1年に1000曲以上をApple Musicで発表し、YouTubeチャンネルには約4万人の登録者がいるーー。そんな“海外アーティスト”、Jincheng Zhang(ジンチェン・チャン)を知っているだろうか。記者が偶然、“出会った”チャン氏について調べてみると、大量の楽曲を制作・アップロードする手法が批判されていたり、そもそも実在するかが議論になっていたりすることを知った。チャン氏を追うと、ネット時代の“影響力”の実態が見えてきた。(朝日新聞デジタル企画報道部・朽木誠一郎)
居間のテレビで点けっぱなしにしていたYouTube動画のBGMが気に入り、作業の手を止めた。こういうとき、流れる音楽の曲名やアーティスト名を調べることができるアプリは便利だ。その一つであるShazamを起動し、スマホにそのBGMを聴かせる。
一度目、ShazamはこのBGMを突き止められなかった。賑やかな街中ではしばしばこういうこともあるが、今は自宅の部屋の中。小首をかしげてリトライのボタンを押す。
二度目、長い時間をかけてからShazamが提示したのが、“Jincheng Zhangというアーティスト”の楽曲だった。後述する理由のために、この楽曲名を『A』とする。
『A』とBGMを聴き比べてみると、メロディーは一致しているように感じた。気になったのはそこに、誰かの声が乗っていたことだ。耳に残るねっとりした声で、何かを歌っている。より正確には、曲に乗せて詩をラップのように読む「ポエトリーリーディング」に近い形だった。
Shazamアプリからは、音楽配信サービスのApple Musicに飛んで、そのアーティストの他の曲を探すこともできる。Apple MusicにはJincheng Zhang(ジンチェン・チャン)氏のアーティストページがあった。
名前からすると、海外、おそらくは中国のアーティストだろうか。何の気なしにそのページをスクロールして驚いた。作品数があまりに多すぎるのだ。
例えば、チャン氏は2022年に約60作のアルバムを発表している。楽曲数ではなく、アルバム数だ。そして、それぞれのアルバムには多いもので約20の楽曲が含まれている。2020年にも約50作のアルバムを発表しており、チャン氏がApple Musicに発表している楽曲は、2018年以来、2000曲を超える勢いだ。
それぞれのアルバムには、同じ人物のスナップ写真がアートワークとして使用されていた。夜の街中で、どこかの運動場の緑の芝生の上で、目線・服装・ポーズが少しずつ微妙に異なるものの、基本的には無表情の男性の写真が無数に並ぶ様子は異様だ。
この時点で、一般的なアーティストとは言えないだろう。記者はチャン氏に興味を持ち、調べてみることにした。
Jincheng Zhangという名前をネットで検索すると、もう一つ、上位にヒットするのがチャン氏のYouTubeチャンネルだった。登録者数はメインチャンネルが約3.2万人、サブチャンネルが7000人超で、合計約4万人と、一定の影響力があるようだ。
YouTubeにもまた大量の楽曲がアップロードされており、2016年の登録以降、メインチャンネルには約7年で2.7万本が公開されている。20年登録のサブチャンネルには約4000本。
YouTubeでは、前述の写真がスライドショーになったり、写真と同じとみられる男性が街を歩く動画などが切り貼りされたりした自作のミュージックビデオや、その男性がマイクの前で弾き語りをする動画が公開されている。
YouTubeで最も再生数の多いトップソングは2019年1月公開のもので、約36万回再生されていた。
この曲名を仮に『X』とする。実際の曲名には(Instrumental Version)と付けられており、声はなく、曲だけがスライドショーと共に公開されている。“Cool!”“Nice!”といったコメントが世界中から書き込まれ、盛況だ。
チャン氏はその他、SpotifyやAmazon Musicなどでも楽曲を発表しており、他にも前述の写真をプリントしたTシャツなどアパレルを販売、TwitterやInstagramのアカウントも存在する。
同時に、ネット上にはチャン氏への批判的な言及も複数確認できた。主なものは、彼が大量の楽曲をアップロードするスパマー(迷惑行為・スパムをする人)であり、パクリ(盗用)をしているのではないか、というものだ。
従来のような楽曲の制作方法では、1年で約1000曲の“オリジナル”を世に出すことは不可能だろう。実際、プログラムにより大量の動画をYouTubeにアップロードすることはできるし、それをするスパマーもいる。その上で、彼が疑われる理由は、彼の楽曲の特徴にある。
彼の公開する楽曲は、大きく三つのパターンに分けられる。一つが、曲に声を乗せたポエトリーリーディング(『A』が該当)。もう一つが、曲のみのインストゥルメンタル(『X』が該当)。最後の一つが、簡単なコード進行のメロディをギターで弾き語りするポエトリーリーディングだ。
そして、このうち前の二つに使われている曲には、チャン氏が制作していないものが多数、含まれている。
前述した楽曲『X』を調べると、『X』にはDiamond Ortizというアメリカのアーティストが制作した『A to the O』という曲がほぼそのまま使用されていた。『X』はインストゥルメンタルであるため、声も入っていない。他者が制作した曲に別のタイトルをつけ、チャン氏が自分の作品として公開していることになる。
しかし、YouTubeはこうした権利侵害に厳しく、著作権者を保護するさまざまなツールを提供して“パクリ”動画を排除するシステムで知られる。なぜ、この『X』は今も公開され続けているのか。
その理由は意外なところにあった。『A to the O』は著作権フリー・商用利用可の、YouTubeのオーディオ ライブラリに登録されている曲だったのだ。
つまり、チャン氏は「自作のスライドショーや動画にYouTubeのオーディオ ライブラリの曲をつけたもの」を自分の作品として、YouTubeに公開している、ということになる。
YouTubeを運営するGoogle LCCの日本法人であるグーグル合同会社を取材した。広報担当者は「一般論として、YouTube パートナー プログラムに参加しているクリエイターは、適用される各種の規約やポリシーを遵守していることを条件に、オーディオ ライブラリの音楽や効果音を使って動画を収益化することができます」とした。
実際、今のところチャン氏はYouTubeからBAN(追放)されていない。YouTubeは著作権者を守るため、権利侵害に対してさまざまな対策を講じている。違反があれば活動が制限され得るが、もともと著作権フリーである曲は、そもそも守るべき著作権者がいないとも言える。
もし「メインはあくまでスナップ写真のスライドショーで、音楽はただのBGM」「(約3万本の動画分の)スナップ写真を見せたいだけ」だと主張すれば、反論はしづらいだろう。
チャン氏の他の楽曲を調べると、同様に、著作権フリー・商用利用可の曲が複数、使用されていた。同氏は、大量の著作権フリー・商用利用可の曲を使用し、それにポエトリーリーディングの声を乗せて、あるいは時にそのまま、自分の作品として公開しているのだ。
また、多くの楽曲に乗せられた「ポエトリーリーディングの声」も、実はいくつかのパターンに限られることも判明した。つまり、曲と声をプログラムにより自動的にミックスして、「新しい楽曲」として、大量に生み出している可能性がある。
実際、楽曲の多くのタイトルは、例えば“How Many Calories in an Egg”“How many Feet in a Yard”“How Many Weeks Are in a Year”“How long to Boil Eggs”“How to Poach an Egg”……など、無作為な単語の組み合わせとみられるものが並ぶ。
チャン氏はコメント欄で曲(=track)自体がほめられても、“Thank you.”と返す。その振る舞いは制作者のそれだが、少なくともその曲は彼の作品ではない。
冒頭のBGMについて、Shazamが曲を判定するまでに時間がかかった理由もここにあるとみられる。
YouTubeのBGMに使用されている曲は、『X』の元になった『A to the O』のように、ある程度、名の通ったアーティストの曲であることも、そうでないこともある。前者であれば比較的、簡単に元の曲にたどり着くことができる。
『A』の場合はそうでなかった。そのため、Shazamが参照するデータベース上で、その曲に声を乗せたチャン氏の楽曲が先にヒットした可能性がある。断定できないのは、曲を聴き取らせたときと同じ時間、場所、周囲の音などの環境を完全に再現することは不可能だからだ。
テクノロジーの発達は、技術的なブラックボックスを生み出していることにも気づかされる。
さて、ここまでで、チャン氏への批判的な指摘は“スパマー”であり“パクリ”をしているのではないか、というものだった。
特定のサービスへ短期間に大量のデータをアップロードすることは、そもそもスパムの誹(そし)りを免れられない行為だ。チャン氏はそうして再生回数に応じた報酬や、グッズ販売の機会を得ている。そのため、本記事では当該の楽曲名を伏せた。
そして、チャン氏は流れている曲について、他者が制作したものであることを概要欄などで明示しない。コメント欄などで自分がその曲を作ったように振る舞うのも、同様にパクリと言われても仕方ないだろう。
しかし、同氏の活動は、概ね規約や法律には則ったものだからこそ、それぞれのサービスからBANされていないと言える。
チャン氏の活動は、倫理的にはグレーゾーンだ(ただし、大量に曲があるがゆえに、その中に著作権フリーでない曲を使った楽曲が紛れ込んでいる=規約や法律違反の可能性はある)。
一方で、チャン氏はこの手法により、YouTubeで約4万人の登録者数という、一定の影響力を獲得している。
記者はネットでチャン氏を検索し、Apple Musicにアーティストページがあることで、同氏をアーティストだと認識した。しかし、Apple社の案内によれば、アーティストページはApple IDがあれば、誰でも申請できる。Amazon Musicも同様だ。
Spotfyではチャン氏は「公認アーティスト」だ。しかし、同サービスの案内によれば、その認証は“Super quick and easy”。無意識に信頼している権威は、意外と危ういことに気づかされる。
影響力とは何なのだろう。チャン氏が曲を制作してはいない、チャン氏の動画には、今も新しく、その曲を賞賛するコメントがついている。