連載
#18 #令和の専業主婦
発達障害の育児専念「向き合ううちに何年も…」専業主婦、再就労の壁
「再就職の壁をめぐって、社会は未だ不足していることだらけだと感じます」
「子どもにまっすぐ向き合っていたら、何年も時間が経ってしまっていた感覚」――。発達障害のある中学生の子どもを育てる女性が、産後10年以上経ってようやく自分の時間がとれるようになって気づいた、再就労の難しさについて聞きました。
西日本に住む40代の女性は、現在中学生の長女と夫の3人で暮らす専業主婦です。
「専業主婦だと、働いている主婦から『優雅でいいわね』と冷たい視線を注がれていると感じる時があります」
女性が会社員を辞めたきっかけは、長女の出産でした。
「子育てが落ち着いた時点でまた働くつもりでいた」ものの、産後すぐから、子育てのしにくさを感じるようになります。
「長女はとにかく寝ない子でした」
生まれたばかりの頃から、昼も夜も抱っこをしていないときがないくらい、「寝たと思っておろすとすぐに泣いてしまっていた」。
子育てサークルに顔を出したときなどに寝かしつけのコツを聞き、たくさんの方法を試しましたがどれも効果がありませんでした。
抱っこをしたままでないとお昼寝もしないため、「他のお母さんたちは、子どものお昼寝の時間に自分の時間を作れていると聞いたときは、とてもつらかったです」。
夜も寝付きが悪く、寝たとしても数時間で起きてしまい、女性が朝まで眠ることはできませんでした。
子どもにつきっきりで、外出もままならない日々。「ママ友」と呼べる人を作る機会にも恵まれませんでした。
女性とつきっきりでいないと極度に不安を感じている様子があったり、3歳を過ぎても朝まで通して寝ることができないなど、長女の発達に不安を感じていた女性。
3歳を過ぎた頃に病院の受診予約をし、4歳になる少し前にようやく受診することができました。
すると、医師からは「発達障害」と診断されたそうです。自閉スペクトラム症や、母子分離不安、集団不適応といった言葉が並んでいたといいます。
その頃、幼稚園に通い始めていた長女ですが、幼稚園に行きたくないと泣き、行ったとしても園から送られてきた写真にはこわばった顔で写っていました。結局、半年しか通えませんでしたが、診断には思い当たる節がたくさんあったといいます。
長女をどう育てたらいいのか――。「わらにもすがる思いで子育て支援センターを訪ねても、育て方の指導をされるだけ。泣いてばかりの時期もあって、私のメンタルも危なかった」と振り返ります。
ある日ふと、「どうやったら自分が楽になれるか」と考えてみたという女性。
「娘が笑っていないと自分も笑えない」「娘の社会性を育てたい」との思いを持ったそうです。
長女が社会になじむためのサポートをできる限りしよう。そう決めて、出産時に希望していた再就労の道への意識は、まったくなくなっていました。
長女が安心して通える園を探そうと、行政と相談して、車で片道30分ほどの保育施設に週3回、一日1~2時間ですが通うことにしました。
園でも女性が付き添い、それ以外の時間も母子ふたりでいる時間が長かったといいます。
夫は仕事が忙しく、「言葉にされたことはありませんが、夫は、私が専業主婦でいられる環境を整えることが自分の役割だと感じているのだと思います」と言います。
長女が小学校に入学した後も、女性が付き添っての学校生活が続きました。小学3年生になってからは、徐々にフリースクールへの登校に軸足を移し、卒業時にはフリースクールでの生活が定着していました。
「フリースクールに軸足を移した4年生ごろから、産後初めてといっていいくらい、1日数時間程度の一人になる時間ができるようになりました」
短いながらも、自分一人の時間が初めて持てた女性。最初のうちはその時間を満喫していたといいますが、徐々に再就労を意識するようになっていったといいます。
「周囲を見渡すと、圧倒的に共働きの家庭が多く、孤独感がつきまとい、このままで大丈夫かな、と不安にかられるようになりました」と話します。
中学では、学校生活によい変化がありました。長女主体の教育方針を実現してくれる学校に通う中で、長ければ午前8時半の登校から午後4時まで学校で過ごしています。
一方、大人数が集まる学校行事や、普段とは違う予定が組まれた場合は、女性の付き添いが必要だったり学校にいる時間が短くなったりすることもあります。さらに、スケジュールが事前にわかるのは翌週分だけで、学校側の都合で急なスケジュール変更もあります。
「長女のサポートをしようとすると、長時間のパート勤務は難しいと思いました。その条件で仕事を探すと自分がやりたいと思える仕事がありません」
女性のような思いを抱える人が少なくないことは、しゅふJOB総研の調査からも明らかになっています。
しゅふJOB総研が2022年9月に行った調査では、回答者553人のうち、家庭と両立させることのできる仕事の数が「不足している」と答えたのは全体の78.6%。また、仕事と家庭の両立に必要なのは「時間や日数など条件に合う仕事」と回答したのは全体の84.1%にあたりました。
そんな中でもこの春、女性は少しの期間、午前中に1日3時間ほどのパートに出てみたといいます。
「午後に帰宅できれば、選択などの家事もこなせる」と見込んでのことでした。
しかし、長女の体調不良で急に仕事を休んだ時の周囲の視線がつらく感じ、同僚から「なんで急に休むの?」「なんで今まで専業主婦だったの?」と家庭状況を尋ねられることも苦痛だったといいます。
家事の時間が確保できず、食卓にスーパーのお総菜が並ぶこともあり、「無駄な出費を抑えたいのに、結局、家計を圧迫してしまうことになってしまって……」と声を落とします。
さらに、夫婦間での意識のずれも重なったそうです。
夫から「働いてほしい」と言われたわけではなかったので、「大変」とこぼす女性に対して、夫からは「働きたいの?働きたくないの?」と聞かれてしまったのだといいます。
結局、そのパートは数カ月で辞めてしまいました。
理想通りにいかなかった再就労を経て、「子どもに無理させてまでその仕事がやりたいのかどうかをもっと考えないといけない。『それでも働きたいんです』って言えるほどまで考え抜いてから次は仕事を決めたい」と振り返ります。
「うちの子はスモールステップで少しずつ社会生活に慣れていくタイプ。その生活に寄り添うためには、私の時間を費やす必要がありました」
これまでの生活に後悔はないと語りますが、「その先に再就労の難しさが待っていることまでは考えられていなかった」といいます。
では、再就労に向けての情報が届いていればよかったのか、と尋ねると、女性は「もし情報があったとしても、そのときには気づけなかったと思います」と言います。
「まとまって時間が持てて初めて、この先を考えられました。情報よりも、今の状況に不安を感じたときに、『大丈夫ですよ』『戻れますよ』という仕事があることの方が大事だと感じています」
女性のように、子育てや介護といった事情から、長期間就労を中断せざるを得ない人がいます。
女性の生き方と働き方をテーマに調査を続ける「しゅふJOB総研」の研究顧問・川上敬太郎さんは「必死に育児と向き合ってきた女性が、十数年後にはたと気づくまで、自身の再就職について考えるゆとりさえ持てなかったのは致し方ないことだと思います」と話します。
「ようやく見つけたパートは、子どもの体調不良に合わせて働きやすい環境ではなかったわけですよね。もし、在宅勤務ができる仕事なら休まずに済み、休んでも他の日にカバーできる業務体制であれば周囲からの痛い視線を感じずに済んだかもしれません」と指摘します。
「この仕事と働き手の状況とのミスマッチの事例は、柔軟で働きやすい職場が世の中に十分足りていない現実を如実に物語っています」
また、専業主婦を経て再就労を試みる人への、家庭や職場など周囲からの理解も足りていない現状を指摘します。
「女性は、突き放すかのように同僚から『なぜ急に休むの?』と聞かれ、夫からは『働きたいの?』と聞かれるなど、女性が置かれている状況への理解者も不足しているのではないでしょうか」
「多くの企業は、育児や家事への専念した期間をブランクとしか見なさず、その間に磨かれた段取り力などのソフトスキル(家オペ力:家仕事をオペレーションする力)を評価する視点に欠けています。さらに、学校教育などで結婚・出産後のキャリアについて考え、社会に出る前からイメージしておくような準備機会なども不十分です」と指摘しています。
「再就職の壁をめぐって、社会は未だ不足していることだらけだと感じます」
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