「あさきゆめみし」雑誌黄金時代だから描けた光源氏の〝罪〟
漫画家・おかざき真里さん、編集者・たらればさんと読み解く
長く読み継がれている少女マンガ「あさきゆめみし」。新装版が発売され、美しい表紙カラーも評判を呼んでいます。原画展でその美しさを目の当たりにしたというおかざきさんは…… 出典: ©大和和紀/講談社
小説やマンガなど、形を変えて読み継がれている平安時代に紫式部が書いた「源氏物語」。そのなかでも受験生が必ず読むといわれるのが少女マンガ『あさきゆめみし』(大和和紀著・講談社)です。漫画家のおかざき真里さんと編集者のたらればさんがその魅力を語りました。おかざきさんは「感情に特化して描かれていて、1000年経っても嫉妬や切なさはあるし、人を愛することは変わらないんだなって思いました」と話しました。
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「あさきゆめみし 少女マンガと源氏物語」と題し、1月18日夜、Twitterのスペースにて、漫画家・おかざき真里さんと編集者・たらればさんのオンライントークを開催。講談社Kiss編集部・withnews協力。この記事は、当日のトーク内容を記事に再構成しました。この記事に続く後編は
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たられば:源氏物語と一言で言っても、解釈や現代語訳にはいろんな幅があるんですよね。研究者や訳者によって、それぞれにそれぞれの源氏物語があって、「あさきゆめみし」しか知らないという人も、この作品を入口にして古典文学研究の世界に入った人もたくさんいらっしゃると思います。それくらい、この世界の間口を広げた。偉大な作品ですよね。
おかざき真里(以下、おかざき):お話しする人によっていくらでも話が出てくるんじゃないでしょうか。
あさきゆめみし:連載期間1979年12月号(mimi)~1993年27号(mimi Excellent)。累計発行部数1800万部。画業55周年記念として、講談社より新装版1,2巻が2021年12月13日発売、3,4巻が2022年1月13日発売、2月10日に続刊も発売(全7巻)。全巻1話分の試し読みは
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たられば:このほど完結した『阿・吽』(平安初期を舞台に、仏教界のスーパースター空海と最澄の人生を描いた作品。2021年、全14巻完結)で僧侶をたくさん描いたおかざき先生としては、「マンガにしづらい問題」が共通点ですよね。
おかざき:「髪形と服が一緒問題」ですね(笑)。お姫様がみんな美しい黒髪と十二単という大和先生よりも『阿・吽』はちょっとシビアで、坊主と袈裟ばかり描いておりました。
最終巻の『阿・吽』第14巻 出典:©おかざき真里/小学館
たられば:この時代の美人を描こうとすると、長く美しい黒髪は必須事項で変えようがないですよね。
おかざき:白黒で表現する漫画家としては、トーンを貼ったり白くしたりしたかったと思いますがしょうがないですね。
何かのインタビューで、大和先生は必ず最初に姫君の名前を呼ぶようにしていたと伺いました。登場人物の呼び方も統一しているんじゃないかなと思います。
たられば:おかざきさんが初めて「あさきゆめみし」を読んだのはいつでしたか?
おかざき:中学生の頃、コミックスだったと思います。関西に住んでいましたが、画用紙くらいの厚さのトレーシングペーパーにカラーを描かれていたと聞いて、友人と原画展に行きました。
表に白い線で描き、裏から色を塗っていると聞いたんです。でもどれもきれいで「どれが厚口か分からんなぁ」と話した記憶があります。
まねして描いてみたこともありますが、紙がインクを吸わないので、粘度の高い白いインクを乗せているんじゃないかと。描くのも保存も大変なんじゃないかと想像します。
完全版1巻の表紙に使われたカラー 出典:©大和和紀/講談社
たられば:Kiss編集部によると、完全版の1巻カラーも厚口トレペに描かれているそうです。
おかざき:裏からカラーを塗ると、モヤがかかったような淡い色になって、その分の立体感も出でているんですよね。
たられば:受験対策や、親御さんがお子さんにプレゼントするので、毎年12、4月に重版がかかるそうです。
おかざき:古文の入試がある受験生は全員読みますよね。
ときどきマンガに対して「正しい」「正しくない」って言う人がいますが、私は「マンガを教科書代わりにしてくれるな」っていう派なんですよ。
マンガはあくまでエンターテインメント。そう訴える私でも、やっぱりあさきゆめみしは……と思ってしまいますね(笑)
源氏物語をぐっと身近にした少女マンガ「あさきゆめみし」。新装版1巻は光源氏が紫の上を抱いているカラーイラストが使われています 出典:©大和和紀/講談社
たられば:大和先生は文庫版のあとがきに「源氏物語の寿命を50年くらい伸ばせたのではないか」と書かれていますが、50年どころではないのではないかと。
源氏物語のような名作だと、千年前に書かれて、それからずっとそれぞれの時代でたくさん読まれ続けてきた……と思いがちですが、あまり読まれない時期もあったんです。
伝統のあるものって何も手を付けなくても勝手に続くと思いがちですが、これは価値があるんだ、後世に残したいんだと思うのであれば、誰かが「これ面白いよ!」「みんな読もうよ!!」と言い続けないと、たやすく無くなってしまう。「好きなものは好き」と言い続けることが大事だと思いますね。
おかざき:今回「あさきゆめみし」を読み返して、光源氏が思ったよりひどいやつではないと思いました。
もちろん現代の価値観で糾弾してはいけないんですが、大和先生の光源氏はひどいやつに見えない。
たられば:なるほど。僕は紫の上が大好きで、つい肩入れしてしまうので、そのぶん何度読んでも「光源氏は本当にひどいやつだ!」と思ってしまうんですが……(笑)。
おかざき:私が1990年代のデビュー当時に習ったことですが、女性誌と男性誌って大きな違いがあったんです。
青年誌は都内の駅のキオスクで、女性誌は書店で買われます。青年誌はかばんに入りやすいようにスリム化し、女性誌はぶ厚くなっていく。
女性の総合職も多くなかった頃で、女性誌は家でくつろいでいるときに両手でめくって読むものとされていました。男性誌はつり革に捕まって片手で読まれるから、編集者からはコマ割りは凝らず、迷わないようにしてほしいと言われましたね。
毎週買ってもらうため、次の話へのヒキが大切な青年誌。女性誌は1カ月間、家にあって何度も読むので、見開きの絵が大事になってくる。
あさきゆめみしの見開きページ。「大和先生は『感情表現』というより、宮中のようすを見開きで描く。感情が高ぶったときではなく、ほんのちょっと一息つくような図解のように見開きをつくっていらして。そこがまた美しくて見惚れます」と話すおかざきさん 出典:©大和和紀/講談社
たられば:じっくり見ても耐えられるような見開きの絵が描かれるわけですね。
おかざき:女性誌は、ストーリーを次に次に進めるというより、その世界にダイブする感情表現・感覚表現が入れ込まれるようになったそうです。
今よりも遥かに「雑誌」に力があった時代。大和先生も感情を表現することに注力したのではないでしょうか。
光源氏のやっていることは相当ひどいんだけれど、その光源氏自身も悩んでいる。姫も能動的に飛び込んで悩んでいる様子が描かれているので、1カ月、その恋の苦しさを味わえるわけです。
感情や感覚、「あはれ」といった、気持ちの琴線に触れる部分をより多く感じ取れる筆致ですよね。それに乗って読んでいるうちは、一方的に「なんてひどいことを」とは読めないです。
たられば:古文を自分で訳していると感じますが、1000年以上前の貴族の話って、当たり前なんですが現代を生きる私たち読者とは生活習慣も常識も全く違います。
源氏物語は1000年前の宮廷貴族を想定読者として書かれていて、その後、50年後くらいまでは「あはれ」と書けば意味が分かって共感できたと思うんですね。
当時の実在の人物・事件や人間関係をモチーフにした記述もあるし、相手によって微妙に変わる敬語のニュアンスを読み取ることで「みなまで言わなくても分かる」だとか「分かる人だけ分かる(からこそ面白い)」というような、同時代に読まれることが前提の記述がたくさんあります。
姫君に思わず感情移入してしまう「あさきゆめみし」。新装版3巻の表紙 出典:©大和和紀/講談社
たられば:今は古語辞典を引かないといけないし、引いてもそれだけでは足りない。いまの英語や中国語を訳すのとも全く違って、違いを飛び越えるために「平安脳」にならないといけないんですよね。
だけど、そうした「世界観の隔絶」は、マンガで感情表現を丁寧に描いていくことで飛び越えやすくできるんだなと思いました。
もちろんこれは大和先生のとんでもない力量があってこそなんですが、それでも『あさきゆめみし』を読むと、多くの人が1000年前の姫君に感情移入できて、一緒に泣いたり怒ったりできる。これってすごいことですよね。
おかざき:1000年以上経っても感情って変わらないんだ、嫉妬や切なさはあるんだなって思いました。人を愛するってことが変わらないんだってびっくりしますよね。
生霊となった六条の御息所が夕顔をとり殺す印象的なシーン 出典:©大和和紀/講談社
おかざき:紫式部も感覚を大事に書いていたんだと思います。それが文学として残っているゆえんでもありますよね。
それを大和先生が少女マンガという大きな手腕ですくい上げてくださり、それがとてもいいマッチングだった。だから今でも読まれるのだと思います。
たられば:「あさきゆめみし」には、オリジナルの演出、というか、「源氏物語」の原文・原作(……という書き方はいろいろと問題があるのですが、ここではざっくりと「一般的に紫式部が書いたとされる、原初のテキスト版源氏物語として流通しているもの」、という意味だととらえてください)には存在しないシーンがいくつかあるんです。
その一つに、幼い光源氏が藤壺の宮と初めて出会うところがあります。池の水面を覗くと母親(桐壺の更衣)の姿が見えて、「お母さん…?」と思ったら実は藤壺だった、という場面です。
ああ、光源氏は幼い頃にお母さんを亡くしたから、母の面影を見て執着してしまうのも分かる……と共感させるテクニックなのだなと思いました。
おかざき:私は原作の方に詳しくないので、一体どこからどこまでが大和先生の創作なのか分からず読んでいるんですけど。
たられば:もちろん「あさきゆめみし」だけ読んでも面白いんですが、マンガ版を読んでからテキスト版を読むと、より面白くなること請け合いです。
それともう一つ、印象的な原作と違う場面があります。光源氏が藤壺と強引に関係を持って、「夢の中でずっと一緒にあなたといたい」と和歌を送るところ。
これ、元の源氏物語では、藤壺が「たとえ夢の中でいたとしても世間はこの話を醜聞として噂を立てるでしょう」という「義理の母なのに世間体が悪い」と返しているんです。わりとハッキリ、「拒否」の姿勢を示しています。
しかしこれが「あさきゆめみし」だと、藤壺は「私も共犯者になろう」「あなたとふたりでこの罪を背負います」と言っています。原作でも、そうとれないわけではありませんが。
おかざきさんは「姫君の『共犯』を感じる部分はかなりあった」と話します 出典:©大和和紀/講談社
たられば:漫画だと、より、その道を「自分で選んだ感」があって。「自立的」というキャラクター造形なんでしょうか。流されるのではなく「藤壺は藤壺で、光源氏と共犯関係になり罪を背負うことを自分で選んだ」という描かれ方が、光源氏の罪をマイルドにしているような感じがします。
おかざき:紫式部バージョンに詳しくないけど、わたしも「共犯」を感じる部分はかなりありました。
無理やり・受け身なだけじゃなくて、自分の気持ちも積極的に向こうにあるからつらい……という感じ。相手への気持ちがあるから悩まれている感じがします。
たられば:あー、そうか! 大和源氏(「あさきゆめみし」)では、女性がより自立的に描かれていて、そして自立しているからこそより悩みが深い、なるほど。
おかざき:女性にも感情はある、大和先生の中では普通のこととして描いているのかもしれませんけど。それが光源氏の行いをちょっとマイルドにしているのかもしれません。