連載
#6 プラネタリウム100年
23万人が来場、博覧会で大人気 国産のプラネタリウムは今どこへ…
プラネタリウムがドイツで誕生して100年
プラネタリウムがドイツで誕生したのは今からちょうど100年前の1923年です。日本でも国産のプラネタリウムが作られるようになり、完成直後に披露された博覧会には23万人もの人が訪れて大人気だったといいます。しかし、その後の投影機の行方は……。製造した国産メーカーに、当時の話を聞きました。(朝日新聞デジタル企画報道部・小川詩織)
プラネタリウムが初公開されたのは1923年10月21日のこと。
その日、ドイツ博物館で、独カールツァイス社が開発したプラネタリウム投影機に明かりがともり、真っ暗なドームに4千個以上の星が浮かび上がりました。
2年後に博物館で常設展示が始まると、プラネタリウムはたちまち大人気になり、導入を希望する国が相次ぎました。
日本もその一つでした。1937年、大阪市立電気科学館(現・市立科学館)が日本で初めて導入し、翌38年には東京・有楽町の東日天文館にも設置されました。
その後、1950年代に入ると、自らプラネタリウムを製作する日本メーカーが登場。1958年に千代田光学精工(現コニカミノルタ)が、59年には五藤光学研究所が独自の投影機を完成させました。
朝日新聞は1958年、創刊80年記念のイベントとして、遊園地の阪神パーク(兵庫県西宮市)で「科学大博覧会」を開催。実はここで、できたばかりの国産のプラネタリウムが披露されました。
1958年9月28日の朝日新聞の紙面には「プラネタリウムをはじめ各種の実演や実験もはじまって、科学博らしい幕あきであった」と書いてあります。
コニカミノルタプラネタリウムの担当者によると、科学大博覧会で披露されたのは、コニカミノルタの前身である千代田光学精工が作った「ノブオカ式プラネタリウムⅠ型」というものでした。
千代田光学精工の当時の田嶋一雄社長が、プラネタリウムの研究・開発をしていた信岡正典さんを招いて開発したことから、「ノブオカ式」と名付けられています。
このノブオカ式プラネタリウムは、阪神パークで1958年9月〜11月の間、実際に投影が行われました。
ドームの大きさは当時の日本では最大級の20.5m。とても盛況で、この博覧会の2カ月ほどの間に23万人もの人が訪れたそうです。
科学大博覧会の当初、プラネタリウムの実演は会期中のみの予定でした。しかし、ドームだけ残るのはもったいないという理由で、後に改良されたプラネタリウム投影機が阪神パークに常設され、1980年ごろまで営業されていたということです。
この投影機自体は博覧会後の1959年9月、福岡市の筥崎宮周辺にオープンしたプラネタリウム施設へ寄贈されました。平日は6回、日曜・祝日には8回も投影していたようです。
ただ、この投影機は今は行方知らずに…。担当者が以前、筥崎宮の宮司さんにも尋ねたそうですが、その後は分からないそうです。「形すら残っていないのではないかと思っていて、とても残念です」と話しています。
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