連載
#257 #withyou ~きみとともに~
フリースクール=不登校の居場所?「『子ども中心の学び』の視点も」
「『子ども中心の学び』と不登校の問題は密接に結びついている」
不登校の児童・生徒の数が増え続ける中、フリースクールは不登校の子の居場所としての側面が強調されつつあります。そもそもフリースクールとはどのような場所なのでしょうか。1990年代からフリースクールの現場に立ち、研究を続けている教育社会学者に話を聞きました。
話を聞いたのは、フリースクールの現状を把握するための調査・分析を行った「NPO法人フリースクール全国ネットワーク」の朝倉景樹さん(TDU・雫穿(てきせん)大学代表)です。調査は2003年と2022年に行われ、最新のものは「フリースクール白書2022」として、書籍にまとめられています。
――白書の中で「フリースクール全体を『=不登校の居場所』と位置づけてしまい、カウンセリングや支援機関のような位置づけと誤解されてしまっている状況がある」と指摘しています。ただ、正直、私の認識も「不登校の子の居場所」という感覚でした。
日本でフリースクールができたのは1980年代で、その頃、全国で複数のフリースクールが産声をあげました。
当時は、「フリースクール」という言い方をしていなくて「学校外の子どもの居場所」「学校外の学び育ちの場」などをフレーズとして使っていたところが多かったです。
――「学校外の子どもの居場所」ですか。
その頃の学校は、いじめや校内暴力・体罰が深刻な問題として取り上げられていました。それに伴い学校に行けない子どもがいて、当時はまだ「登校拒否」と呼ばれていました。
子どもが学校に行かないと、何が何でも学校に戻そうとする時代。子どもが朝になって布団から出られなかったら、先生が家まで来てその布団ごと学校に連れて行く……なんてこともありました。
ただ、それを見ていた一部の児童精神科医や親たちが、「そのやり方はまずいんじゃないの?」と課題意識を持ち「学校外の居場所」に目を向け始めました。
――ここまで聞くと、のちにフリースクールと呼ばれる「学校外の居場所」にも、当時から不登校の子の居場所要素はあったと感じますが。
もちろん、「学校外の居場所」は不登校のムーブメントではあるんですよ。
一方、フリースクールというのは、この頃すでに海外にはあったんです。
それは、1960年代の全米フリースクール運動を引っ張ってきた「クロン・ララスクール
」などですが、アメリカ各地の州法を変え、ホームスクーリングを合法化させるなど、多様な学びを「教育・学校」として認める存在です。
80年代、国内で学校の教育問題が報道される中で、そのような世界のフリースクールについても報じられ、反響を呼んでいました。
関心を示した教員や一般の人たちは「当時の学校教育を何とかできないか」あるいは「別の教育方法は探せないだろうか」という視点で「フリースクール研究」というのが盛んになりました。
――なるほど。国内に浸透してきた当初の「フリースクール」は、多様な学びの選択肢の一つであり、だからこそ対象を「不登校の子」に限っていないということですね。
そうです。ただ、メディアが「学校外の居場所」をフリースクールと呼ぶようになり、「学校外の居場所」の運営をしている人たちも、自身でフリースクールと名乗るようになっていきました。
――多様な学びを提供出来る場としてのフリースクールの中に、不登校の子たちの居場所要素もあり、いまでは後者の「不登校の子たちの居場所」要素が大きくなっていったということなのだろうと思います。「不登校の子の居場所」要素が強くなることについてはどう考えていますか?
基本的には僕はいいと思います。
不登校の子の中には、自分以外の人と一緒に、「何か」をすることを求めている子どもたちもいます。ですが、「不登校」ということが受け入れられていない場所だと、のびのびできず友人関係もつくりにくいです。そういう意味で、フリースクールには安心して行くことができます。
その環境の中で、子どもがやりたい「表現」や「学び」を活動としているフリースクールもあるわけです。
――その環境だと「子ども主体の学びの場」としてもいい機能が果たせそうです。一方、不登校の子の親の中には、学習指導要領に沿った学びをフリースクールで補完したいと思う人もいると思います。
学校の環境に合わず、フリースクールに来る子どもたちがほとんどなので、「学校」をそのまま持ち込むとつらくなることもあり得ます。
――といいますと。
「無理やり」やる勉強内容がおもしろくないと感じているのに、子どもも学校に通っていることが「普通」と思い、「普通になるためにやる」という目的になると、コンプレックスを生みかねません。調査の中でも浮かび上がってきましたが、株式会社が運営しているフリースクールの中には、学校の学びをソフトに入れ込んでいるところも出てきています。それは、「学校の勉強をさせたい」と思っている親からの受けはいいんです。
ただ、「子ども中心の学び」と考えたときに、僕はそういうものはやらなくてもいいと考えています。ただ、それをやらざるを得ないという環境があるとしたら残念に思います。
それは、フリースクールの大元の精神である「子どもがやりたい内容をやりたい方法でやる」ということにならないからです。
――親の側も、単なる「不登校の子の居場所」というところから一歩進んだ「子ども主体」に認識を持てるとよいですね。
最新の東京都の調査だと、フリースクールの月会費の平均額は4万5千円なんですね。結構な額です。となると、親が納得しないとフリースクールにも通えないわけです。
「子ども中心の学び」とは何かということを親にも学んで理解してもらいたいです。
世の中が、フリースクールは「不登校の子の居場所」と「子ども主体の学び」という2つの側面があることを理解してもらいたいと思います。また、子ども中心の学びと不登校の問題が非常に密接に結びついていることをわかってもらうことも重要だと考えています。
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