元フィギュアスケート選手で、スポーツ科学研究者の道に進んだ町田樹さん。淡々とルーティンを繰り返した幼い頃の自分は、「『なぜフィギュアスケートの選手になったんだろう』と思ってたのかもしれないが、それが〝問い〟と気付けなかった」と振り返ります。気鋭の哲学者・永井玲衣さんとの対談で、「問いを立てる難しさ」についても語り合います。
町田さん:今はそんなことないですけれど、私は子どもの頃から人見知りで、大学生くらいまでは誰かと会話することがほとんどなく、自分の世界にこもって、フィギュアスケートや読書やゲームに没頭していました。
哲学対話というものがあるということを恥ずかしながらこの本を読む中で知りました。今私は34歳で、永井さんとはほぼ同世代ですが、私が子どもの頃は学校で哲学対話を行うという授業はありませんでした。哲学対話が教育に取り入れられたのは、ここ10年くらいの話なのでしょうか?
永井さん:そうですね。色んな流れがありますけれども、例えば大学だけでなく市民もまた哲学をしようという哲学カフェという営みがフランスで1990年代に始まった一方で、教育の現場で子どもが哲学をするというのはアメリカ発祥の教育法であり、実は異なる場から生じたんですが、日本では対話的に哲学をすることをざっくりと「哲学対話」と呼んでいるのだと思います。とはいえ、ここまで広がってきたのは日本でも最近のことです。
私は「哲学」の場もなかなか経験してきませんでしたが、「対話」の場もあまり経験してこなかったとも思います。
私が初めて参加した哲学カフェはものすごい緊張感で、哲学はあったんですが、対話はあまりなかった気がしていて。「自由とは何か」といった話をしていて、なんで初対面でいきなり「自由」について話せるの、とドキドキしてしまったんです。でも、哲学的であることは実は対話的であることではないか、と私は思っています。私は32歳なんですが、なかったですよね。
町田さん:確かに、私が子どもの頃を思い返すと、私は「私」を持っていなかった。全くこだわりもなく、ただ淡々と毎日を過ごして、ルーティンを繰り返していた。学校に行ってフィギュアスケートをやって、という具合に。ですから、こういう対話があれば、それこそ他者との対話の中で、色んな言葉、いろんな問いを考える中で、私が形づくられていったのではないかと思うのです。自分の考えはこうだ、あなたの考えと私は違う、というアイデンティティー、つまり私と他者との間に線引きがなれたり、あるいは逆に共感したり、知らなかった私の一面を知ることができたり、「私」とは誰かを考える大事な機会となったはずです。
人は誰もが問いを持っているとおっしゃられましたが、私自身は子どもの頃、問いを持ってなかったです。どこかで自分が例えばなぜフィギュアスケートの選手になったのだろう、と潜在的には思ってたのかもしれないですが、それそのものが問いであることに気づけなかった。
永井さん:問いにまだなっていなかったとおっしゃるのは本当にその通りだと思って。よくこういう実践を続けている方って子どもの頃から好奇心いっぱいで……という方が多いんですけど、私は全然そうではなくて、問いになっていなかったんです。
もっとイライラというか、ジリジリしていて、たぶん嫌な子どもだったと思う。じれったかったんですよね。でも、それは悩みでもあるけれども、同時に「問い」でもあるのだと哲学に教えられました。「悩み」としてしまうと、個人の問題で終わってしまう。でも「問い」として拾いあげなおすならば、みんなのものになる。まわりとの違いに悩んでいた時は、ただもやもやと一人で抱えていたけれども、これは「普通とは何だろう」という問いですよね。町田さんは10代の頃、もやもやもなかったですか?
町田さん:それさえも意外になかったのかもしれないですね。
永井さん:それはどういう感じですか?
町田さん:すべてに対して受け身で、無自覚かつ無批判に受け入れていたという感じだと思います。研究者になって思うのは、問いを見つけることの難しさ。いい問いが見つかったら、論理が導いてくれたりするので、例えば仮に私ではなかったとしても、もしかしたらその問いの答えは、アカデミアの世界で自然と導かれる。でも、問いがそこら辺に散らばっているという、問いを見つける能力、それが問いだと気づく能力を育む、というのが哲学対話の一つの意義なのではないかと、私は思うのです。
永井さん:そうなんですよね。小学校に行くと、2、3分で黒板がいっぱいになっちゃうぐらい出るんですけど、私たちは問いを出すのがすごくゆっくりになっていると思います。
町田さん:もう一つ永井さんと対話したかったのは「問いに答えは必要なのか」ということです。永井さんの「水中の哲学者たち」には問いがたくさん出てくるのですが、一つも答えが載っていないのです。私も大学で学生たちに教える立場ですが、どうしても教育ということに関しては、答えを出す、あるいは答えを出す術を教える、ということが使命になってくるわけです。大学の研究者や大学の授業で扱う問いというのは、答えが一応あるというか、答えを出すための問いを立てるわけです。ですが、永井さんの著書や対話の中で立てられている問いは、果たして答えがあるのかな、と感じたのです。
著作の一番最後の章で、スコップで砂場を掘ってガシャッと底を打つという、掘り下げていったらいつかは答えというのが底をつくのではないか、ということを信じて今日も問いを考え続ける、という形で締めくくられているのですが、それらの問いに、答えはあるのでしょうか。
永井さん:すばらしい問いかけをありがとうございます。「答え」が何なのかということ自体がまた問いになってきてしまいますけれども、いわゆるカギ括弧付きの「正解」といったものや一問一答的なものはおそらく存在しえない、ということなんですよね。ただ、だからといって空を搔(か)くような試みなんだと言われたとすれば、そうではない、とも言いたいわけです。というのも、問いに関わるということは応答するということですよね。それ自体がある種、答えへの態度である、と私は考えています。
ですから、問いは育っていく。最初はモヤッとして非常に個人的な悩みのように思えたものが、他者と共にザワザワと触られることによってだんだんとまた増えていく。これは悩みが増えてしまって立ち尽くすことではなく、むしろ進んでいることだと思いますし、応答のあり方のバリエーションだと私は思っている。なので、答えなんかないとか、答えがない問いを考えるんだって言い方は実はしないようには注意を払っています。
町田さん:そうやって問いが問いを呼ぶ。考えることで「私」がつくられ、そして対話を通じて「私」が変化していく、というそのプロセスこそが大事なのだということを、永井さんとの対話を通じて実感することができました。Nobody賞の正賞である「メビウスの帯」のように、問いが問いを生んでいくという無限ループの中で考え対話をし続けて、そのループを歩む過程で得られた成果をこれからも言葉としてつづっていっていただきたいと、心からのエールをお送りして、私と永井さんの対話を締めくくりたいと思います。本日はNobody賞の受賞、まことにおめでとうございます。
永井さん:ありがとうございました。