い、関連遺跡の価値を損なわずに将来的に継承する方法を模索中です。土木の専門家に相談している他、軍艦島など他地域の遺跡の管理者とも意見交換しています」と話します。
世界文化遺産登録をきっかけに、再び保存への機運を高めようとしていた北沢浮遊選鉱場跡。観光地としては人気を伸ばしており、政府などの方針変更を機に、戦略の見直しが必要になりそうです。