連載
南仏ニースの光に恋した画家マティス 墓はまるで「豆腐のような…」
ナカムラクニオの美術放浪記
最近、芸術家の墓参りばかりしている。
どうして墓にこれほどまでに惹かれるのかよくわからないが、現場に行って、石の塊を眺めているといろいろな発見があるのだ。
そして、癒される。これは一種の「墓セラピー」みたいなものだと思っている。
パリだと、エドガー・ドガやフランソワ・トリュフォー監督が眠るモンマルトル墓地、サミュエル・ベケットやスーザン・ソンタグが眠るモンパルナス墓地などが有名だ。
ゴッホの墓は、パリ郊外のオーヴェル・シュル・オワーズにあった。モネはジヴェルニー、セザンヌはエクス・アン・プロヴァンスに眠っていた。
これまで画家の人生について、たくさん本の中で書いているので、いつも報告をするような気持ちで訪れている。どちらかというと墓参りというよりは、挨拶まわりといった感じが近い。
そして、先日ようやく憧れの画家マティスのお墓を訪れることができた。
マティスは、色彩だけでなく繊細な線のバランスがとても好きな画家だ。絵画は「ある種の癒し」であり、芸術は「肘掛け椅子でなければならない」と考えていたところにも共感する。
ニース郊外に眠っていることは以前から知っていたが、20年ほど前、近くに来た時は通り過ぎてしまった。今回は、場所をしっかり調べてから訪ねた。
1954年11月3日、心臓発作のため84歳で他界したマティスの墓は、ニースの北に位置するシミエ修道院にあった。
墓地は、ニースの海を見下ろす高台に位置していており、花が咲き乱れる庭園が素晴らしかった。
どこからか不思議な世界に吸い込まれるようないい匂いがする。元々は、9世紀頃に設立された修道院だったらしい。
尖ったゴシック様式のファサード(正面から見た外観)は、淡い黄色で塗られており、どこかマティス風なのも興味深いと思った。
もちろん黄色を好んで使っていたマティスの方がこの土地から影響を受けていたのだと思う。やはりマティスは、ニースの光に恋した画家なのだ。
そういえば、同じくフォーヴィスム(野獣派)の画家で、ニースを愛したラウル・デュフィ(1877-1953)もここ、シミエ修道院に眠っていた。
デュフィは北フランス、ノルマンディーの出身で、マティスは北フランス、ル・カトー=カンブレジ出身。
やはり北部出身の画家にとって、南フランスの煌めくような光は特別な存在だったのだろう。
デュフィもマティスもカラフルな色彩に永遠の憧れを感じていたのだ、と思う。
修道院の墓地は広く、マティスの墓はなかなか見つからなかった。
地元のマダムに聞いてみると「あっちの方じゃない?いや、こっちかも」と、なかなか正確な場所がわからない。
10分ほどウロウロと探しているとようやく、巨大な豆腐のような四角い石の塊を見つけた。これが「マティスの墓か……」。
驚くほどシンプルな長方形の墓石の上には、小石が積まれていた。何かのささやかな儀式のようにも見えた。
なぜ墓は「石」なのだろうか?そんな疑問が湧き上がってきた。
石を聖なるものだと考えた名残だろうか。それとも永遠性、普遍性の象徴だからだろうか?
そして、僕も墓の上に小さな石を一つ積んだ。なんだかマティスと会話をしたような気持ちにもなった。
なるほど、墓は生きている人と、亡くなった人が会話するトランシーバーみたいな存在だったのか。気がつかなかった。
そんなことを考えながらバスに乗った。なぜだか心が少しだけ軽くなっていた。
そして、シャガールが眠る、ニース西部のサン・ポール・ド・ヴァンスへ向かった。強い日差しに照らされた街の景色が、厚く塗り込めた絵の具のように見えた。
1/3枚