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#7 ナカムラクニオの美術放浪記

ゴッホ「ひまわり」に込めた思い 尊敬するゴーギャンとの生活の前に

ナカムラクニオの美術放浪記

ゴッホがモチーフとして愛した「ひまわり」。ゴーギャンとの共同生活の前に連作したのはなぜでしょうか
ゴッホがモチーフとして愛した「ひまわり」。ゴーギャンとの共同生活の前に連作したのはなぜでしょうか 出典: イラストはいずれもナカムラクニオ
【ナカムラクニオの美術放浪記】 文・イラスト:ナカムラクニオ
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フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は、37年で16都市を30回ほど引っ越して、5回破滅的な恋愛をした。

ゴッホは、ポスト印象派を代表する画家であり、表現主義の先駆けとなって美術史を変えたわけだが、とにかく激しい人生を送った。

そして、調べれば調べるほど、わからないことばかりだ。

ゴッホを読み解く「五つの鍵」

そんなゴッホを読み解くには「五つの鍵」があると思う。

1.ゴッホは、美術オタクだった!

まずは、美術に非常に詳しかった、ということだ。

ゴッホが画商として働いていたのは超有名な「グーピル商会」。1850年に設立した後、19世紀フランスの重要な美術品を扱ってきた会社だ。

現在では、国際的なオークション会社となっている。近現代のアートを扱う、サザビーズやクリスティーズみたいな会社だと思えばわかりやすいかもしれない。

ゴッホは、ロンドン支店、パリ本店でも働いていた。もちろん弟テオも同じ会社で活躍した。

そして、早くからゴーギャンなどの才能に注目していた画商のエキスパートたちでもあった。
2.ゴッホは、構図マニアだった!

さらに、ゴッホは、浮世絵から構図を学ぶマニアだった。

明るい色彩と大胆な構図、影がない風景の表現に興味を感じ、浮世絵のコレクターとなった。

パリのカフェ「ル・タンブラン」で展覧会まで開催した。500枚以上所有していたというから驚きだ。
3.ゴッホは、5カ国語を話す勉強家だった!

さらに、ゴッホは5カ国語を話す勉強家だったことも興味深い。

勉強熱心だったことで、自分の絵画がいつか評価されることもわかっていたのだろうと思う。

4.ゴッホは、引っ越し魔だった!

ゴッホは、引っ越し魔だったことで国際感覚を身につけていた。

そして、ヨーロッパの各地で見た風景、文化、習慣などを巧みに絵画に取り込んだ。
アルルにある「黄色い家」の寝室
アルルにある「黄色い家」の寝室
5.ゴッホは、モチーフに意味を隠した!

絵画のモチーフには、画家の深いメッセージが隠されている。頭蓋骨が描かれていれば、「メメントモリ(死を想え)」というメッセージが込められている。

ゴッホは、農民、静物画、花、自画像を描く時も、激しいタッチの中にメッセージを隠し、深い意味を暗示した。

「ひまわり」は、ゴーギャンへの尊敬の証?

そんなゴッホは、1888年2月に、パリから南フランスの光を求め、アルルに移り住んだ。

画家の共同体(ユートピア)を作るという夢があったのだ。

そして、先輩の画家であるゴーギャンを迎えるため、部屋を飾る絵として「ひまわり」を描き始めた。ひまわりは連作で7作品完成した。

第二次世界大戦の大空襲で焼失した「芦屋のひまわり」
第二次世界大戦の大空襲で焼失した「芦屋のひまわり」

それにしても、なぜ「ひまわり」だったのだろうか?

もちろんアルルでは、ひまわりは種から油を採取するために栽培されていたので、当時はどこでもたくさん咲いていた。

とは言っても、ひまわりを描く画家は少なかった。ゴーギャンが、ひまわりの絵を気に入っていたからだとも言われている。

しかし、もっと深く読み解くと、ゴーギャンこそ、ひまわりだったのかもしれない。

ひまわりはヨーロッパでは太陽、信仰心の象徴として知られている。さらに、「ペルーの黄金の花」とも呼ばれていた。

1888年10月から共同生活をしたゴッホとゴーギャン
1888年10月から共同生活をしたゴッホとゴーギャン

実は、ゴーギャンの母方の祖父はペルー人(ペルー大統領も親戚だった)。ゴッホは、もちろんそれを知っていただろう。

ゴーギャンを「ひまわり」に見立て、描くのは最大の愛情表現だと考えたのではないだろうか?

しかし、衝突が絶えず同居生活は2カ月ほどで解消。そして、ゴッホは耳を切った。

それでもこの同居期間に、ゴッホは37点、ゴーギャンは21点を完成させ、互いに成長したことだけは間違いない。

先日、ゴッホがひまわりを描いたアルルを訪ねた。南フランスと言ってもスペインに近い場所で、とにかく日差しが強いのに驚いた。

古代ローマ時代の円形闘技場やコンスタンティヌスの公衆浴場が残る古い街は、石畳に反射する太陽が眩しくて、街全体が黄色く見えた。

ゴッホが黄色い色をふんだんに使ったのもよくわかる。アルルが黄色いから、ゴッホの絵も黄色くなったのだろう。

そして、彼らが同居生活していた黄色い家を訪ねた。

ゴッホとゴーギャンが同居していたオリジナルの家は、第二次世界大戦時に破壊され、建て直されていたが今でも当時の面影が残っていた。

ゴッホはここでゴーギャンと喧嘩し、耳を切ったのだと思うとなんだか切なかった。

ひまわりの絵が魅力的に感じるのは、友情、尊敬、嫉妬のような複雑な気持ちが絵の具に混ざっているからなのではないかとも思った。

結局のところ、ゴッホにとって、ひまわりを描くという行為は、尊敬するゴーギャンを超えるための滝行みたいなものだったのだ。

 

ナカムラクニオ
6次元主宰/美術家、東京都生まれ。画家、金継ぎ作家として活動し、山形ビエンナーレや東京ビエンナーレにも参加。著書は『金継ぎ手帖』『古美術手帖』『描いてわかる西洋絵画の教科書』『洋画家の美術史』『こじらせ美術館』『こじらせ恋愛美術館』など多数。

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