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父に守られ生き残った僕 〝あしながおじさん〟になったバスケコーチ
B3・岐阜スゥープス杉本憲男さんインタビュー
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B3・岐阜スゥープス杉本憲男さんインタビュー
12月は例年、交通事故で亡くなる人が最も多い月です。亡くなる人がいれば、取り残される人もいます。バスケットボールのBリーグでコーチを務める杉本憲男さん(40)が1歳のとき、父は杉本さんを守るようにして事故で亡くなりました。杉本さんは「お父さんが生きていた方がよかった」と自分を責めたこともありましたが、現在は集めた募金を寄付するなど〝あしながおじさん〟としても活動しています。(朝日新聞withnews編集部・川村さくら)
12月は日照時間が短く、年末に向けて人の移動が多くなる時期。交通事故で亡くなる人が最も多い月でもあります。
警察庁の統計を見ると、少なくとも2000年以降25年連続で、12月の死者数が最多でした。
2024年の場合、最も少ないのが3月で177人なのに対し、12月には287人が亡くなりました。
そんな数字の奥には、1人1人それぞれの人生があります。
大切な人を事故で亡くしたうちの1人が、バスケットボールB3のチーム「岐阜スゥープス」の杉本さんです。
現在行われている2025-26シーズンでは、コーチ陣と選手たちの橋渡し役となるアソシエイトコーチとして活動しています。
1984年12月に滋賀県で、男4人兄弟の末っ子として生まれました。
「父は僕が生まれたことがうれしくて、兄に知らせに小学校まで行ったと聞いています」
そんな父・光男さんが交通事故で他界したのは、杉本さんが1歳のときでした。
光男さんが杉本さんを車に乗せて喫茶店に向かっていた途中、居眠り運転のトラックと衝突しました。
杉本さんを守るように体を覆い被せていた光男さんは亡くなり、杉本さんに大きなけがはありませんでした。
「僕にとっては、物心ついたころから父はいなかったし、それが当たり前でした。喪失感は兄たちのほうが大きかったんじゃないでしょうか」
1歳で失った父についての記憶はありません。ただ、小さいころから家族や親族から事故の話は聞いていました。
その影響なのか、子どものころには「訳もなく突然不安に襲われることがあった」と言います。
「僕自身は覚えていないんですが、家の2階から飛び降りようとしたり、母とお風呂に入ろうとしたときに突然泣きわめいて『自分よりお父さんが生きているほうがよかったんだ』と叫んだりしていたそうです」
大学時代には、事故でトラックを運転していた男性と顔を合わせたこともありました。
法事に母が呼び、50代くらいの男性が家に来て仏壇に手を合わせていました。
聞いたところによると、男性は事故の前日に徹夜で麻雀していて、事故時に居眠り運転をしていたそうです。
「兄が『こいつ(杉本さん)がいままでどんな気持ちで生きてきたか分かってんのか』って怒鳴っていたのを覚えています」
杉本さん自身は「怒りとかではなく、表現できない感情がわいてきた」といいます。
このころにはまた、「将来子どもを持ったとき、自分は子どもに覆い被さって守れるだろうか」とひとりで考えて涙を流すこともありました。
そんな杉本さんの人生の柱になってきたのが、バスケットボールでした。
小学1年生のときに兄の後を追って始め、5年生のときには全国大会へ。
高校時代は県内の強豪校・県立八幡工業高校でプレーし、ウインターカップではベスト16の結果を残しました。
中学生のとき兄に娘が生まれて以来、子どもと遊ぶことが好きで、高校時代には保育士という夢ができました。
保育士資格を取れることと、バスケ特待生として授業料を一部免除してもらえることから、岐阜県の中部学院大へ進学。
大学では幼児体育の分野に出会い、卒業後は派遣会社に所属して保育園や幼稚園で体育を教えながら、現チームの前身であるクラブチームに参加するようになりました。
母・俊子さんはパートをしながら女手ひとつで4人兄弟を育て上げました。
4人はみな、交通遺児育英会の貸与型奨学金制度を使って高校、大学や専門学校へ進みました。
児童文学のタイトルから、よく「あしながおじさん」と呼ばれる遺児支援。杉本さんもその制度のおかげで高校、大学へ進めたといいます。
「お金を借りられたことで高校、大学に進めて、スゥープスに入れて今がある。交通遺児育英会は自分の人生を手助けしてくれたもの。もらうだけじゃなく、今度は自分ができることをしたいと思いました」
「自分ももちろん寄付しますが、それだと一過性だし、制度への認知度は上がりません。募金を『集める』活動にすることで、細くても長く募金活動を続けて、認知度も上げられると思いました」
杉本さんは2020年からホーム戦の試合会場に募金箱を設置してもらうことにしました。
これまでに40万円以上を交通遺児育英会に寄付しました。
2020年には会社員を辞めて、幼児体育や運動指導のための会社「サンクスアクティビティ」を設立。
社名は「当たり前に感じるようなことにも感謝できるような子になってほしい」「素直にありがとうを言えるような子になってほしい」と考えて付けました。
さらに学生時代に児童養護施設へ実習に行ったことを思い出し、施設の子どもたちにできることをしたいと、ボランティアで運動支援に行くようになりました。
そこで施設職員から「『かわいそう』っていうイメージがあるけど、実際の子どもたちは元気に過ごしている」といった話や、「高校卒業後は施設を出なければならず、その後連絡が取れなくなる子もいる」といった話を聞きました。
子どもたちが夢や希望を持ってやがて社会へ出られるよう、多くの人を巻き込んでみんなで笑顔になろうと立ち上げたプロジェクトが「ALL Smiles」。
サイトで衣類やクッション、コップなどのグッズを1品購入すると、3人の子どもをスゥープスの試合観戦へ招待できます。
「一生懸命バスケをやっている姿やチームスタッフたちが働いている姿を見て、夢や希望を持ってほしい。さらに『こんな仕事をやってみたい』と感じてもらえたらいいなと思っています」
1歳で光男さんと生き別れ、「父親像というものが自分にない」という杉本さん。
振り返ると、バスケのコーチや働いていた会社の社長など、身近にいる年上の男性たちを「父に置き換えていたかもしれない」と話します。
結婚し、7歳、9歳、11歳の3人の子どもの父になった今も、父親というものがどんな存在なのか、「ずっと手探り」なのだそうです。
でも、杉本さんはいま、募金活動や児童養護施設への支援活動を通して、たくさんの子どもたちの〝あしながおじさん〟であり、〝お父さん〟になろうとしています。
【杉本さんの活動をもっと知りたい方は】
◇杉本さんのインスタグラム
◇岐阜スゥープスのホームページ
◇運動教室「サンクスアクティビティ」のインスタグラム
◇児童養護施設の子どもたちを支援する「ALL Smiles」
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