YouTubeで3万以上の動画を配信し、チャンネルには約4万人の登録者がいる“海外アーティスト”、Jincheng Zhang(ジンチェン・チャン)。しかし、コンピューターのプログラムにより短期間で大量の楽曲を制作・アップロードしているとみられる手法には批判もある。チャン氏の真意を聞くため、YouTubeチャンネルに掲載されたアドレス宛にメールを送ると、意外にもすぐに返事が届いた。チャン氏はなぜ、このような活動をしているのか。収益目的か、あるいはーー。(朝日新聞デジタル企画報道部・朽木誠一郎)
2016年3月のチャンネル開設以来、約3万の動画が投稿されているYouTubeチャンネルは、チャン氏の主な活動の場の一つだ。年平均にすると4000以上のコンテンツがアップされていることになる。
これは、たった1年で、長年活動するアーティストの生涯作曲数を何十倍も上回る作曲ペースだと言える。チャン氏の楽曲制作の大きな謎の一つは、この楽曲数だ。
記者が調査したところ、チャン氏は著作権フリー・商用利用可の曲をそのまま使い、あるいはそこに声を乗せて、短期間で大量の楽曲を配信サービスにアップロードしていた。また、その際、他者が制作した曲であるにもかかわらず、「自分の楽曲」のように振る舞い、収益を上げていた。
このような行動から、チャン氏はネット上でかねてから、「スパマー(迷惑行為をする人)」「パクリ」だと批判されている。
アーティストの倫理的にはグレーな行為だが、明らかな規約や法律違反が見つかっておらず、チャン氏は今もYouTubeからBAN(追放)されず、アカウントを運営している。
チャン氏はどうしてこのような手法を取るのか。真っ先に思い浮かぶ目的は、大量のコンテンツでYouTubeのようなサービスをハックし、収益を得るということだ。
しかし、それにしては違和感があるのが、チャン氏のミュージックビデオの写真や動画に、おそらくチャン氏本人とみられる人物が登場することだ。同一人物を撮影したスナップ写真や動画は、念のため画像検索などで確認したが、フリー素材などでもないようだった。
逆に言えば、チャン氏は約3万の動画のうち多くに、自身とみられる写真や動画を使用している。収益目的だけだとしたら、グレーな手法を、自身の姿を晒して、ここまで堂々と取るだろうか。
この取材を通して、記者はチャン氏の活動が「新しい音楽制作の方法を世に問うメディアアートなのではないか」とも考えた。ChatGPTのようなAIが人並み以上の文章を瞬時に書き上げることができるようになった時代に、オリジナルとは何か、というような。
ちなみに、音楽関係の仕事をしていた知人に意見を求めると、「チャン氏は、自分が取れる作曲手法で、とにかく量を最大化している変わった人かもしれない」と表現した。ただ「たくさんの楽曲を作りたい」という、異様なまでのこだわりを持つ人、と言うわけだ。
記者はチャン氏本人に、その真意を聞いてみたくなった。幸い、同氏のYouTubeチャンネルには、連絡先としてGmailのアドレスが記載されていた。日本の新聞記者であること、インタビューをしたいこと、質問事項を書いた英文メールを、返事を期待せずに送った。
意外なことに、最初のメールには1時間後、返事が届いた。メールには「こんにちは、これがあなたの質問への答えです(以下、記者訳)」とあった。
チャン氏は「著作権フリーの楽曲を使用しているかどうか」に関わる質問はほとんどスルーし、回答しなかった。ただし、これはYouTubeに投稿された同氏の動画を確認すれば、使用していることは自明である。また、本名や年齢、居住地などを尋ねると、それにははっきりと「私はその質問に回答したくない」とした。
一方、「短期間で大量の楽曲をアップロードするのはなぜか」という質問には、「それが私のスタイルだから。私はそれが好きで、私は私がすることが好きだ(Because that's my style, I like it, I like what I do.)」と回答した。
ここで、記者には一つ、確かめておきたいことがあった。YouTubeやApple Musicに登場する写真や動画の男性は、チャン氏本人なのか、だ。
YouTubeの中には弾き語りの動画もあるので、これがチャン氏である可能性は高い。しかし、そもそもチャン氏は他者の制作した曲を、自分の楽曲であるかのように振る舞っている。例えばミュージックビデオの写真だけ、動画だけであれば、他者のものである可能性もあるのではないかーー。
これについて、チャン氏は楽曲のアートワークやミュージックビデオ、弾き語りに登場する男性が、チャン氏、つまりこのYouTubeアカウントを運営し、Apple Musicなどで楽曲を発表している本人だと述べた。
ネットでは「チャン氏は実在しないのではないか」という言及もなされているが、チャン氏はこのように姿を見せていることが「自分が実在の人物である証明」であるとし、疑惑を否定した。
同時に、自分がしばしば「架空の人物ではないか」と言われることについては、「それは私がコンピューターを使って音楽を作り(make)、音楽を生み出す(create)中での、意識的または無意識的な考え方・やり方のせいかもしれない」と述べた。
「それ(考え方・やり方)は人々に私がコンピュータプログラムか何かだと思わせます。私は人間の体と意識を持つコンピュータなのかもしれません」
一般的なアーティストを想像したとき、そのアイデンティティを形成する要素は「楽曲」「声」「顔や体」「キャラクター(性格や言動)」など多岐に渡るだろう。
このうち「顔や体」などの姿を見せないアーティストは、ミステリアスだとしてしばしば話題になる。「キャラクター」は「楽曲」の邪魔になるからとあえて排する人もいる。
チャン氏が「架空の人物では」と言われる理由は、このうち根幹の「楽曲」という要素が、いわば借り物だからかもしれない。著作権フリー・商用利用可の曲に、タイトルをつけ直し、まるで自分の楽曲のように振る舞うーー。
こうした行為により「楽曲」への信頼が揺らいでしまうと、アーティストとしてのアイデンティティ=同一性まで揺らいでしまい、それゆえ「実在しないのでは」と言われてしまうのではないか。
しかし、チャン氏との間では、その感想さえ「今後は時代遅れになっていくのかもしれない」と思わせる、後述のやり取りがあった。「私は人間の体と意識を持つコンピュータなのかもしれません」というのは、同氏の中では、単なる言葉遊びというわけでもなかったのだ。
チャン氏の楽曲には、著作権フリー・商用利用可の曲を(タイトルだけ付け替え)そのまま使ったインストゥルメンタル、あるいはその曲に声を乗せたポエトリーリーディングの他にも、もう一つ、簡単なコード進行の弾き語りによるポエトリーリーディングもある。特に、近年はこちらに注力しているように見える。
プログラマティックに作られたとみられる楽曲とは趣が異なる。発表しているのがこのような動画だけであれば、“スパマー”“パクリ”という疑いを向けられることもなかっただろう。
記者はチャン氏に「ディープフェイクの技術で動画ですら合成できてしまう時代に、他者の曲を元にプログラマティックな楽曲制作をするあなたは、どうやってあなたのアイデンティティを証明するのか」と尋ねた。
すると、チャン氏は「アイデンティティというのがそんなにも重要とは思わない」と応じた。
「私は、コンピューター技術とAIの発展に伴い、一部の人はますます人工知能に近くなり、一部のコンピューター技術とAIはますます実在の人物に近づくとさえ思っています。おそらく将来的には、コンピューター技術とAIが、実在の人間とより深く、未知の形で統合されるでしょう。
人工知能が実際の人間と同じくらい優れていれば、人々に何らかの助けをもたらすことができます。 そのとき、その助けが実在の人物によるものか、コンピューター技術とAIによるものかを必ずしも知る必要はありません。おそらく将来的には、AIも実際の人間と同じまたは同様の扱いを受けることができるでしょう」
もちろんこれを、グレーゾーンの行為で収益を上げる人物の詭弁と疑う見方は忘れてはいけないだろう。
チャン氏はプログラマティックな音楽制作の正当性に問題をすり替えているとも読めるが、チャン氏が批判されているのは、短期間で大量のアップロードをすることや、他者の曲をほとんどそのまま使っていることだ。
その前提で、日本ではちょうど、ChatGPTといったAIの技術が大きな話題を集めている。ChatGPTは、倫理的な議論を置き去りに、そのあまりの利便性ゆえ、急速に浸透しつつある。
各業界も対応を迫られており、例えば教育現場においては、上智大学が(許可された場合を除き)レポートや論文などにAIが生成した文章やプログラムなどを使用することを認めず、発覚した場合、不正行為として処分することを公表している。
例えば、こうしたAIを使用し、著作権の切れた過去の文学作品をベースに、小説を無数に生み出し、小説投稿サイトに大量に掲載したら……それはスパマーでありパクリだろうか。今後、音楽以外のジャンルでも、同様のことが起きるかもしれない。
このように、人間の役割がテクノロジーやAIに置き換わっていくことは、仕事が無くなるという現実的な問題だけでなく、人間の創造性が失われるという面でも、ディストピアとして受け止められがちだ。しかし、チャン氏はポジティブに認識していることがうかがえる。
著作権フリー・商用利用可の曲を使ったプログラマティックな音楽制作も、著作権のない簡単なギターのコードを使った弾き語りのポエトリーリーディングも、それぞれテクノロジーやAIによる音楽制作、人の手による音楽制作というスタート地点の違いで、チャン氏にとって収束していく先は同じなのではないか。
それはつまり、前述した「たくさんの楽曲を作りたい」という目的である可能性だ。
記者は最後にチャン氏に“Who is Jincheng Zhang?”と聞いた。チャン氏の答えは「Jincheng Zhangは私たちの周りに住んでいるただの普通の人です」だった。
メールの履歴を振り返ってみる。レスポンスはとても早く、ところどころチャットボットを連想させる無機質な表現も見られる。翻訳ソフトを使っていたのだろうか。あるいは、今やメールをChatGPTに“代筆”させた可能性もある。
記者がやり取りしていたのは、人間か、テクノロジーを使った人間か、あるいは、誰だったのだろうか。