連載
幻の「黒いダイヤモンド」に出会った クマが守る、神秘的な黒曜石
ナカムラクニオの美術放浪記
日本昔ばなしに出てくるような長野・諏訪大社近くの里山に古民家を借りて2年目。随分、この環境にも慣れてきた。
諏訪大社といえば、巨木を祀る「御柱祭」で知られている。長さ約18メートル、重さは約1トンもあるモミの大木を山から下ろして、里の神様とする。
平安時代から氏子たちによって守り伝えられている不思議な風習だ。
「柱を立てる」という祭は、世界中にもいろいろとある。
スウェーデンの「夏至祭」、「メイ・ポール」と呼ばれるヨーロッパの5月の春祭り、クリスマスツリーなども古代の樹木信仰から生まれている。
古代エジプトのオベリスク(神殿などに立てられた石柱状の記念碑)などもそうだが、神霊の「依り代」として大きな柱を立てるという行為は、世界共通の感覚なのだろう。
ある日のこと、農作業をしていた近所のおじさんが「あの山はガラスのような黒曜石が採れんだ」と話しかけてきた。
「でもあそこは、クマが出るから、行かない」と言っていた。
「クマが出るんですか?」「そうだ」「じゃあ、黒曜石は採れない?」「採れないねー」
実に興味深い。クマが大切な黒曜石を守っているなんて、不思議な話だ。
もしかすると神秘的な石に対し、クマも何かを感じているのかもしれない。
黒曜石とは、火山の噴火で出たマグマが冷え固まったガラス状の石だ。たたくと裂けるように割れて鋭くなり、ナイフとして使える。
おじさん曰く、縄文時代最大の産業は「黒曜石ビジネス」だったらしい。縄文人にとって狩猟に使う矢じりを加工し、販売するという仕事は、最も重要だったそうだ。
この当時、すでに日本中に高度な物流ネットワークが存在していたということも不思議だ。
そして、いつしか質の高い矢じりを各地域で取引し、交易するというビジネスモデルが生まれた。
特に信州産の黒曜石は、半透明のガラス質で高品質。割れ口が鋭く切れ味が良い。とても人気が高かったようだ。
こうやって日本初、信州産黒曜石のブランド化が始まった。そして、長きにわたり狩猟用、調理具、工具として全国に流通していった。
縄文人の皆さんも、現代人と同じように切れ味、美しさの点で高品質なものを求めていたのだ。
今でも、小さな黒曜石であれば、JR茅野駅の売店で販売しているし、駅のホームには巨大な黒曜石が展示してある。
霧ヶ峰高原にある黒耀石体験ミュージアムの帰り道、偶然にも立ち寄った日帰り温泉の女将さんが、「いいもん見せてあげる」そう言って、何かを持ってきた。
ジャラリ。布の袋にぎっしり詰まったのは「信州産の黒曜石」だった。しかも、すべて巨大で黒いガラスのように透けている。
現在は、発掘ができないので、すべて貴重な塊だった。
美しい。ひんやりとして透き通っている。まるで黒い水たまりのようだ。
触ってみて初めて黒曜石が、なぜこれほどまでに重要な産物となったのか、わかった気がした。
侍の精神性を象徴するものとして日本刀があるように、古代人の魂を表現する手段として黒曜石があったのかもしれない、と思った。
薄い暗雲を通して届くような光の中に、霊力が確かに存在しているような気がした。
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