お金と仕事
Jリーガーから所属クラブ社長へ 「35歳で引退」と決めていた理由
レノファ山口FC・渡部博文さん
引退は35歳――。20代でそう決めて、実際にその通りにキャリアチェンジをしたのは、元Jリーガーの渡部博文さん(36)です。昨年、選手としてプレーしていたレノファ山口FCの「社長」に抜擢されました。経営者になっても、仕事への取り組み方は選手時代からブレていないと話す渡部さんに、当時の思いを振り返ってもらいました。(ライター・小野ヒデコ)
渡部博文(わたなべ・ひろふみ)
J1リーグで長年、スタメンを獲得し続けた渡部博文さんですが、20代のときから「結果を出し続けたとしても35歳でやめよう」と心に決めていたといいます。
サッカー選手として熟す時期であり、次のキャリアを積むには遅くない年齢だと考えたからです。
「これまで家族との時間を含めて、多くのことを犠牲にしてきました。期限を決めてサッカーをしないと、中途半端になると思ったんです」
自分との約束通り、昨年、現役引退を発表した渡部さん。直後に、所属していたレノファ山口FCの社長に抜擢されました。
選手から経営者へのキャリアチェンジ。当時の率直な感想は「『うそだろ?』でした」とはにかみますが、不安よりワクワクの方が強かったそうです。
「何事も、“需要があったらやる、なかったらやめる”を基準にしています。考え過ぎると二の足を踏んでしまうと思うので、とりあえずやってみることを優先にしています」と話します。
そんな渡部さんの考え方は、学生時代から身についていたものでした。
山形県で過ごした小学生の頃からサッカー選手を目指し、高校では他の人より練習量を捻出できるよう時間の使い方を意識しました。
高校3年生でJリーグ柏レイソルの練習に参加する機会を得ましたが、「プロでやっていけない」と思い知ったといいます。
「実力、技術、身体能力、全てにおいてレベル違いでした。練習後すぐ、高校の監督に『今はプロに行けないんで、関東の大学に進学します』と伝えたことをよく覚えています」
進学した専修大学のサッカー部は、当時4軍まであり、クラブチームのユース選手として活躍している人もいました。
ライバルたちのレベルの高さを目の当たりにし、ボランチ(ミッドフィルダー)からセンターバック(ディフェンス)へのポジション変更を監督に打診しました。
「186センチの高身長を生かすことができて、自分が輝ける場所はこっちなんじゃないかと思いました。今思い返すと、その決断が大きな転機だったと感じます」
「自分はJリーガーになる」という目標をより強く胸に刻んだのが、1年生の終わりのことでした。
サッカー部の同級生と食事に行った時、ほとんどのメンバーが「俺はプロになるんだ」と話し始めました。同級生の“本気”を間近で感じ、「何やってんだろ俺」と自戒したそうです。
「自分も『人生変える』ぐらいの気持ちでサッカーをやり切らないと、『この先の人生、終わるな』と強く思いました」
渡部さんの行動は、翌日から一変しました。Jリーガーになる上で妨げとなるものは一切やめ、友達や先輩との付き合い方も変えていきました。
その結果、大学2年生からスタメンを獲得。卒業後は柏レイソルに入団し、プロサッカー選手になる夢を叶えました。
一方で、当初は目指していた日本代表メンバー入りも、20代半ばで「目標のずれ」を感じ始めたといいます。
「日本代表は、チームや個人で結果を出した先にあるものです。まずはチームと自分を高めることを主軸としました。でも、日本を代表するセンターバックになる目標は常に掲げていました」
そのために取り組んだ方法は、“数値を追うこと”でした。
「練習試合からリーグ戦までの全試合において、空中戦の勝率やボールの奪取率を計算しました。それらのチャレンジした回数のうちの成功数を数えて、調子の良し悪しを数値化していました」
「35歳の引退」を胸に、最後のプレーの地として選んだのは、J2レノファ山口でした。
Jリーガーになった当初は、日本代表選手や外国人選手と切磋琢磨する環境に身を置くことを優先し、「できるだけ長くJ1でプレーする」を目標にしていた渡部さん。
しかしJ1ヴィッセル神戸から移籍を決めたのは、「20代がピークではなく、30代になっても年々サッカーが上手くなっているのを実感していたから」だと振り返ります。
「戦術の本質や、監督の指示の意図を理解できるようになってきて、山口でならそれが活かせると思いました。年齢やカテゴリーに関係なくサッカーが楽しくて、この状態ではやめられない、まだまだブレイクスルーできると思ったんです」
次のキャリアである「レノファ山口社長」に就任後、早々に業績不振から苦しい決断を強いられたこともありました。
その時の判断基準も「数値」だったという渡部さん。「選手時代から考え方はブレていないです」と話します。
「現状を把握し、目標まで何がどれだけ足りないかを確認し、その目標まで到達するのは可能か不可能か。すべて数値を見て判断しています」
就任から半年経った今、注力していることはふたつあります。
一つは、山口県の企業や団体と協力して“オール山口”として、チームだけでなく県全体を盛り上げていく体制を作ること。
もう一つは、選手たちにサッカー以外の世界やつながりを持つ機会を提供することです。
「選手の中には、その業界しか知らない“離島”で生きているような人もいます。ほかの世界を知ることも大事なので、スポンサー企業に協力を得て職業体験をしたり、地域の高校生を巻き込んで応援グッズを作成したりと、地元を巻き込んだ新しい取り組みを進めています」
レノファ山口FCの目下の目標はJ1昇格ですが、たとえJ1に昇格できたとしても、会社として持続できる体力がないと意味がないといいます。
「今のクラブの規模ではそれが難しいのが現状です。より良い練習環境や給与を提供するために収益を増やす。それが経営者としての役割だと思っています」
振り返ると、選手時代に「勝つため」の目的が「監督に評価されるため」にすり替わってしまっていたこともあったという渡部さん。
「これは、仕事でも同じことに陥りがちです。“これは何のためにするのか”を意識することは、選手の時も社長を務めている今も、全く同じだと感じています」
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