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「物語でしか語れないことがある」 紫式部が源氏物語に込めた思いは

100万字にもおよぶ「源氏物語」を読み通すのが大変、という人におすすめなのは…
100万字にもおよぶ「源氏物語」を読み通すのが大変、という人におすすめなのは… 出典: Getty Images ※画像はイメージです

目次

紫式部を主人公にした大河ドラマ「光る君へ」が放送されていますが、平安文学を愛する編集者のたらればさんは「源氏物語は光源氏の恋愛物語とも言われますが、それは一面的な読み方です」と指摘します。そもそも源氏物語はなぜ書かれたのか?どんな思いが込められているのか? たらればさんと語り合います。(withnews編集部・水野梓)

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この記事は、大河ドラマ「光る君へ」第9回「遠くの国」の放送後、3月3日にXで開催されたスペースの内容を編集して配信しています

100万文字 壮大なストーリー

水野梓(withnews編集長):今回の大河ドラマの主人公・紫式部は「源氏物語」の作者ですが、本名など詳しいことは分かっていません。

スペースのリスナーさんから、「そもそも源氏物語ってどういう存在なのか教えてください」という質問がきておりました。

たらればさん:このお題は……壮大すぎて、わりと頭を抱えますね(苦笑)。

『源氏物語』とは何か、という課題について、皆さん学校でひととおり習ったと思うんですよ。
いづれの御時にか 女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふ ありけり
という、非常に有名な書き出しから始まる、全部で100万字ぐらいの物語です。

作中でだいたい70年間にわたる壮大なストーリーで、日本文学の中でおそらく最も有名で、世界的にも最も広く読まれている作品といえるでしょう。

一般的には「ひとりの男が振ったり振られたりする恋愛物語」…という語られ方をしますが、それはとても一面的な見方で、ほかにもいろんな読まれ方をしているということは、この機会にぜひ知ってほしいなと思います。

水野:ほかの読まれ方?

たらればさん:娯楽性はもちろん、政治劇でもあるし、「男女差」を告発する物語でもあり、高貴な身分へのリスペクトもあればその虚構性やスキャンダル暴露でもあります。

そのうえで、運命に踊らされる人間の小ささや、当時の仏教観を説明するものだと読まれることもあります。

好きな「巻」から読んでもいい

水野:ちょっと読み通すには、「長い」とためらうところもありますよね。

たらればさん:はい。すべて読み通すことが難しい、というのは昔からよく言われてきたことで、途中で挫折している人もたくさんいます。

「資本論」(カール・マルクス)とか「失われた時を求めて」(マルセル・プルースト)とかと似ていますよね(笑)。

一生のうちにいつか読みたい、と考えている人は、まずあらすじを理解してみるといいんじゃないかなと思います。

漫画「あさきゆめみし」でもいいですし、「平安人の心で『源氏物語』を読む」という研究者の書いたあらすじ本もありますので、あらかじめ「どんなストーリーか」を知っておくと、読みやすくなると思います。

▼「あさきゆめみし」雑誌黄金時代だから描けた光源氏の〝罪〟
https://withnews.jp/article/f0220210002qq000000000000000W02c11001qq000024266A

あさきゆめみし(講談社/大和和紀著)

平安人の心で「源氏物語」を読む(朝日選書/山本淳子著)

たらればさん:それでも最初から最後まで一気に読もうとすると結構大変なんです。

源氏物語は一般的に54のパート(巻/帖)に分かれていて、普及してゆくなかで、多くの読者は各巻が歯抜けになっていたり、バラバラな状態で手にしていました。

昔は新刊書店はなかったので、全54巻の長大な作品が、古本屋さんで歯抜けで並んでいる…というような状況に近かったと言われています。

初読時は「その通しナンバーの順番通りに読まなきゃいけない」って思うかもしれませんが、近代以前はあまりそういう読まれ方はしていなくて、手元にあるもの、読めるところから読んでいただろうと言われています。

水野:時系列にこだわらず、好きな順番で読んでいいんですね。

たらればさん:人間関係が進むパートもあれば、そうじゃないパートもあって、どこかの巻を読んだらそれなりに満足できるように書かれていると思います。

源氏物語は、光源氏の成長を描きながら、作中時間が進むごとにお相手が変わり、それぞれの登場人物の環境が変わり、政治状況が変わってゆくのが当時としては画期的な組み立てでした。

だからこそ「源氏物語は近代小説の要素がある」と言われるゆえんでもあるんですが、それでも気になる巻や好きな登場人物が活躍するシーン、たとえば「夕顔」だけとか「蛍」だけとか選んで読み進めてゆくのもいいと思います。

僕は朧月夜と光源氏が出会うパート「花宴」が大好きで、ここだけ何回も読み返しています。非常に短くて読みやすいですよ。

政治的な要請で書かれ続けた

水野:11世紀初めごろに書かれたという源氏物語。紫式部が結婚した夫に先立たれた悲しさで書き始めたという説も読みました。

たらればさん:源氏物語の創作時期は、はっきりは分かっていませんが、作者が20代後半、夫を亡くした頃、または宮中に仕え始めた頃から書き始めた、もしくは完成に近づいていったとされています。

ただ、ひとつ確実に分かっていることがあって、それは「源氏物語は、政治的な要請で書かれ続けた」ということです。

藤原道長という当時最大の権力者からのバックアップがないと、これだけの手間と時間をかけることはできないし、物理的にも書く場所と紙、すずり・筆・墨は用意できないですからね。

この作品は、当時の政治による強い影響のもとでつくられている、ということは間違いありません。

水野:紙なども貴重な時代ですもんね。
出典: Getty Images ※画像はイメージです
たらればさん:大野晋さんと丸谷才一さんの「光る源氏の物語」という解説本によると、紫式部は下級貴族の娘であり、主人公は臣籍降下したとはいえ帝の第2王子で最上級貴族なわけです。

光る源氏の物語(大野晋・丸谷才一著/中公文庫)

その最上級貴族が、たとえば東宮の未亡人である六条御息所など、高貴な女性と何をどう話したか、姫君同士がどんな嫉妬をしたか、高貴な女性が夜の営みを終えて朝を迎えたときどう振る舞うかを、本来、紫式部は知る機会がなかったはずなんですね。

ごく限られた人しか知り得ない振る舞いが、源氏物語には赤裸々に描かれている。

11世紀に、最上級王侯貴族の夜の営みについて、こんなに詳しく書かれた作品は世界中に存在しなかった、と上述の「光る源氏の物語」に書かれています。

「物語でしか語れないことがある」

水野:源氏物語が政治の道具として使われた…というのは、紫式部が仕えた藤原彰子さま(見上愛さん)のライバルが藤原定子さま(高畑充希さん)で、一条天皇に彰子さまのもとへ来てもらおうと、藤原道長がこの物語を用意した…ということなのでしょうか。

たらればさん:それが最もオーソドックスに語られている、源氏物語の執筆事情ですね。

天皇を後宮へ呼んで読んでもらうために新作を用意したというのと、作品について語り合うサロンみたいなものにしたかったんだと思います。

帝ですから、待っていればいずれ自分のところにも新刊(?)が回ってくるはずですが、そのうえで一条帝もきっと、「この作品について語りたい、いろんな人の意見や感想が知りたい」と思ったんだろうなと、そういう話でもあると思います。

水野:確かに、わたしたちが「光る君へ」や「源氏物語」について語っているみたいに「ここはどんな風に読んだ?」「この登場人物についてどう思う?」と語りたくなったんでしょうね。
京都・廬山寺の紫式部を描いた押し絵=2024年1月、京都市上京区、筒井次郎撮影
京都・廬山寺の紫式部を描いた押し絵=2024年1月、京都市上京区、筒井次郎撮影 出典: 朝日新聞
たらればさん:当時、ハイカルチャーとしての文学はやはり「和歌」であり「漢詩」でした。そのなかで源氏物語という散文をベースにした創作物語が出てきて、それを「帝が読んだ」「帝に読んでもらうために捧げられた」ということが、当時、「物語の立場」をものすごく上げたはずなんですよね。

水野:「物語」はサブカルみたいな立ち位置だったんですね。

たらればさん:サブカルどころかもっと下に位置されていたというか、語るに足らないものだったのだと思います。

当時は、男性の日記が数多く残っているんですね。藤原道長の「御堂関白記」もそうですし、藤原行成「権記」、ロバート秋山さんが演じる藤原実資も「小右記」を残しています。そういった「古記録」には、「物語」の話はまったく出てきません。

また、「光る君へ」で町田啓太さんが演じる藤原公任は当時一級の文化人として「三船の才(さんせんのさい)」と言われていますが、その「三」は漢詩・和歌・管弦です。

水野:そうか…。
宇治川のほとりに立つ、源氏物語宇治十帖のモニュメント=2023年9月、京都府宇治市、北川学撮影
宇治川のほとりに立つ、源氏物語宇治十帖のモニュメント=2023年9月、京都府宇治市、北川学撮影 出典: 朝日新聞
たらればさん:紫式部もそれは意識していて、源氏物語内でも「物語論」が語られます。

奈良・平安時代には律令国家の正史として「六国史」が編纂されますが、そうした「記録」や「事実の羅列」とは別に、「物語でしか語れない、伝えることができない事象がある」と光源氏が言うんですね。

これはたとえば、誰かを愛するとか勇気を振り絞るとか、もうちょっと抽象的に言うと「恋」とか「正義」とか「郷愁」とか「哀切」とか、こういう概念的なものって、記録だけをいくら読んでも分からないところがありますよね。そこで誰かのエピソードを聞いたり、物語を読んだりすれば、すぐに伝えられる。

水野:たしかに、物語を通してしか描けない・伝えられない出来事もあるなぁと思いますね。

たらればさん:「いったん物語を介する」という言い方がいいのかな。同様のことを村上春樹さんもエッセイで書いていて、これは「物語論」という研究が積み重なってる分野なんですけど、おそらく紫式部はそういう思いを持っていたのだろうなと思います。

当時、物語は下に見られていましたから、そういった風潮への怒りもあったんでしょうね。

水野:源氏物語に出てくる六条御息所の「呪うほど狂おしく思う」とか、記録にはなかなか残せないですよね。

たらればさん:藤原実資の「小右記」とかを読むと、彼は結構ぶつぶつ書いてますけどね(笑)。

強い気持ち・繊細な心情は「和歌」で

たらればさん:当時の人は、強い気持ちや繊細な心情は「和歌」を詠むことで伝えていました。歌うことで自分の「真心」というか、心情を伝えられると信じていて、だから源氏物語も大事なところでは和歌を読み交わしています。

水野:確かに、大事な思いをかわすときって「和歌」で表現されていますね。

たらればさん:はい。「私はあなたをこれだけ思っています」「私は悲しい」「もっとあなたといたい」と、そのまま伝えるよりも、歌に乗せたほうがより伝わる、と当時の人たちは本当に思っていたんですね。

そうなると、「和歌を読まないキャラクターの本音はどうなんだ?」という考え方が生まれます。

源氏物語の主要なキャラクターで和歌をまったく詠んでいない人物がふたりいます。葵の上と弘徽殿の女御です。

読者はそこで「おや?」と思うでしょうし、「このふたりは、どうも何を考えているかよくわからない」とか、「真心が伝わってこない…」といったような人物造形を演出する効果があります。

水野:たしかに和歌で本音を語らないキャラクターの心の裏側が想像したくなりますね…とりあえず自宅にある「あさきゆめみし」を読み返します!
◆これまでのたらればさんの「光る君へ」スペース採録記事は、こちら(https://withnews.jp/articles/keyword/10926)から。
次の採録記事は、「源氏物語」をどう評価するかについて、来週日曜に配信予定です。

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