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「誰でもつまずく可能性はある」生活保護の負のイメージ…原告の思い
減額訴訟 利用者にとっての「重み」
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する――。憲法25条にはそう定められています。この理念のもとにできた生活保護制度は、「最後のセーフティーネット」といわれます。しかし、生活保護費は2013年から3年かけて引き下げられ、原告団が各地で「生活保護基準引き下げ違憲訴訟」を起こしています。原告になっている人たちは、どんな思いで生活しているのでしょうか。突然死した妻から原告を引き継いだ、富山市の男性に話を聞きました。(朝日新聞富山総局・竹田和博)
「物価がもう1割近く上がってる。これ以上、どこを削ったらいいのか」
2022年7月中旬、富山地裁であった生活保護基準引き下げ富山訴訟の口頭弁論を終え、生活保護を利用している原告の一人である富山市の男性(81)はそう語りました。
もともとは妻が原告でしたが、5年前の3月、くも膜下出血で突然亡くなりました。68歳でした。
「彼女は病気で半分倒れそうになりながら法廷に通っていた。『行かずに死ぬのは嫌』というのが彼女の生き方でした」
男性も口頭弁論のたびに法廷に足を運んでいました。でも、「長期間になるし、本当に何か変わるだろうか」と、どこか冷めた思いがあったといいます。
それでも「彼女が走ってきた道を途切れさせるのは申し訳ない」。相続人として原告を引き継ぎました。
男性は、金沢大学大学院で核物理を、妻は同じ大学で教育学を学びました。その後、縁あって金沢市内の同じ塾で働くようになりました。
子どもたちと向き合うことにやりがいを感じていた妻は、富山に引っ越してからも塾勤めを続け、男性は、家庭教師などをして生計を立てていました。
妻が病に襲われたのは40歳のころ。重度の糖尿病でした。低血糖で突然倒れ、ある時は足を複雑骨折し、ある時は風呂で大やけどを負いました。車の運転も、仕事も難しくなりました。
それでも、自宅で子どもたちを教えていましたが、その最中にも意識を失うようになりました。妻が働けなくなったぶん、生活は次第に苦しくなりました。
妻が50代、男性も60代になったころ、男性から「生活保護を取るしかないのでは」と伝えました。
自身は働いていたものの、狭心症を患い「一人でやっていくだけで精いっぱいだった」と振り返ります。
二人はやむなく別れを選び、男性は地元の大阪で家業を手伝い、妻は生活保護を受けることになりました。
しかし、男性の家業が苦境に陥ります。追い打ちをかけるように、狭心症の発作で病院に運ばれました。
手術を要するほど悪化し、医師からは「このままだと死にますよ」と告げられました。それでも経済状況を考えると難しいと感じました。
「あなたには生活保護を受ける権利があります」
医師からは、そう言われました。
以前は妻に勧めたのに、男性は「不思議なもんで、自分が使うとは考えもしなかった」といいます。
「生死の分かれ目でした。生活保護があると言ってくれた医師は、命の恩人」と振り返ります。
自身も生活保護を受けた後、妻のことが心配になった男性は、「一緒に助け合う方が安心」だと、富山に戻って再婚しました。
10年前、当時野党だった自民党は「生活保護の給付水準1割削減」などを公約に掲げて衆院選で大勝しました。
政権復帰後の2013~2015年、国は生活保護費のうち、衣食など日常の生活費にあたる「生活扶助」の基準額を平均6.5%、最大10%引き下げました。男性の家庭では、月額計3600円が減額されました。
「原告になろうと思う」
ある日、妻が言いました。
詳しい理由は聞きませんでしたが、男性は「家計のやりくりをしてくれていたので、深刻さを肌身に感じたんだと思う」と慮ります。
「妻は納得できないことに断固として声をあげる人でした」
貧しい家庭で育ち、幼少期にはお金がないことや身なりが整っていないことでいじめられたといいます。
「負けてたまるかという思いで生きてきたと聞いた。今回も、弱いものいじめのような引き下げの経緯に納得できなかったんだと思う。そんな彼女に引っ張られて、結果的に(裁判を)引き継ぐことになっちゃったね」
男性は2020年の秋、がんの診断を受けました。告げられた余命は1~2年。
「いつどうなるか分からない」。万が一に備え、すでに司法書士に裁判を引き継ぐ手続きを済ませています。
今年7月には転移が判明し、2度目の手術をしました。移動に車いすや杖を要するものの、富山市内で一人暮らしを続けています。
1カ月の生活費は、支給額と年金を合わせて約7万5千円。家賃や光熱費、食費を引くと手元にはほとんど残りませんが、「知り合いから野菜を安く分けてもらえることもある。僕は恵まれてる方です」と話します。
大雪に見舞われた数年前、富山駅近くで路上生活をしていた40代の男性を、一冬、自宅に住まわせたことがありました。
「この先、倒れることが目に見えていた。でも、本人には自力で脱する力がない。自分も同じ境遇になりかけたから、ほっとけませんでした」
この男性はその後、生活保護を利用したと聞きました。
「生活保護は、人としての生活を支えてくれるもの。明日も来月も生きていける、その安心感があるかないかで全然違うんです」
一方で、「僕より厳しい生活をしながら制度を使っていない人もいる。親戚に知られるぐらいなら死んだ方がましと言う人もいた」と教えてくれました。生活保護につきまとう、負のイメージの根強さにやりきれなさを感じています。
「誰だってつまずく可能性はある。でも、自己責任と言われてしまうと助けを求めにくくなる。人は一人では生きられない。人と人が、より支え合う社会になってほしい。そんな訴えを投げかけるのも、この裁判だと思います」
「臓器の一部はなくなったけど、生き残ってる。生きられる限りは、最後まで元気にやっていこうと思っています」
生活保護利用者にとっての千円と、ほかの人たちにとっての千円は、重みが違う――。
富山での裁判の際、弁護士の一人が語った言葉です。引き下げがもたらすものの大きさは、利用者の生活に近づかないと見えてきません。
そんななか、男性は私の取材に、嫌な顔ひとつせず、機微に触れる部分も含めてざっくばらんに話をしてくれました。雑談だけで終わることもありましたが、取材は電話と自宅でのやりとりを合わせて15回に及びました。
「もっと苦しい人がいる」「税金で食べさせてもらっているのに」
裁判を始めた当初、原告団にはこんなバッシングもあったそうです。
男性は、顔と名前を明かすことにも抵抗はないそうですが、バッシングの恐れから、弁護団の配慮で控えているのが現状です。
男性もかつては、路上生活者や生活保護利用者の存在を「自分とは遠い世界」と捉え、同じような境遇になるとは思いもしなかったといいます。
生活保護利用者は全国で200万人余り。決して珍しい存在ではありません。病気、障害、高齢、会社の倒産、介護による離職……。一つのきっかけから、似た状況に陥る可能性は誰にでもあります。
自らにひきつけて考えることはなかなか難しいかもしれません。それでも、こうした「個」の姿を通して、苦しい環境にいる人たちに少しでも思いを致してもらったり、裁判に関心を持ってもらったりできたら。そんな思いを持って、今後も取材を続けていきたいと思います。
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