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連載

#18 親子でつくるミルクスタンド

「牛は神聖な動物」なぜ乳製品と密接な暮らし? インド巡って考えた

神聖な牛、牛乳は飲んでいいの?

都市部の道でも、寝転んでいる牛たちがたくさんいました
都市部の道でも、寝転んでいる牛たちがたくさんいました 出典: 写真はいずれも木村充慶撮影

目次

日本でも知られる牛乳で割った紅茶・チャイや、ヨーグルトベースのドリンク・ラッシーだけでなく、アイスクリーム「クルフィ」やチーズの「パニール」など、インドの乳製品はバラエティー豊かです。そんなインドの牛の牧場を巡りたい――。そう考え、20日間かけてインド国内をぐるぐると回ってきました。現地でふれてきたインドの乳文化を紹介します。(木村充慶)

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インドの牧場を巡った理由

「なぜインドの牧場に行ったの?」

ミルクスタンドを経営し、全国の牧場を巡っている筆者ですが、今年3月にインドの牧場に行くことをSNSで発信すると色々な人から質問を受けました。

「理由は、インドは乳量が世界一の国だから」というシンプルなものでした。

インドの人口は2021年に14億756万人(外務省ホームページより)となり、1位の中国を抜いて、2023年には世界一の人口の国になる見通しといいます。

そんな人口の多いインドなので、酪農家もたくさんいます。日本の1万3300戸(出典:農林水産省「畜産統計(令和4年2月1日)」)に比べ、インドの酪農家は8000万戸もいます(出典:農畜産業振興機構「インド酪農の概要と 世界の牛乳乳製品需給に与える影響」、データは2015年のもの)。

国際酪農連盟日本国内委員会(JIDF)の「世界の酪農情況」によると、牛乳のもととなる生乳の生産量は、日本が年間約750万トン。対するインドは年間約1億450万トンです。この乳量は、なんと世界一です。

JIDF「世界の酪農家・乳業統計」によると、乳製品の輸出入量はわずかで、生乳の大半がインドで消費されていると考えられます。

インド北西部ジョードプルにあるお店「ミルク寺院」。あたたかいミルクに、とけた小麦の固形物がのせられた「ドゥード・フィニー」。癖になる甘い味だった
インド北西部ジョードプルにあるお店「ミルク寺院」。あたたかいミルクに、とけた小麦の固形物がのせられた「ドゥード・フィニー」。癖になる甘い味だった

人口の多さを差し引いても、これだけたくさんの生乳が消費されているインドにはきっと奥深い乳文化があるに違いない…。

そう思ったことがインドに行こうと思ったきっかけでした。

「そのままの牛乳」は飲まない

しかし、インドで主流のヒンドゥー教では「牛は神聖な動物」とされています。そのため、基本的に牛肉は食べません。

ただし、人間が生きるためにはタンパク質が必要です。そこでタンパク質が豊富に含まれる乳製品がたくさん消費されているのです。

しかし「牛肉はダメで、乳製品は良いの?」と疑問に感じる人も多いようです。生乳は神聖な牛を殺生しないので、宗教上、飲んでもいいとされています。

ミルクで割った紅茶「チャイ」、ヨーグルト「ダヒ」、ヨーグルトベースのドリンク「ラッシー」、棒状のアイスクリーム「クルフィ」、バターオイル「ギー」、チーズ「パニール」に、多様なスイーツなどなど、インド生活の中で、乳製品に触れない日はないようです。

インド東部のコルカタにあるスイーツ専門店。ミルクがベースとなっているスイーツが多く見られました
インド東部のコルカタにあるスイーツ専門店。ミルクがベースとなっているスイーツが多く見られました
これほど乳製品がバラエティーに富んでいるのは歴史の深さもあります。

アフロ・ユーラシア大陸の乳文化と牧畜を研究する帯広畜産大の平田昌弘氏によると、日本では少なくても古くは飛鳥時代に牛乳が百済から持ち込まれ、一部の限られた人びとが飲んでいたそうです。

一般の人まで広がったのは戦後の給食の牛乳だったといいます。

他方で、インドでは数千年以上前、西アジアから家畜とともに乳文化がもたらされたといいます。そこからずっと乳製品に触れてきた長い歴史があるのです。

ミルクは栄養価が高い分腐りやすいため、暑い気候のインドでは保存性を高めるために加熱殺菌か乳酸発酵が基本になっていると言います。
コルカタのミルクスタンドで飲んだホットミルク。素焼きの陶器は一回使ったらすぐに捨てます
コルカタのミルクスタンドで飲んだホットミルク。素焼きの陶器は一回使ったらすぐに捨てます

貴重なミルクを余すことなく使うため、加工が主体になり、様々な乳製品が生まれていったのではないかと考えられます。

その影響なのか、インドでは日本ほど冷たい牛乳は飲みません。冷たいものはラッシーやアイスクリームのクルフィくらいで、あとは常温か温められたものがほとんどです。

「牛」優先のインド

インドを訪ねたのは今年3月。20日間かけて牧場を巡りました。

北はグルガオン、ジョードプル、西はムンバイ、プネー、東はコルカタ、南はチェンナイ、バンガロール。

インド国内をぐるぐる回りながら、16ヶ所の牧場と各地のミルクにまつわるお店を訪ね、インドの乳文化にふれてきました。

街を探索していると、人口が増えている影響もあり、道路には車・バイク・人があふれていますが、そのなかにも至る所に牛がいて、自由に歩き回っていました。

ジョードプル市街の道路を歩く牛たち
ジョードプル市街の道路を歩く牛たち

デリーやムンバイ、バンガロールといった大都市では開発が進み、街から牛は減ったようですが、それでも脇道をのぞくと、数頭が寝ているなど少なからず牛を見かけました。それ以外の都市では、街には常に牛がいるような状態でした。


牛たちは道の脇、空き地、屋台の周辺などで歩いたり、エサを食べたり、座ってゆっくりしたり、自由気ままに過ごしています。大きな幹線道路の真ん中で寝ている牛もいました。

道路のど真ん中で寝る子牛たち。ドライバーたちは慣れた様子で避けて走っていました
道路のど真ん中で寝る子牛たち。ドライバーたちは慣れた様子で避けて走っていました

大きなトラックが走っている脇を歩く牛たちを見ると危ないと感じてしまいますが、そこは牛を神聖な動物と崇めるインドです。牛は大切に扱われます。

ドライバーたちは牛が通過するまで待ったり、避けて走ったり……。とにかく「牛」優先で動いていました。

街中の牛たち「野良牛」と思いきや…

「牛といえば、牧場にいるもの」

それが当たり前だと感じていた著者は、牛が街中を自由気ままに歩いている光景に驚きを隠せませんでした。

野良犬のように街を闊歩している牛を見ると、「これは野良牛なのか?」と思ってしまいます。

しかし、実は多くが飼い牛でした。

夕方近く。牛たちは飼い主の家の方に帰っていきます
夕方近く。牛たちは飼い主の家の方に帰っていきます

朝から道端にいる牛たちは、夕方くらいになると自然とどこかに消えていくのですが、それは飼い主の家に戻っているのだといいます。

北部のジョードプルの街中にある、牛飼いの家を訪問させてもらいました。

ジョードプル市街の牛飼いの家にある牛舎。搾乳の時間になると戻ってくるそうです
ジョードプル市街の牛飼いの家にある牛舎。搾乳の時間になると戻ってくるそうです

牛たちは早朝、自宅に併設された牛舎で搾乳された後、家を出ます。特に飼い主が指示することはありません。開けっ放しの玄関から自由に街へ出ていきます。

搾乳する牛飼いの女性。インドの小規模な牧場では手搾りがほとんどでした
搾乳する牛飼いの女性。インドの小規模な牧場では手搾りがほとんどでした

昼間、牛は道端や広場などで草などを食べたり、寝たりして過ごします。
そして夕方ごろ、どこから呼ばれたわけでもなく、自然と飼い主の家に戻っていくのです。
再び牛舎で搾乳され、そのまま夜は牛舎で過ごします。翌朝もその繰り返しです。

こうした流れで牛は街の中で「放し飼い」されているのです。

日本でも牛を放牧したり、放し飼いしたりすることがありますが、多くは仕切られた敷地内でおこなわれます。それが、インドでは街を放牧地として、自由に牛が歩き回っているのです。

インド西部プネーの牧場近くにいた牛たち。近くに住むという子どもたちが野菜のあまりを与えにきていました
インド西部プネーの牧場近くにいた牛たち。近くに住むという子どもたちが野菜のあまりを与えにきていました

街のみんなにかわいがられ、まるで街のみんなが飼い主かのように感じました。

道端で牛たちを見ていると、住民たちが余ったインドのパン、チャパティや、野菜の外皮などを牛に与えていました。

牛飼いだけでなく、みんなで牛を大切にしている様子は、『サザエさん』に出てくる飼い猫の「タマ」のようでした。

これから、インドの牧場でみた出来事やインドの乳文化について、連載で報告していきます。

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