連載
#21 親子でつくるミルクスタンド
水牛ミルクのモッツァレラ 「飼いながらチーズを作る」夢叶えた職人
窓から作業をのぞいて…イタリア修行
口に入れると甘みがあふれだす……。日本では珍しい水牛のモッツァレラチーズを作っている牧場があります。牧場とチーズ工房があるのは、音楽プロデューサーの小林武史さんが立ち上げた千葉・木更津の農園です。なぜ水牛のチーズを作ろうと思ったのでしょうか? 工房のチーズ職人に話を聞きました。(木村充慶)
千葉・木更津にある「KURKKU FIELDS(クルックフィールズ)」。草間彌生さんら著名なアーティストの作品が展示される敷地に、オーガニックの畑や、そこで育てた食材を使ったレストラン、宿泊施設もあります。
音楽プロデューサー小林武史さんが立ち上げたサステナブルな農園です。
電気は太陽光パネルでまかない、排水も微生物や植物の力を借りて施設内で浄化し再利用し、すべてが施設内で循環するようになっています。
農園には牧場が併設され、日本ではほとんど飼われていない水牛やブラウンスイスという品種の牛、ヤギ、羊がいます。それらのミルクを使ってチーズや乳製品がつくられています。
モッツァレラの中でも、水牛のミルクを使ったものはとても希少で人気です。
それは乳質の違いで味わいが変わるからです。厚労省の資料によると、乳牛のミルクは乳脂肪3.5%に対して、水牛は7.5%ほど。タンパク質は乳牛が3.3%に対して、水牛では3.8%あります。
牧場を訪れたとき、特別に水牛の新鮮なミルクを試飲させてもらうと、乳脂肪が倍以上なのにくどくなく、コクがあって甘さが広がりました。初めて飲んだ衝撃的なミルクでした。
そんな水牛ミルクが使われたモッツァレラ。乳牛のミルクのものとはまるで別物です。
日本で見かける水牛のモッツァレラチーズはほとんどがイタリア産で、日本の水牛のチーズ工房は数軒しかありません。
水牛の乳量が少ないことが影響しており、1頭あたり1日30リットルの乳牛(白黒柄のホルスタイン)に対して、Kurkk Fiedsの水牛は7リットル程度といいます。
しかし水牛の体格は乳牛と比べてひとまわり大きく、エサをたくさん食べます。そう考えると、決して割がいい動物とは言えません。
また、一般的な乳牛であれば、生乳の経営補償などが手厚いものの、ほとんど飼われていない水牛は対象になっていません。
と畜場法と家畜伝染病予防法により、水牛は、役目を終えたときに食肉にする場合は「野生鳥獣肉」と同じ扱いとされ、伝染病予防では鹿やイノシシと同じ扱いとされ、乳牛とはまるで違っています。
近年ようやく「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」では、水牛が対象として追加されましたが、それでもいまだに不利な扱いが多くなっています。
なぜKURKKU FIELDSでは水牛のチーズを作っているのでしょうか? チーズ職人の竹島英俊さんに話を聞きました。
東京生まれの竹島さん。自営業の両親の仕事を継ぐ気になれず、何をしようか悩んでいた時に、書店でイタリアの本を手にとりました。
興味をひかれて調べていくうちに、ナポリでよく食べられている「水牛のモッツァレラ」を作りたいという気持ちが芽生えました。
「近郊で作ってすぐナポリに輸送し、出来立てのチーズが食べられるというのが素敵だなと思ったんです。それに、モッツァレラの中でも最もおいしいというのが水牛でした。食べたこともないのに、やるなら絶対に水牛だなと思いました」と笑います。
31歳で単身イタリアに行き、語学学校で学んだ後、覚えたてのイタリア語で水牛のモッツァレラを作る工房を手当たり次第に30軒ほど突撃しました。ようやく話を聞いてくれたのは、家族経営の小さな工房でした。
「当初は『窓から見るだけならいい』と言われ、しばらく外から見ていました」と言います。
なんと、1ヶ月ずっと窓から作業の様子を見ていた竹島さん。根負けした工房のオーナーがチーズづくりを手伝ってもいいと認めてくれたそうです。
2年後にはある程度、自分でもチーズが作れるようになりましたが、「水牛を飼いながらチーズを作る」というメーカーで修行したいという思いが強くなったそうです。
「そのメーカーは水牛を600頭ほど飼ってミルクを搾り、チーズを作っていました。そのチーズはほかでは売らず、すべて自社のお店で販売していたのにも感動したんです」
1年半かけて交渉し、ようやく認めてもらい、住み込みで修行させてもらうことになりました。
「水牛を飼育管理し、搾ったミルクをすぐに加工する。何より、できたてのチーズをお客さんに直接販売し、全て売り切っていました。その修行が今の土台となっています」
帰国後、すぐに水牛を飼える牧場を探しました。都心近郊で作り配送することを念頭に、千葉で探していましたが、なかなか適所がありません。
「水牛を飼う」と話すと認めてくれない自治体が多かったといいます。探すエリアを全国に広げ、ようやく「使ってもいい」という牧場を宮崎県内で見つけました。
「1頭300万円ほどのオーストラリアの20頭ほどの水牛を、すべて自分のお金で買いました。牧場の立ち上げ費用などと合わせて5000万を超える出費でした。父の物件などを担保にしてお金を工面して牧場を立ち上げました」
3年かけてようやく軌道に乗り、東京の有名レストランなどにモッツァレラなどを下ろせるようになってきました。
しかし、そんなさなか、大きな問題が発生しました。
家畜伝染病「口蹄(こうてい)疫」が発生したのです。2010年、宮崎を中心に広がった、牛や豚などの動物が感染する病気の流行です。感染力が広く、瞬く間に広がり、最終的には被害を抑えるため29万頭以上の家畜が殺処分されました。
被害を抑えるため、一時は移動禁止区域などを設けるなどの対策を行い、地域経済的にも大きな影響を及ぼした被害でした。
竹島さんは当時、水牛の体調に異変があり、すぐに通報しました。周囲の牧場と比べて通報が早かったこともあり、「竹島さんの水牛が原因では」という根拠のないうわさまで広がったそうです。
感染拡大防止のため、水牛は全頭処分。補助も出ず、多額の借金だけが残ってしまいました。
「国内では珍しい水牛だったため補助の制度などもなく、どうしようもありませんでした」と振り返ります。
しかし、夢は諦めませんでした。6年間、全国各地でアルバイトをしながら、時を待ちました。「夢を持ち続けていれば、いつかまた作れると思ったんです」
すると、沖縄で水牛を飼っている人から「水牛を譲りたい」と電話がありました。
北海道のチーズ工房のサポートを受けて、工房の牧場の一部で飼わせてもらい、水牛のモッツァレラチーズを作れるようになりました。そこから、音楽プロデューサーの小林さんとのつながりが生まれます。
「小林さんが千葉で農園を立ち上げようとしているときでした。私の水牛のモッツァレラを食べて、ピンときたようです」
小林さんから声がかかり、もともと探していた千葉で水牛が飼えることになりました。2019年、念願の水牛の牧場とチーズ工房がスタートしました。
早朝に自ら搾乳し、できたてのミルクからすぐにモッツァレラチーズをつくる竹島さん。
本場イタリアでも製造機を使ってモッツァレラを作るようになっていますが、いまだに手作業にこだわります。
そのあかしが「表面のひだ」です。成形前にちぎるときにでき、まるで天使の羽のような部分が現れます。
出来上がったモッツァレラチーズは朝には出荷。昼過ぎには東京などのレストランに到着し、その日の料理に使われます。
竹島さんが食事して納得したレストランにしか配達していないそうです。
「レストランのお皿を思い浮かべて、あのレストランのあの料理ならこのモッツァレラがいいんじゃないかなと想像しつつ、モッツァレラを選んでいます」
できたてが一番おいしいため、それを楽しんでほしいと、自ら運転して届けることもあるそう。
「賞味期限を尋ねられると困ります。味が落ちてしまう前に、すぐに食べてほしいんです」
筆者も竹島さんの工房で、成形したてのモッツァレラチーズを試食させてもらいました。
薄い膜をかみ切ると、ジューシーなミルクがあふれるように口に広がっていきました。自宅で食べたチーズももちろんおいしかったですが、確かにできたてには感動がありました。
なるべく出来立てを、自然のままに食べてもらいたいと語る竹島さん。
水牛のミルクで作られたというおいしさはもとより、追求されたおいしさをぜひ多くの人に感じてみてもらいたいです。
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