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お雑煮は角・丸餅?焼く?煮る? 独自の食文化貫く鹿児島・高知の謎
お正月にいただくお雑煮。具材は家庭や地域によってさまざまで、年末年始になるとそれぞれの味や変わり種の具材自慢も始まります。そんなお雑煮の餅の形と調理法を地図にしてみると、境界線や文化圏が見えてきました。(朝日新聞デジタル企画報道部・小川詩織)
15年以上、全国を渡り歩いて調べているというお雑煮研究家の粕谷浩子さんに聞きました。街中で「すみませーん、お正月にどんなお雑煮を食べていますか?」と聞いて回っているそうです。
そんな粕谷さんの調査によると、東日本のお雑煮には「角餅」、西日本では「丸餅」が多いことがわかります。
角餅と丸餅の境は、岐阜県と滋賀県あたりに位置しています。この境界は、関ケ原や百名山の伊吹山にあたります。
そもそも古来より餅は丸餅が基本だったといいますが、東日本では丸餅を見たことがないという人がいるくらい角餅がメジャーになっています。
粕谷さんは「大量生産による効率化のためです」と説明します。
もともと、お雑煮は武家のもてなし料理がルーツだといいます。一方で、つきたての餅をすぐに食べようとすると、そのまま丸めて食べるのが一般的でした。
そのお雑煮が江戸で庶民へと広がってからは、一つずつ餅を丸めるよりも、ついた餅をのばして固まってから一気に切り分けた方が効率的となり、角餅が広がったそうです。
ただ、この大量生産方式の角餅が滋賀県と岐阜県にまたがる伊吹山を越えることはありませんでした。
粕谷さんは「霊峰である伊吹山は多くの修行者が登った山ですが、商人たちは行き来しなかったのでしょう」と分析します。
お雑煮の餅の調理方法についても、「焼く」か「煮る」かはざっくりと東日本と西日本で分かれます。
東日本は「焼く」、西日本は「煮る」が多くなっています。この西日本と東日本で分かれる傾向は、餅の形でも同じです。
形と調理方法の地図を合わせて見てみると、東日本では「角餅を焼く」、西日本では「丸餅を煮る」という食べ方が主流だということがわかります。
粕谷さんは「固い状態で売られていた角餅は、焼くほうが早く柔らかくなったため、『角餅は焼く』が主流になっているのだと思います」と推測します。
ついた餅を固まってから切り分けていた角餅は、カチカチの固い状態で販売されていたので、焼くほうが早く調理ができたようです。そして、その「焼く」文化が根付いたのでは、と考えられるそうです。
一方、つきたての餅を食べていた丸餅文化圏では、「柔らかい状態=煮た状態」で餅を食べる文化が根付いているのだろうということです。
東日本が「角餅×焼く」、西日本が「丸餅×煮る」が多いなか、そのエリア内での例外も見られます。
例えば、高知県と鹿児島県。周りを「丸餅×煮る」に囲まれるなか、「角餅×焼く」という文化を押し通しています。
粕谷さんは、この二つの県での食文化の背景に政治的な理由があったのではと推測します。
鹿児島は、13代将軍・徳川家定に嫁いだ篤姫がいたりと、なにかと江戸とつながりがある島津家が、江戸の角餅文化を持ち帰ったといわれているそうです。
高知は、掛川(静岡)城主だった山内一豊が土佐藩主となり、角餅文化を東日本から持っていったといわれています。
他にも、山形県では「角餅・丸餅×焼く・煮る」といったすべてが混在しています。角餅文化圏にありながら、日本海側の庄内地域では丸餅文化があります。
これは、江戸時代の北前船の影響とのこと。庄内は、大阪や京都から物資を積んだ船の日本海最大の寄港地で、荷物とともに関西の食文化が伝わり、定着したようです。
粕谷さんは「お雑煮は地域によって歴史あり、文化あり、個性あり…と様々。私も調べるたびに発見がいっぱいです」と話します。
地図から見える、角餅か丸餅か焼くか煮るか――。読者のみなさんのお雑煮はどうですか? 「いやいや、うちのお雑煮はこうだ!」という報告もお待ちしております。
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