自分の存在を確認もされたくない――。東京五輪開会式に出演するなど、さまざまな舞台で活躍するお笑いタレントのなだぎ武さん。しかし中学時代に暴力を含む壮絶ないじめに遭い、その後、引きこもり状態にも陥りました。当時、どんなことを感じていたのか、つらい状況から脱したきっかけを、YouTube「たかまつななチャンネル」で聞きました。(笑下村塾・たかまつなな)
ーー明るくて面白いイメージのなだぎさんですが、いじめや引きこもりの経験があると聞いて驚きました。いじめに遭っていたのは、いつ頃ですか?
中学校に入ってからですね。中学に入ってから太り始めたんですよ。そこで「デブ」といじられ出して、そこから徐々にいじめが始まりました。
気がついたら、自分のものが隠されているとか、お弁当を開けたら砂を入れられているとか。さらにエスカレートして、暴力を受けるようになりました。
ーー暴力ですか。
ホウキで殴られたりしましたよ。掃除をしているとき「ああ、手が滑った」とか言われて、パーンって。今考えればなかなかハードなことをされていましたね。
―ーひどいですね。それでも学校には行き続けたんですか?
親に心配をかけたくなかったんですよね。休むとなれば「なんでや」となって、理由を言って大ごとになるのも嫌やったんですよ。
できる限り現状を維持したい思いがあって、やられるがままでしたね。
ーー先生はいじめに気づかなかったのですか?
これがまた気づかないんですよ。今の時代だったら、少しの変化にも気づいて、手を回してくれる先生もいるんだろうと思うのですが、昭和世代の人間なのでね。
ちょっと怪我していても「転んで怪我したんやろ」くらいの扱いなんですよね。
しまいには先生からもいじられ出したんです。
修学旅行で、山を登っているときにみんなで歌を歌うことになった。歌のサビの部分を先生が「なだぎはデブ」って替え歌にしたんですよ。
ーー先生がそんなことを?
先生にさほど悪気はなくて、笑いが生まれればいいと思っていたのでしょうね。でも自分はすごくショックだったんです。
先生に続いて生徒が笑いながら僕の悪口を輪唱していく、その光景自体も。自分だけどんどん地獄の底に突き落とされていくような思いで、ずっとうつむいて歩いていました。
そんなこともあって、先生には頼れないと思っていたんですよ。誰も助けてくれへん。誰かが助けてくれるだろうと期待することもやめようと、諦めました。
ーーその頃はどんなふうに毎日を過ごしていたんですか。
深く考え始めるとふさぎ込んでしまうので、なるべく考えないように。一番の気晴らしはテレビでした。
バラエティをたくさん見て、面白いな、自分はそっちの世界には居られない側の人間だけど、みんなが笑顔で楽しそうにしている世界に、少しでも浸ることができたらなというような思いもあって見ていました。
ーー特にどういうことがつらかったのでしょうか。
母親がお弁当をつくってくれるのに、捨てられたり砂を入れられたりして、食べられない。
そのことは母親に言えないので、母親は僕が食べていると思って毎朝つくってくれるわけじゃないですか。その姿を見るのがつらかったです。
一方で、いじめられている間って、どこか俯瞰で自分のことを見ている自分がいて、ひどいことをされても、自分の頭の中では目の前の状況にツッコんでいましたね。
たとえば一度、便器に顔を突っ込まれて水でジャーッと流されたことがあります。
そんなつらい仕打ちを受けながらも、僕は心の中で「お前ら、貼り紙見えへんのかい」ってツッコんでいたんです。
「トイレットペーパー以外のものを流さないでください」って貼り紙に書いてあるんですよ。
見えへんのかお前ら。そうやってツッコミを入れられるということが、自分の中で気持ちの拠り所になっていたのかもしれませんね。
ーーいじめに遭った後、長く引きこもった時期があると、ご著書『サナギ』(2011年)にも書かれていましたね。
そうですね。16歳から18歳の丸々3年、家に引きこもりました。
いじめに遭って、学校にも先生にも希望が持てなくなって。
高校には進学せず、メッキ工場に就職したんですが、中学卒業したての子が大人の中になかなか溶け込めないですよね。
だんだんついていけなくなって、半年ほどで逃げるように退職して。そこから3年間、引きこもるようになりました。
ーー引きこもるようになって、どんな生活を送っていたんですか。
家族とも話しませんでした。最初の頃は、母親が部屋に持ってきてくれる食事を取っていたんですが、だんだんご飯を食べることすら嫌になってくるんですよ。何もしていない自分が、なんで存在しているやろって思ってきて。
一緒に住んでいる家族に「ご飯は食べている」と自分の存在を確認されるのが苦痛にもなってきた。
自分の部屋から冷蔵庫まで行って、飲み物を取って帰ってくる、その行動すらも家族に知られたくない、それくらいおかしくなっていました。
でも喉は乾くし、水分を取らないと死んでしまう。だから自分の部屋の窓からこっそり外に出て、飲み物だけ買って窓から部屋に戻っていました。脱獄犯みたいですね。
とにかく自分の存在を消して、誰からも意識されたくないと思っていました。そんな気持ち、わからないでしょう?
ーー正直、想像がつかないです。他者と交流したくないということですか。
そうなんですよ。そんな生活を2年くらい続けて、栄養失調にもなりました。
ーー変化のきっかけは何だったのでしょうか?
あるとき急に「このままでいいんかな」って思ったんですよ。心の中でポッと、種火みたいに生まれた感情なんですけど。
たまたま、テレビで映画『男はつらいよ』を見て、主人公・車寅次郎のキャラクターに衝撃を受けたんです。
寅さんは「フーテンの寅」と呼ばれていて、今で言えば「ニート」ですよ。
でも愛嬌があって、いろんな人に愛される。めちゃくちゃ最低でどうしようもないけど、心があったかいから、寅さんのいるところに人が集まってくるんです。寅さんのような人間になりたいなあって思いました。
ーー憧れたんですね。
ただ、すぐに「だめだ、俺は寅さんにはなれない」と思うわけです。なぜなら人見知りやし、女の子ともしゃべれん。人望もまるでない。
それでも、たった一つ、寅さんに少しでも近づくために「できること」があると気づいた。それが一人旅でした。
今まで一人旅どころか、部屋の外にさえ出ていなかったのだけど、勇気を振り絞って一人で旅に出たんです。
今のように携帯がない時代だから、道がわからなかったら人に聞くしかないんですよ。最初はどうしようと随分悩みながらも、勇気を出して通りすがりの人に声をかけて、道を尋ねることができました。
歩いている人に道を聞けた。それだけでめちゃくちゃ自信につながったんです。
「聞けた。めっちゃ嬉しい。なんだこの感情」って。それで歩いていると、また道が分からなくなるんだけど、2回目にはもう「さっき聞けたんだから、次も聞けるだろう」と思える。一度できたことが、自信の積み木になるんですよ。
道を聞いたら教えてくれた。それはつまり人の優しさをもらったということです。だから次第に感謝の気持ちが生まれてくるんですよ。
いじめられて、誰にも助けてもらえなくて、感謝なんて気持ち、それまで知りませんでした。そんな人間が、「ありがとう」の感情を覚えるんです。もうレベルアップですよ、タラララッタッターって(笑)。
旅先ではいろんなハプニングがあったんですが、そのたびに誰かが助けてくれて、優しくしてくれた。家に帰ったときには、出発したときの自分とは全然違う自分ができあがっていたんです。
ーーなだぎさんはその後お笑いの世界に進み、R-1優勝などを経て、現在も活躍されています。引きこもっていたことを考えると、信じられない変化ですね。
それこそ自著のタイトル『サナギ』のように、僕は本当にサナギだったんですよね。
暗い部屋の中でしか存在しない、それでいいと思っていた。今、スポットライトを浴びる世界にいて、人前で何かやって笑ってもらえることが嘘のようです。
ーー引きこもっていた時期は、自分にとって必要だったと思いますか。
今となっては、そうですね。そのときに読んだ本やマンガ、聞いた音楽、見た映画は、自分のネタの引き出しになっている一面があります。
あと、僕は親から「早く部屋を出なさい」と急かされたことが一度もなかったんです。そのおかげで、自分自身で「このままでいいんかな」と気づけたのだと思います。
もし「あんた、これからどうするの?」とか「出ていきなさい」とか無理やり言われていたら、反発していたかもしれない。
たまたまテレビで寅さんを見て「すげえ!」「いいな、僕はこういう人が好きだな」って憧れる気持ちが生まれて、その自分の「好き」と思う気持ちが、落ちていた自分自身を引っ張り上げてくれたんです。そこまで放っておいてくれた親には感謝しています。
ーー最後に、今いじめに遭ったり引きこもったりしていて、苦しんでいる方に向けて、メッセージをお願いします。
僕らが子どもの頃とは、今は時代が違いますよね。インターネットやSNSがあるから、遠くに見える世界にも、ちょっと手を伸ばせば届くようになった。
一方で、僕らの頃は「いざとなれば人に頼らないとしょうがないぞ」と腹を括れたのが、今はスマホさえあれば誰に頼ることもなく情報を得られるので、人と関わるのが難しくなっている時代でもあると思うんです。
そんな中で、自分の中に生まれた「好き」が、自分の背中を押したり、人と関わるきっかけになったりすることもあります。
だから何かひとつ、自分がいいと思うものや、好きな世界があったら、それを「好き」だと思う気持ちを貫いて生きていってほしいです。人から何を言われても、守り抜いてください。
「好き」という思いは、いつか自分を引っ張り上げてくれると思うんで、これやと思うことは恥じることなく貫いてほしい。そして、その「好き」の先で頼れる人に出会えたら、迷わず頼ってくださいね。人はひとりでは生きていけないので。
ーーきっとなだぎさんの言葉を聞いて、救われる人がいるんじゃないかと思います。本日はありがとうございました。
(取材:たかまつなな、編集協力:塚田智恵美、監修:藤川大祐 千葉大学教育学部教授)
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〈たかまつなな〉笑下村塾代表取締役。1993年神奈川県横浜市生まれ。時事YouTuberとして、政治や教育現場を中心に取材し、若者に社会問題を分かりやすく伝える。18歳選挙権をきっかけに、株式会社笑下村塾を設立し、出張授業「笑える!政治教育ショー」「笑って学ぶ SDGs」を全国の学校や企業、自治体に届ける。著書に『政治の絵本』(弘文堂)『お笑い芸人と学ぶ13歳からのSDGs』(くもん出版)がある。