能登半島地震では、発災から2週間を経てなお、1万数千人が体育館や集会所などの「1次避難所」で避難を余儀なくされています。阪神・淡路大震災でのボランティアを機に数々の被災地支援にかかわり、今回の地震では石川県七尾市で支援する「被災地NGO恊働センター」の増島智子さん(53)に、避難所運営で足りない多様な視点や、災害支援にかける思いを聞きました。(デジタル企画報道部・畑山敦子)
――能登半島地震では、どのような支援をされていますか
1月6日から七尾市に入り、約180人が避難する小学校の避難所の運営支援や、避難所以外にいる被災者の方の状況把握などにかかわっています。ボランティア受け入れ拠点の整備などもしています。
――七尾の避難所はどのような状況ですか
電気は復旧しましたが、断水が続いています。
6日に小学校の敷地内に自衛隊などの方々がテントを張ってお風呂を開設して、助かった方も多いです。
しかし、居住スペースの体育館から離れているので、湯冷めして体調を崩さないかを心配して、入浴しない高齢者の方もいます。
高齢者や身体障害のある方にとっては数分の移動も大変で、応急的な避難所での生活は厳しいと感じます。衛生面や体調管理が心配です。
集落が点在する能登地域の事情や被災した道路状況、初動の遅れもあると思いますが、ほかの災害と比べても物資が届くのが圧倒的に遅いと感じます。
被災から2週間経っても食べ物が十分届かず、段ボールベッドの数も足らず綱渡りの状況です。
――高齢者や子育て中の人への支援はどうなっていますか
トイレは少しでも利用しやすいよう、運営リーダーを担う住民の方々と相談し、屋内に災害用トイレを設置しました。
授乳中の方もいらっしゃいます。授乳する場所が確保できないかかけあって、たまたま支援する企業が届けてくれた簡易更衣室を体育館に入れました。
――避難所では被災者のニーズをどうくみとっていますか
避難所で困りごとがあっても、避難して身を寄せている方からは言いづらいものです。
同じ地域でも、集落が違うと距離感も違うし、人間関係もさまざまだと感じます。
私のような立場はしがらみがない分、あっちを立てつつ、こっちを立てつつ、ニーズをくみとるようにしています。
――授乳もそうですが、生理用品など女性ならではの必要な支援がありますね
生理用品は、ほかの支援物資と並んでオープンな場所にあるととりづらいので、あえて人目につかない場所に置きました。
外からのボランティアの数が不足しているので、避難者の方や住民の方が自主的に炊き出しをされています。
しかし料理をつくるのは女性の仕事という意識が強いせいか、多くは女性なのも気がかりです。
避難生活が長引いていて疲れがたまっているのは皆同じです。もっと男性と分担していけるのではと思います。
――女性の声が届きにくい理由はあるのでしょうか
私が見た避難所はほんの数カ所ですが、男性のリーダーの方が多い傾向です。行政の対策も変わっていないと感じます。
災害や紛争の時、人道支援活動のために国際赤十字などがつくった「スフィア基準」(人道憲章と人道対応に関する最低基準)があります。
トイレは男女別で女性の比率を高くするといった女性への配慮や、1人あたり3.5㎡のスペースを確保することが定められています。
しかし私が見る限り、今回の能登の被災地でも守られているとは言えません。
ガイドラインはあるものの、国内のほかの被災地をみても、災害現場でその計画が守られているのかは疑問が残ります。日本は特に諸外国に比べて遅れていると感じます。
――災害の備えとして重要なことは何でしょうか
防災計画や対策をつくる段階から、女性はもちろん多様な立場の人の意見をふまえてほしいです。
女性や高齢者、子ども、障害のある人、性的マイノリティーの方に対応できる重層的な支援が必要だと感じます。
――1995年1月の阪神・淡路大震災から災害の支援を続けてこられましたが、どう感じますか
阪神・淡路の震災で、災害関連死や仮設住宅での孤独死を目の当たりにし、これ以上犠牲者を増やさないように意識して活動してきました。
でも、日本ではこれだけ災害が多いにもかかわらず、「その記憶や被害から学んだことが生かされていない」と感じることは、まだたくさんあります。自分に何ができるか、考え続けながら活動しています。
今後、ボランティアの受け入れも増えていくと思います。中長期的に被災地に関心を寄せてもらえたらと願います。