連載
#21 名前のない鍋、きょうの鍋
「これだけでいいんですよ」露地栽培の野菜が生きる〝名前のない鍋〟
みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。
いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。
「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。
今回は、農薬や化学肥料を使わずに露地栽培で野菜を育てる男性のもとを訪ねました。
大貫伸弘(おおぬき・のぶひろ)さん:1986年、埼玉県生まれ。大学卒業後、営業職と飲食業を経験したのち、茨城県の久松農園で研修を受け2015年に自身の農園『Bonz farm(https://www.instagram.com/bonz_onuki/)』を設立する。露地栽培のみ、農薬や化学肥料を使わず年間50品目、約100種の野菜を育てている。
埼玉県の北東部にある羽生(はにゅう)市を訪ねた。
すぐ上はもう群馬県で、東に少し行けば茨城県というエリアである。
東武伊勢崎線の南羽生駅から8分ほど歩くと、大貫伸弘さんが経営する『Bonz farm(ボンズファーム)』にたどり着く。宅地の中にある農園だ。
「昔はここから駅まで見渡せたそうです、あたりは全部田んぼと畑だったから。僕が小学校に入った頃から宅地化が進んでいきました」
大貫さんは今年36歳、小学生になったのはちょうど30年前か。家は代々続く農家と聞くが、何代目になるのだろう。
「それがよく、分からないんです。確かなのは4代前まで。その前はどうだったのか……まあ、4代目と書いちゃっていいですよ」と言って笑われた。
訪ねたときはちょうど野菜の収穫中。白菜を刈り取って、余分な葉を落とす乾いた音が師走の空気によく響く。
「鍋に使おうと思って。きょうは野菜のしゃぶしゃぶにします。冬は鍋、週3~4回はやりますかね、なんだかんだラクですし。野菜はたっぷりありますから、肉ときのこでも買ってくればできるし」
少し前に、都内の串焼き店で食べた野菜の良さが心に残った。ただ「甘い」「おいしい!」と感じさせるでなく、野菜本来の個性がきちんと、ずしりと感じられてくるような味わいで。
店主に聞けば「Bonz farmという埼玉の農園で、いい野菜を作ってる人がいるんですよ」と。こんな野菜を育てる人の食卓はどんなだろうと気になり、取材を申し込んだ。
畑のすぐ裏手が住まいになっている。
キッチンに鍋の材料を運んで、大根と人参の泥を落とし、白菜を切り分け、鶏肉をひと口大に切り分けていく大貫さん。
肉ときのこ、柚子以外は先の畑で採れたものだ。露地栽培のみ、農薬や化学肥料を使わず、すべておひとりで育てられている。
「きょうの主役はレタスです。レタスのしゃぶしゃぶっておいしいけど、あまり知られてないですかね。特にハンサムグリーンレタスというこの品種、食感がしっかりしていて肉厚で、加熱してもうまいんです」
しゃぶしゃぶ用に大根と人参をピーラーでむいていく。むきたてを「味見します?」と渡してくれた。
ああ、なんとみずみずしい……香りがまた素晴らしかった。この人参でスープを作ってみたくなる。
しみじみ味わっていたら、鍋がしゅうしゅうと湯気を上げだした。先に鶏肉、白菜、椎茸を鶏がらスープで煮ておくのだそう。
大貫さんの手つきは慣れていた。小さい頃、作るのが好きだったのはチャーハン。学生時代のバイト先でキッチンを経験したのも役立っている。
現在は2歳年上の妻と共働きでふたり暮らし、早く仕事を終えたほうが夜ごはんを作っている。
気になっていたことを訊いてみる。Bonz farm(ボンズファーム)って、どんな意味なんでしょうか?
「野球選手のバリー・ボンズっていたでしょう。バイト先で似てるって言われて。以来みんながずっとボンズって呼ぶんです(笑)」
あだ名が屋号にまでなったわけだ。大貫さんは実際に野球少年で、小学校から大学まで多くの時間を野球に捧げてきた。憧れた選手を訊けば、イチローと松井の名が即座に挙がる。
「小学生のときは県大会にも行けて、高校時代は甲子園を目指して。将来は野球のトレーナーになろうかと思ったんですけど、だんだん経営や飲食にも興味が湧いてきたんです」
26歳のとき、勤めていたレストランでちょっとした人生の“事件”があった。茨城県にある久松農園の野菜との出合いである。
「圧倒的にうまかったんです、野菜自体の生命力もハンパない。ちょうどその頃、家業としての農業をどうするか考えていた頃でした。それまでは正直やりたくないという気持ちもあって。でも、続いてきた畑を潰すのは嫌だな、絶対嫌だって思って」
生家に続いて広がる畑が宅地に変わる様を想像したら、瞬間的に「嫌だ」と思った。迷いはなくなった。
農業を学ぼうと決意し、久松農園の門を叩いて研修生となる。28歳だった。
「少人数で年間多品目の野菜を作っている現場を体験したかった。平日は研修、週末はバイトで休みのない2年間でしたが、もともと休みたいともあまり思わない性分なんです。そうそう、研修生って1週間交代で料理番やるんですよ。そのときもよく鍋してましたね」
炊事当番は畑の野菜が使い放題。手軽ですぐに火が通る野菜しゃぶしゃぶは当時もよく作ったそう。
鶏だしにくぐらせただけのレタスや春菊が実にうまい。
「これだけでいいんですよ」と大貫さんが独り言のようにつぶやきつつ、野菜をどんどん口の中へ運ぶ。いい食べっぷりだ。
ハンサムグリーンレタスはギザギザしている葉先につゆがよく絡む。
加熱してもシャキシャキ感が残って食感が楽しく、確かに鍋の具にいいものだ。豚しゃぶや寄せ鍋に入れてもよさそう。
大貫さんは今考えるのは、より良い畑作りのこと。
「まだまだ理想の畑には遠いんです。僕は栽培が上手じゃない。土の盛り方、排水路の作り方なども毎年考えては試してみるけど、なかなかうまくいかなくて。今夏は雹(ひょう)にやられて、せっかく育ったナスやズッキーニが1日でダメになる経験もしました」
自然相手の商売、予想もつかないことが起こる。途方に暮れる日もあるだろう。
だが「ちょっとずつデータも蓄えられてきたし、見えてきた部分もあるんですけどね」と明るい表情を見せてくれた。
ちなみに雹(ひょう)にやられた作物は、つきあいのある人たちからすぐに注文が来た。煮込みやスープにする分には何の問題もない。
自身の農園を開いて7年目、大貫さんを信頼し、応援する客筋が広がっている。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416。
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