会社の「寮完備」にひかれて就職したところ、休日に仕事にかり出されたり、サービス残業が増えたり……。「ハガネの女」「カンナさーん!」などで知られる漫画家の深谷かほるさんが、ツイッターで発表してきた「夜廻り猫」。今回は若者の「退職」にまつわるエピソードです。

辞める余裕がない者は、断れないのに…
きょうも夜の街を回っていた猫の遠藤平蔵。ベンチでひとり考え込む青年の、心の涙の匂いに気づきます。
若い男性は、ある会社の「寮完備」にひかれて就職しました。会社と社長の自宅のすぐそばに立地する社員寮。すると、休日も「ちょっと手伝ってくれる?」と声をかけられたり、仕事終わりに「今日中に配達しなきゃいけないんだけど…」と持ちかけられたり。
ある日は、社長から「日曜、出られる?」と、出勤が当たり前かのように言われます。
青年は「社長は選択肢を与えた気でいるんだろうけど、辞める余裕がない者は断れない、追い詰められるだけ」と言います。
結局、青年は社長に「辞めます」と伝えました。働かなければ生きていけないのに、できることは「退職」しかありませんでした。
彼の話を聞いた猫の遠藤は、ふところから、コンビニのおにぎりを差し出します。
すると、青年はそれを受け取って、「はんぶんこ」して、遠藤に手渡すのでした。
「働いても未来が1ミリも良くならない」地獄
作者の深谷かほるさんは「お金に困っているとき、ただひとつの仕事に支えられているとき、条件がどんどん悪くなることってありますよね」と振り返ります。
深谷さん自身も、対価を約束して仕事をしたのに、終わってから「下げさせてもらえる?」と尋ねられたことがあるそうです。
そのときは「約束通りにしてください」と断れましたが、「それは当時、余裕があって『この会社からは縁切りされるだろうけど、もう構わない』と思えたからでした」と話します。
別の機会には、いつも通りのギャラがいただけるだろうと思っていたら、断りなく以前の半額ほどに減らされていたこともあったといいます。
このときは「自分の今の評価額はこんなに減ったのか」「文句を言って切られたら困る」と気弱になり、悩み始め、仕事のアイデアも冴えなくなり……。
一日も休まず仕事しているのに、貧困に苦しむレベルの収入で、最終的には「死にたい」という気持ちまで出てきたそうです。「本当に地獄でした」と話します。
「働いても未来が1ミリも良くならない、という見通しはつらいです。そこから抜け出すには辞めるしかないとしても、辞めたら来月の生活もなくなってしまう……。それでも、『自分の意向を誰も気にしてくれない』という無力な歯車になってしまっている人間が自分の意思を示すのは、それくらいしかないんです」

猫の遠藤平蔵が、心で泣いている人や動物たちの匂いをキャッチし、話を聞くマンガ「夜廻(まわ)り猫」。
泣いているひとたちは、病気を抱えていたり、離婚したばかりだったり、新しい家族にどう溶け込んでいいか分からなかったり、幸せを分けてあげられないと悩んでいたり…。
そんな悩みに、遠藤たちはそっと寄り添います。遠藤とともに夜廻りするのは、片目の子猫「重郎」。ツイッター上では、「遠藤、自分のところにも来てほしい」といった声が寄せられ、人気が広がっています。
◇
深谷かほる(ふかや・かおる) 漫画家。1962年、福島生まれ。代表作に「ハガネの女」「エデンの東北」など。2015年10月から、ツイッター(@fukaya91)で漫画「夜廻り猫」を発表し始めた。第21回手塚治虫文化賞・短編賞を受賞、単行本9巻(講談社)を2022年11月22日に発売。講談社「コミックDAYS 編集部ブログ」で月・金曜夜に「夜廻り猫」を、講談社「コクリコ」で木曜に夜廻り猫スピンオフ「居酒屋ワカル」を連載中。