話題
「失敗しても大丈夫」と思える社会?生活保護の減額訴訟が重要な理由
いまの日本は「失敗しても大丈夫」と思える社会だろうか――。生活保護の申請など路上生活をする人たちの支援をしてきた弁護士は、8年前、「生活保護基準引き下げ違憲富山訴訟」の主任弁護士になりました。手弁当で活動に取り組む彼を突き動かした思いを取材していると、生活保護の背景にある、社会保障を含めた国の政策決定の問題点もみえてきました。(朝日新聞富山総局・竹田和博)
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する――。憲法25条にはそう定められています。この理念のもとにできた生活保護制度は、「最後のセーフティーネット」といわれます。
「自分が投げ出せば、生死に直結しかねない」
富山市の弁護士・西山貞義さん(45)は、10年以上にわたって路上生活者たちの支援を続けてきました。
病院での治療の段取り、生活保護の申請、住まいの確保、買い出し……。支援が数日遅れていたら、命に関わっていたケースも一度や二度ではありません。
だからこそ「生死に直結しかねない」と肝に銘じ、心が折れそうになった時も「活動をやめれば困る人が必ず出てくる」と乗り越えてきました。
2007年、検察官としてキャリアをスタートした西山さん。
捜査や公判を重ねるなか、「福祉とつながっていれば、人間関係が良ければ、罪を犯さなかったのでは」との思いを深めていきました。
でも、検察官の自分にできることは「罪に問う」ことだけ。被疑者や被告人の人生を支援することも、立ち直りを手助けすることもできませんでした。
3年後、司法修習時代を過ごした富山で弁護士に転じ、路上生活をせざるを得ないなど困窮する人たちの支援を始めました。
3年が経った夏のある日、病院のケースワーカーから連絡がありました。
数年間にわたって車上生活をしていた70代の男性が、救急搬送されたとのことでした。
1週間飲まず食わずだった男性は、会話はできても自力で歩けませんでした。それでも搬送先では「病気」はみとめられず、入院はできませんでした。
福祉が専門の大学の先生とともに、男性をシェルターに保護。生活保護の手続きをし、別の病院で手当ても受けさせました。
「とても感謝してもらえてうれしかったし、元気になってよかった」と西山さんが思った、その矢先。
3日後、男性は亡くなりました。死因は肺炎でした。
「今なら『治療費は生活保護で確保する』と説明して入院を求めたケースでした。当時は、医師の判断に異を唱える胆力がなかった。大きな挫折でした」
亡くなった男性は生前、生活保護を申請しようと何度か役所の窓口を訪れましたが、住所がないことなどを理由に受け付けてもらえなかったと話していたそうです。
「法律上は、住所がなくても申請できます。それなのに受け付けてもらえなかった。どこかの段階で生活保護を利用できていたら、こうはなりませんでした」
西山さんはそう悔やみます。一歩間違えば、人は亡くなる。そんな重い現実に直面しました。
印鑑入れには、いまも男性のために用意した、彼の名字の印鑑を一緒に入れています。
「思い出すと、いまでもつらい。でも、形として残しておかないと忘れてしまう。彼の死を無駄にしてはいけない。一生背負っていかないといけないと思っています」
それからまもなく、大きな課題と向き合うことになります。
「生活保護基準引き下げ違憲訴訟」
厚生労働省が2013年以降、3回に分けておこなった「生活保護基準の引き下げ」。
これが憲法に反するなどとして、全国の生活保護利用者らが相次いで起こした訴訟です。全国29地裁で争われ、原告は1000人を超えました。
引き下げられたのは、生活保護費のうち衣食など日常の生活費にあたる「生活扶助」の基準額でした。
厚労省は当時のデフレを背景に、独自の指数を用いて、生活扶助費でまかなう商品やサービスの物価がどれだけ下がったかを算定しました。
結果は「2008年から2011年にかけて、4.78%下落した」というもの。その結果を用いて生活扶助費を引き下げました。いわゆる「デフレ調整」です。
世帯構成や年齢などによって多少の差はあるものの、デフレ調整を含めた生活扶助費の引き下げ幅は平均6.5%、最大10%になりました。
「3年間で4.78%も物価が下がる。そんな常識外れのデフレが、生活保護世帯にだけ起こるだろうか」。西山さんは強い違和感を持ちました。
弁護団が、1970年~2015年で3年ごとの一般消費者物価指数の変化を調べたところ、最もひどい時で2.35%のデフレ(2008年~2011年)でした。
全国で裁判が始まり、富山でも2015年1月、3人(現在は5人)が原告、西山さんがその主任弁護士となって提訴に踏み切りました。
国相手で、最高裁まで闘う可能性が高く、10年はかかると見込まれました。
時間・経済的な負担も大きく不安もありましたが、 調べれば調べるほど「国に都合のいい数字を使ってデータを出し、専門家にも諮っていない。本当に苦しい思いをしている人がいるのに許されない。それに、こんな政策決定を許してしまえば、また同じことが起きる」という憤りが募っていったといいます。
「しばらくは『誰かがやってくれる』という意識がどこかにありましたが、誰かに頼らず、自ら徹底的に突き詰めないと勝てないと思いました」
国の主張を覆すには、「独自の指数」の問題点を裏付ける必要があり、そのためにも「消費者物価指数」に詳しい専門家の協力が不可欠でした。北海道をはじめとした各地の専門家に依頼し、意見書を作成していきました。
提訴からまもなく8年。口頭弁論は、11月で25回を数えました。
膨大な文献や論文の読み込み、統計データの分析、専門家との議論……。ほかの事件や依頼を抱えながら、手弁当で当たってきた西山さんは「ライフワークですね」と笑った後、真剣な表情でこう言いました。
「司法界に身を置きながら、これを見過ごすことはできません。司法、そして自らの存在意義にも関わる問題だとさえ思います」
「問題点を知った者の責任として、弁護士人生をかけて取り組むべき問題だと思っています」
生活保護には「怠けている人が受け取って楽な生活をしている」という偏見もあるといいますが、西山さんは 「生活保護で命が助かった、人生が変わったという人を目の前で見てきました。一生懸命やっても、倒産や病気、年齢……いかんともできない事情で困窮してしまう人が圧倒的に多いんです」と指摘します。
それでも負のイメージは根強く、利用をためらう人、利用していることを隠している人は少なくありません。
西山さんは「『失敗しても大丈夫』という社会の方が暮らしやすいだろうなって思うんです。そのためにも制度をもっと使いやすくして、前向きなメッセージを出し、イメージを変えていく。そこに向けて、少しずつ取り組んでいくしかない」と話します。
一方で、この訴訟について「生活保護だけでなく、社会保障を含めた国の政策決定のあり方にも関わる問題です」とも指摘します。
「これを許せば、今後も、もっともらしい数字を使って政策を決めかねない。客観的、科学的にという根幹が崩れ、政府のやりたい放題になってしまう」
生活保護や社会保障のあり方を考える大切な訴訟。しかし、メディアが取り上げるのは判決の時ぐらいで、なかなか注目が集まりません。
これまでに13地裁で判決が出て、そのうち4地裁が引き下げの取り消しを認めました。ですが、原告の勝訴も2、3例目になると扱いは小さくなってしまいます。
富山での判決予定はしばらく先です。「節目」にとらわれず、読者とともに考える手がかりにできないかとの思いから書いたのが、今回の記事です。
生活保護、社会保障、国、統計……。縁遠く、複雑なテーマゆえ、身近には感じにくいと思います。それでも、西山さんのように、危機感を持ってまっすぐに声をあげる人たちがいる。
その姿や思いを通じて、少しでも生活保護に対する負のイメージが和らいだり、裁判に関心を向けてもらったりできたら。そんな希望を持っています。
1/16枚