マンガ
「あさきゆめみし」に隠された…同業者も気づかなかったトリック
漫画家・おかざき真里さん、編集者・たらればさんと読み解く

小説やマンガなど、形を変えて読み継がれている平安時代に紫式部が書いた「源氏物語」。そのなかでも受験生が必ず読むといわれるのが少女マンガ『あさきゆめみし』(大和和紀著・講談社)です。漫画家のおかざき真里さんと編集者のたらればさんが、それぞれの好きな姫君の魅力を語りました。おかざきさんは「見る人によって姫の立場が変わる」と指摘します。
少女マンガの技法、背景の「花」
おかざき真里(以下、おかざき):私の場合、花を描くのになぜか照れがあり、魚やつぶつぶのモチーフを描いているんですが(笑)、この頃は、少女マンガといえば背景の花でした。
少女マンガは、あまり人の影を真っ黒につけないんですよね。だから青年誌に行ったら、影やスピードの線を筆のタッチでがんがん描ける、そういうのを描いてみたいと思っていましたね。
もしかしたら大和先生、花を描くときすごく楽しかったのではないでしょうか。それがすごくいい効果を生んでいますよね。

女三の宮なら青柳、紫の上なら樺桜(カバザクラ)とか、藤壺ならまあやっぱり藤の花。「桐」(桐壺の更衣)も「藤」(藤壺の宮)もどちらも紫色の花であることは、もちろん狙って揃えたわけですね。
このように、キャラクターと花を関連づけることで、当時の読者は「こういう姫様なんだ」という連想ができます。
おかざき:江戸時代の「錦絵」や浮世絵は、花を添えて描かれています。少女漫画もそれに引っ張られて描くようになったのかな? と今ふと思いました。

蜘蛛の巣柄の着物、もう一人は?
柄を見ていると面白くて、本編と関係のない女房が出てくると、その柄は無地だったりするんです。主要人物ではないことが柄からも分かります。
たられば:着物の柄といえば、光源氏が夕顔のもとに泊まったとき、六条の御息所の怨霊が現れますが、着物の柄が蜘蛛の巣でしたからね。
おかざき:女流日本画家の上村松園が、六条の御息所をモチーフに「焰」という絵を描いています。着物の柄が「蜘蛛の巣」なんです。
実は「あさきゆめみし」では、同じ蜘蛛の巣の柄をもう一人、とある場面で着ているんです。それは誰で、どこの場面でしょう?

おかざき:読み返していて気づいたんですが、柏木を問い詰めるとき、源氏の衣に蜘蛛の巣の柄が浮かぶんです。

おかざき:最初そんな柄を着ていたっけ?と思うんですが、嫉妬の炎が出た時に、蜘蛛の巣がわーっと浮かび上がるんです。
たられば:いま鳥肌がばーっと立ちました。
おかざき:六条の御息所は夕顔や葵の上を呪い殺します。紫の上も呪いで死にかけますし、女三の宮のことも「尼にしてやった」って笑いますよね。柏木を問い詰めたときの源氏に、六条の御息所が乗り移っていたのではないか、と思いました。
きっと「あさきゆめみし」には、まだまだ私の気づいていないトリックがあるんだと思います。
好きな姫君ランキング、意外な結果?
2位が穏やかな花散里、3位が紫の上、4位が夕霧の妻の雲居の雁、5位が源氏の一人娘を産んだ明石の御方(明石の上)でした。いやあ、正直びっくりしました。意外だなあと。
おかざき:たらればさんのフォロワーさんならでは、の結果ですよね。
#あさきゆめみし好きな姫君 アンケート結果です!! pic.twitter.com/lbc54novNk
— たられば (@tarareba722) January 18, 2022
たられば:そ、そういうものですかね…。ありがとうございます(ありがとうございます?)。
これ、「1位 葵の上」っていうのも意外な結果じゃないですか?
おかざき:そうですか? 私は納得です。20年前、長女に「葵ちゃん」ってつけたかったくらいですよ。
そこから5年以上、名前ランキングの上位に「葵」が入っていました。「あさきゆめみし」を読んでいた世代が親になったんだ!と思ってしばらく過ごしていました。
たられば:そうかあ……。ええと、葵の上って源氏物語の作中で和歌を詠んでいないんですね。紫式部は葵の上に一首も和歌を詠ませなかった。
唯一、葵の上が和歌を口にするのは六条の御息所が乗り移った時だけで、いきなり詠み出したものだから光源氏は「この人は葵の上じゃない、お前は誰だ」となるわけです。

紫式部は葵の上にそんなに思い入れがないのかな、と思っていたんですが、こんなにファンがいてびっくりしました。
おかざき:読み返してみて、葵の上がこんなに最初に登場して、もう退場しちゃうんだとびっくりしました。
でも最初の登場人物って、後の人物の業を背負ってるところがありますよね。素直になれない、幼い、プライドが高いとか。そうして「私は愛していたのだ」「ただ笑えばよかった」と気づくのは大きいですよね。
奔放で明るい「朧月夜」
おかざき:六条の御息所が1位ですってなかなか言いづらいですよね。リプライで言及されている人はかなりいらっしゃって、「読み返して、自分が年齢を経てきたら、若い人に対しての嫉妬やプライドが邪魔をしてくるという気持ちが分かった」と。
たられば:なるほどなるほど。「一番好きな姫君は」と聞いたからこの順位、というのはありそうですね。一方で朧月夜はどうでしょう。
右大臣の六番目の姫君で、育ちの良さは抜群。最初から光源氏を振り回したうえに、春宮への入内が予定されていた朧月夜は上位じゃないかと思ったんですけどね。
おかざき:皆さんのコメントを読んで「あ、朧月夜は奔放な女性なんだ」って気づかされました。

ただ、平安時代の月って、今でいう太陽みたいな扱いだったのかもしれませんね。奔放で明るくて。夜の唯一の照明ですもんね。
たられば:おかざき先生がおっしゃっていた、「明石の上」と「夕顔」、それぞれ好きな理由は何ですか?
おかざき:明石の上は、自身の身分や立場を分かっている感じが好きですね。
自由って「自らを由とする」と書くじゃないですか。自分で「自分がこうです」と分かっている人が好きだし、憧れます。

たられば:幽霊みたいに描かれていてすごい絵ですね。
おかざき:まるで六条の御息所なんじゃないかと思ってしまうんですが、夕顔とされています。
少女マンガだから描けた「逃げ道」
「あさきゆめみし」では、「もうこんなところにいられるか」って屋敷から出ていくシーンが描かれる。これって、貴族の身分を捨てるってことですよね。
紫式部っていろんな姫君を描いていて、当時の人々にとっては絶対的なタブーとされていた「入水自殺」も描いています。多彩な姫君の多彩な運命を、実に多彩な筆致で描いている。
その紫式部でも、「貴族ではない自分」「庶民に戻る」ということは描けなかったと思っているんですよ。だけど、それを大和先生は描けたんです。

原作では、双六で良い目を出すために「明石の尼君明石の尼君」と言ってサイコロを振るシーンを最後にして、物語から消えていきます。でも「あさきゆめみし」では、「こんな面白くないところにはいられない」といって貴族の世界から逃げ出して、庶民の世界へ帰ってゆく。この発想は紫式部には思いつかないのではないかなと思うわけです。
おかざき:近江の君は、大和先生が紫式部を超えたところなんですね。近江の君に、未来を用意した。
たられば:そうなんですよ。これって現代にも通じる問題だったりしますよね。
結婚相手選びに失敗したり、仕事選びで間違えたりして、「でもここから逃げたら生きていけない……」と思って、我慢しちゃうことって今でもたくさんあると思うんです。もしかしたら紫式部自身もそう考えていたかもしれない。
でも「嫌だったら逃げればいいじゃないか」という道があってもいいですよね。「この世界から出ていっても大丈夫なんだよ」っていう大和先生のメッセージに思えて。
姫様みんな、しんどいじゃないですか……。貴族の生活から逃げられないし、裏切られても嘘をつかれても、いつか振り向いてくれるかもしれない相手に期待して、耐えて待つしかない。
ひとりぐらい「こんな生活いやだ」と思って逃げてもいい、それを近江の君に仮託したんじゃないかと思っています。

たられば:面白いですね。
おかざき:最初から最後まで、感情がどんなにかきみだされようが、たった一人の愛する人のそばにいられたのは紫の上しかいないんですよね。
残酷な読み方をすると、「感情がそれほどかきみだされるのも、またおかし」ぐらいの気持ちになってしまいます。
たられば:田辺聖子先生は、「源氏物語は紫の上の物語だ」と書いていましたね。紫式部は完璧な男のことは描けなかったけれど、完璧な女性は描けたと。それが紫の上のことだと。
大河ドラマの終わらせ方
おかざき:これは大和先生の手腕だと思いますが、姫君って、死ぬ間際に「自分ってこうだったな」と悟って死んでいくんですよね。
1回死んだとされているからかもしれないけど、浮舟だけが、「人は生きながらひとりで生きひとりで死んでいく」と、生きながら悟ります。そういうところが私は好きでしたね。
たられば:僕は、光源氏と頭中将が雅楽の演目「青海波」を踊るシーンが好きなんですよね。なんというか、ザ・見開きカット、という感じがして。
ここは、紫式部も元のシーンを書いているときに、当時の読者を意識していたと思うんです。最高のイケメンが舞い、宮中がわーっとなって。当時の読者たちに「あなたたち、こういうのが読みたかったんでしょう」と狙って書いた気がします(笑)。
で、大和和紀先生もそういう紫式部の意図を読み取って、「よし、わかった、わたしもここは読者のためにサービスしましょう!」と、二人の絢爛豪華に踊る姿を思いっきり描いたのではないかなと。

たられば:最終巻で、浮舟が(回想で)光源氏とおぼしき人の声を聞くシーンも「大和節」だなぁ……と思います。モノローグで声が響いていく。源氏物語ではない物語の閉じ方のすばらしさですね。

それが、「あさきゆめみし」ではちゃんと「閉じて」います。まるで、「紫式部先生、大河ドラマってこうやって終わらせるんですよ」という大和先生の横綱相撲のように感じました。圧巻というか、あっぱれですね。
おかざき:まさに大河ドラマそのものですよね。浮舟が流れ流れて大海に行き着くように、それぞれが大河の一滴であって。本当にそんな感じですね。
おかざき真里さん:漫画家。2021年5月に最澄と空海を描いたマンガ『阿・吽』(ビッグコミックスピリッツ)が完結。フィール・ヤング(祥伝社)で『かしましめし』連載中。(https://twitter.com/cafemari)
たらればさん:「源氏物語」を愛し、だいたいニコニコしている編集者。ツイッターで漫画やゲームや古典の情報を発信している。(https://twitter.com/tarareba722)