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フィリピンでカジノ盛んな理由 故マルコス元大統領の抱いた〝野望〟

フィリピンのカジノ・Okada Manila
フィリピンのカジノ・Okada Manila 出典: Reuters
フィリピンを拠点にした特殊詐欺グループの関係者が“豪遊”していたと複数のメディアが報じ、にわかに注目の集まるマニラのカジノ。カジノと聞くとラスベガスやマカオなどを連想しますが、フィリピンもカジノが合法化されており、盛んです。その背景には、故マルコス元大統領の働きが。経緯をまとめます。(withnews編集部・朽木誠一郎)
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故マルコス元大統領と深い関わり

約35億円の被害を出した特殊詐欺グループが拠点にしていたとされ、フィリピンについてのニュースが続いています。その中で、関係者が“豪遊”していたと報じられているのが、マニラのカジノです。

フィリピンはカジノが合法化された国の一つで、2019年の内閣官房委託調査の報告書によれば、その市場規模はマカオの376億米ドル(約4兆円)、ラスベガスの119億米ドル(約1.3兆円)には及ばないものの、シンガポールの45.3億米ドル(約0.5兆円)に近い、35.8億米ドル(約0.4兆円)となっています。

参考1:アジア近隣諸国をはじめとする世界各国のIRにおける経営戦略等及び再投資に関する事例調査報告書(概要版)
https://www.cas.go.jp/jp/siryou/pdf/ir_jireichousa_gaiyou.pdf
参考2:アジア近隣諸国をはじめとする世界各国の IR における経営戦略等及び再投資に関する事例調査報告書
https://www.cas.go.jp/jp/siryou/pdf/ir_jireichousa.pdf

京都大学東南アジア地域研究研究所の師田史子さんは、その論文『フィリピンにおける賭博の規制・管理の過去と現在』で、もともとフィリピンでは賭博文化が盛んだったことを指摘しています。

参考3:フィリピンにおける賭博の規制・管理の過去と現在 - アジア・アフリカ地域研究 第20-1号 2020年9月
https://www.jstage.jst.go.jp/article/asafas/20/1/20_1/_pdf/-char/ja

はびこる違法賭博を厳しく取り締まる一方、国としてカジノ合法化を推進したのが、故マルコス元大統領でした。

前述の報告書によると、1977年、故マルコス元大統領は、大統領府傘下の国営会社「フィリピン・アミューズメント・ゲーミング会社(PAGCOR)」を設立。政府予算の財源獲得と非合法カジノの排除を狙い、同社にカジノ独占権を与え、運営を委ねました。

1983年には新たに「PAGCOR憲章」と呼ばれる大統領令を発令、同社は規制者であり、かつ自らが独占権を持つ運営者という存在に。また、その収益から政府のインフラ、社会文化活動への財源を拠出し、観光振興に貢献する役割も担うことになりました。

公営カジノ運営は政府の主な収入を担う事業になり、収益はマニラの洪水対策、下水整備、人口政策、美化のための財源など社会福祉事業にも充てられるとされましたが――。

前述の論文によれば、カジノ合法化政策は故マルコス元大統領の“縁故者や側近、友人、取り巻きといったいわゆる「クローニー」による汚職の根源となった”という結果に。故マルコス元大統領は1986年の民衆による抗議運動「ピープルパワー革命」により失脚します。

一方、PAGCORはその後も存続。2007年の大統領令改正で、同社はさらに2008年から25 年間の独占権を付与されました。2000年代にはPAGCOR主導で統合型リゾートを集中させる経済特区の開発が進められ、マニラ湾の埋立地に「エンターテイメント・シティ」が作られています。

2022年5月にはフィリピン大統領選で故マルコス元大統領の長男が歴史的な圧勝を果たしたことが世界を驚かせました。戒厳令を敷いて独裁体制を取った故マルコス元大統領でしたが、国内では「父マルコスの時代のフィリピンは豊かだった」とする意見もあり、それが反映されたものとみられます。

人間の欲望がうず巻くカジノは、現代もさまざまなドラマを生み出していると言えそうです。

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