マンガ
「あさきゆめみし」雑誌黄金時代だから描けた光源氏の〝罪〟
漫画家・おかざき真里さん、編集者・たらればさんと読み解く

小説やマンガなど、形を変えて読み継がれている平安時代に紫式部が書いた「源氏物語」。そのなかでも受験生が必ず読むといわれるのが少女マンガ『あさきゆめみし』(大和和紀著・講談社)です。漫画家のおかざき真里さんと編集者のたらればさんがその魅力を語りました。おかざきさんは「感情に特化して描かれていて、1000年経っても嫉妬や切なさはあるし、人を愛することは変わらないんだなって思いました」と話しました。
姫君と坊主、難しい描き分け
おかざき真里(以下、おかざき):お話しする人によっていくらでも話が出てくるんじゃないでしょうか。
おかざき:「髪形と服が一緒問題」ですね(笑)。お姫様がみんな美しい黒髪と十二単という大和先生よりも『阿・吽』はちょっとシビアで、坊主と袈裟ばかり描いておりました。

おかざき:白黒で表現する漫画家としては、トーンを貼ったり白くしたりしたかったと思いますがしょうがないですね。
何かのインタビューで、大和先生は必ず最初に姫君の名前を呼ぶようにしていたと伺いました。登場人物の呼び方も統一しているんじゃないかなと思います。
厚いトレーシングペーパーに描かれたカラー
おかざき:中学生の頃、コミックスだったと思います。関西に住んでいましたが、画用紙くらいの厚さのトレーシングペーパーにカラーを描かれていたと聞いて、友人と原画展に行きました。
表に白い線で描き、裏から色を塗っていると聞いたんです。でもどれもきれいで「どれが厚口か分からんなぁ」と話した記憶があります。
まねして描いてみたこともありますが、紙がインクを吸わないので、粘度の高い白いインクを乗せているんじゃないかと。描くのも保存も大変なんじゃないかと想像します。

おかざき:裏からカラーを塗ると、モヤがかかったような淡い色になって、その分の立体感も出でているんですよね。
いまも売れ続けているあさきゆめみし
おかざき:古文の入試がある受験生は全員読みますよね。
ときどきマンガに対して「正しい」「正しくない」って言う人がいますが、私は「マンガを教科書代わりにしてくれるな」っていう派なんですよ。
マンガはあくまでエンターテインメント。そう訴える私でも、やっぱりあさきゆめみしは……と思ってしまいますね(笑)

源氏物語のような名作だと、千年前に書かれて、それからずっとそれぞれの時代でたくさん読まれ続けてきた……と思いがちですが、あまり読まれない時期もあったんです。
伝統のあるものって何も手を付けなくても勝手に続くと思いがちですが、これは価値があるんだ、後世に残したいんだと思うのであれば、誰かが「これ面白いよ!」「みんな読もうよ!!」と言い続けないと、たやすく無くなってしまう。「好きなものは好き」と言い続けることが大事だと思いますね。
感情表現をつぶさに描いた女性誌
もちろん現代の価値観で糾弾してはいけないんですが、大和先生の光源氏はひどいやつに見えない。
たられば:なるほど。僕は紫の上が大好きで、つい肩入れしてしまうので、そのぶん何度読んでも「光源氏は本当にひどいやつだ!」と思ってしまうんですが……(笑)。

青年誌は都内の駅のキオスクで、女性誌は書店で買われます。青年誌はかばんに入りやすいようにスリム化し、女性誌はぶ厚くなっていく。
女性の総合職も多くなかった頃で、女性誌は家でくつろいでいるときに両手でめくって読むものとされていました。男性誌はつり革に捕まって片手で読まれるから、編集者からはコマ割りは凝らず、迷わないようにしてほしいと言われましたね。
毎週買ってもらうため、次の話へのヒキが大切な青年誌。女性誌は1カ月間、家にあって何度も読むので、見開きの絵が大事になってくる。

おかざき:女性誌は、ストーリーを次に次に進めるというより、その世界にダイブする感情表現・感覚表現が入れ込まれるようになったそうです。
今よりも遥かに「雑誌」に力があった時代。大和先生も感情を表現することに注力したのではないでしょうか。
光源氏のやっていることは相当ひどいんだけれど、その光源氏自身も悩んでいる。姫も能動的に飛び込んで悩んでいる様子が描かれているので、1カ月、その恋の苦しさを味わえるわけです。
感情や感覚、「あはれ」といった、気持ちの琴線に触れる部分をより多く感じ取れる筆致ですよね。それに乗って読んでいるうちは、一方的に「なんてひどいことを」とは読めないです。
千年以上経っても「感情」は変わらない
源氏物語は1000年前の宮廷貴族を想定読者として書かれていて、その後、50年後くらいまでは「あはれ」と書けば意味が分かって共感できたと思うんですね。
当時の実在の人物・事件や人間関係をモチーフにした記述もあるし、相手によって微妙に変わる敬語のニュアンスを読み取ることで「みなまで言わなくても分かる」だとか「分かる人だけ分かる(からこそ面白い)」というような、同時代に読まれることが前提の記述がたくさんあります。

だけど、そうした「世界観の隔絶」は、マンガで感情表現を丁寧に描いていくことで飛び越えやすくできるんだなと思いました。
もちろんこれは大和先生のとんでもない力量があってこそなんですが、それでも『あさきゆめみし』を読むと、多くの人が1000年前の姫君に感情移入できて、一緒に泣いたり怒ったりできる。これってすごいことですよね。
おかざき:1000年以上経っても感情って変わらないんだ、嫉妬や切なさはあるんだなって思いました。人を愛するってことが変わらないんだってびっくりしますよね。

それを大和先生が少女マンガという大きな手腕ですくい上げてくださり、それがとてもいいマッチングだった。だから今でも読まれるのだと思います。
「自立的な女性」光源氏の罪がマイルドに
その一つに、幼い光源氏が藤壺の宮と初めて出会うところがあります。池の水面を覗くと母親(桐壺の更衣)の姿が見えて、「お母さん…?」と思ったら実は藤壺だった、という場面です。
ああ、光源氏は幼い頃にお母さんを亡くしたから、母の面影を見て執着してしまうのも分かる……と共感させるテクニックなのだなと思いました。
おかざき:私は原作の方に詳しくないので、一体どこからどこまでが大和先生の創作なのか分からず読んでいるんですけど。
たられば:もちろん「あさきゆめみし」だけ読んでも面白いんですが、マンガ版を読んでからテキスト版を読むと、より面白くなること請け合いです。
それともう一つ、印象的な原作と違う場面があります。光源氏が藤壺と強引に関係を持って、「夢の中でずっと一緒にあなたといたい」と和歌を送るところ。
これ、元の源氏物語では、藤壺が「たとえ夢の中でいたとしても世間はこの話を醜聞として噂を立てるでしょう」という「義理の母なのに世間体が悪い」と返しているんです。わりとハッキリ、「拒否」の姿勢を示しています。
しかしこれが「あさきゆめみし」だと、藤壺は「私も共犯者になろう」「あなたとふたりでこの罪を背負います」と言っています。原作でも、そうとれないわけではありませんが。

おかざき:紫式部バージョンに詳しくないけど、わたしも「共犯」を感じる部分はかなりありました。
無理やり・受け身なだけじゃなくて、自分の気持ちも積極的に向こうにあるからつらい……という感じ。相手への気持ちがあるから悩まれている感じがします。
たられば:あー、そうか! 大和源氏(「あさきゆめみし」)では、女性がより自立的に描かれていて、そして自立しているからこそより悩みが深い、なるほど。
おかざき:女性にも感情はある、大和先生の中では普通のこととして描いているのかもしれませんけど。それが光源氏の行いをちょっとマイルドにしているのかもしれません。
おかざき真里さん:漫画家。2021年5月に最澄と空海を描いたマンガ『阿・吽』(ビッグコミックスピリッツ)が完結。フィール・ヤング(祥伝社)で『かしましめし』連載中。(https://twitter.com/cafemari)
たらればさん:「源氏物語」を愛し、だいたいニコニコしている編集者。ツイッターで漫画やゲームや古典の情報を発信している。(https://twitter.com/tarareba722)