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中山競馬場のとなりに〝謎の円〟 82年前、ここからあの暗号が…
グーグルマップで中山競馬場を調べてみると、あれ? すぐそばにきれいな円形の道路が……これっていったい何の土地? 現在は公園や団地になっている場所に、かつて日本海軍の無線基地がありました。ここは1941年12月、ある暗号電文を中継した場所でした。歴史の光と影を今に伝える土地を取材しました。(朝日新聞デジタル企画報道部・武田啓亮)
中山競馬場の南東に、真円に近い円形の土地があります。
直径約800メートルの円の中には公園や団地があり、円の外周を取り囲むように道路が走っています。
どうしてこのような不思議な形をしているのでしょうか。
船橋市の飛ノ台史跡公園博物館の職員・山本稔さん(68)が解説してくれました。
「あの場所にはかつて、海軍の無線電信所がありました。不思議な形状はその名残なんです」
1915(大正4)年に作られたこの電信所の主な役割は、遠く離れた海上にいる艦隊と通信をつなぐことでした。
「円の中心に立つ200メートルの主塔を取り囲むように、円周上に18本の副塔が配置されていました。世界的に見ても有数の規模で、当時は『東洋一』とうたわれていました」
海軍の施設として作られた無線塔でしたが、遠洋の船に向けて新聞記事の朗読を放送するなど、戦前には民間利用されていた時期もあったそうです。
「完成の翌年にあたる1916年には大正天皇とアメリカのウィルソン大統領との間で電文の交換が行われました」と山本さんは話します。
「両国の友情を強固にし、平和の声を世界に」
ウィルソン大統領からの電文には、そんな文言が書かれていたそうです。
山本さんは「1923年の関東大震災では、被災地の状況を国内外に広く発信し、救援活動に役立ったと言われています」と語ります。
その後、日本が軍国主義へと傾倒していくにつれ、無線塔の民間利用は減少していったそうです。
やがて、日本は満州事変、日中戦争へ突入していき、日米関係も急激に悪化していきます。
そして1941年12月2日、連合艦隊の旗艦「長門」から暗号電文「ニイタカヤマノボレ1208」が発信されます。
アメリカ太平洋艦隊の司令部が置かれている、ハワイの真珠湾への攻撃を実行に移せという命令でした。
この電文を無線塔が中継し、北太平洋に展開していた機動部隊へと伝えられました。
この作戦命令を受けた機動部隊は、真珠湾へと針路を取ります。
そして12月8日に真珠湾への奇襲攻撃が成功し、日本はアメリカとの戦争へ突入していきました。
ウィルソン大統領との電文交換から25年後のことでした。
敗戦後、電信所はアメリカ軍に接収・利用されることになりました。
「戦後しばらくの間、無線塔をアメリカ軍が使う一方で、円の内側の土地を地元住民が農地として借りるなど、奇妙な状況もあったようです」と山本さんは話します。
1966年にはアメリカ軍から返還され、役目を終えた無線塔は70年代に解体されました。
跡地は団地や公園として利用され、無線塔があったことを伝える記念碑が建てられています。
山本さんは「電信所の跡地は、歴史の光と影、両方を学ぶことができる貴重なものです」と話します。
「日米関係の変化を象徴するふたつの電文だけではなく、関東大震災の時に救援に役立った一方で、『朝鮮人が暴動を起こした』というデマを流してしまい、虐殺をあおる結果になったという一面もあるのです」と山本さんは指摘します。
最近は、グーグルマップなどを使って航空写真を見た人から「この場所はなぜこんなきれいな円形をしているのか」といった問い合わせが博物館に来ることも多いそうです。
山本さんは「『なんでこんな形なんだろう』という疑問を、歴史を探究するきっかけにしてもらえたら嬉しいです」と話しています。
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