連載
#147 ○○の世論
岸田内閣ついにピンチ? 参院のドンの「法則」に照らしてみると…
「60」を切ると政権運営に〝黄信号〟
朝日新聞社が11月12、13の両日、全国世論調査(電話)を実施したところ、岸田内閣の支持率は37%(前回10月調査は40%)で、昨年10月の内閣発足以降過去最低で、初めて4割を切りました。止まらない閣僚の辞任ドミノなどにより、岸田内閣がどれだけピンチなのか調べてみました。使ったのはあの「法則」です。(朝日新聞記者・寺本大蔵)
かつて「参院のドン」と称された青木幹雄・元自民党参院議員会長は、内閣支持率と与党第1党の政党支持率の合計が「60」を切ると政権運営に黄信号がともり、「50」を切ると政権運営が赤信号で行き詰まるという「青木の法則」を唱えたとされています。
政権の体力をはかるバロメーターとして、永田町や霞が関ではいまも重視されています。
岸田内閣を「青木の法則」に照らしてみましょう。11月調査では、内閣支持率37+自民党支持率33=70。数字上はまだ安泰と言えるかもしれません。では、近年の各政権末期の数字はどうだったでしょうか。
政権交代で2009年に誕生した民主党政権の鳩山由紀夫内閣。鳩山内閣末期の2010年3月は59、4月は48、5月は45で、赤信号の「50」を切り、6月に退陣しました。
次の菅直人内閣末期の11年6月は41、7月は32、8月は28と、こちらは「50」を大きく下回り9月に退陣。
次の野田佳彦内閣末期の12年10月は29、11月が30、12月が34と「50」を下回り、同月の衆院選で惨敗。政権は3年3カ月ぶりに自民党に戻ります。
野田内閣から政権を奪還し、発足した第2次安倍内閣。憲政史上最長の7年8カ月続きましたが20年5月に55、6月が60、7月が63で、黄信号の「60」前後を推移していました。
同年9月、安倍首相は持病再発を理由に退陣します。
後を継いだ菅義偉内閣の末期はどうだったのでしょう。21年7月に61、8月は60、9月が67でした。
退陣直前9月の67は現在の岸田内閣の70と近い数値です。「青木の法則」が指摘する赤信号「50」や黄信号「60」を上回っていても、政権運営が厳しく、退陣となるケースがあることがわかります。
岸田首相が領袖(りょうしゅう)を務める自民党の派閥「宏池会(こうちかい)」の「先輩」たちも振り返ってみましょう。
宏池会はこれまで池田勇人、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一の4首相を輩出。岸田首相は約30年ぶり、5人目の首相となります。
先輩たちの政権末期を「青木の法則」でみてみましょう。調査手法は現在の電話調査と違い、面接調査などです。
単純に比較はできないので、あくまで参考値となります。また現在と違って毎月のように調査していないため、退陣から一番近い時期の調査を引用しました。
池田内閣退陣5カ月前の1964年6月は90でした。黄信号「60」を大きく上回っていますが、その後、病気により退陣を余儀なくされます。
大平内閣の80年5月は75でしたが、翌6月、病気による急死で、無念の退陣となります。
鈴木内閣の82年9月は74。総裁選に出馬すれば再選の可能性が高かったとされますが、党内の不協和音により、翌10月に総裁選不出馬を表明し、退陣します。
宮沢内閣の93年4月は47で赤信号「50」を下回っていました。成立させる考えだった選挙制度改革を含む政治改革関連法案に、身内である自民党内で反対論が強まり、内閣不信任案が6月に可決され、その後、退陣します。
「所得倍増計画」を打ち出した池田内閣は4年以上政権を担いました。しかし、その後の大平、鈴木、宮沢の3内閣は2年前後の政権でした。
岸田内閣は発足から1年以上が経ち、「先輩たち」の任期が見えてきました。「青木の法則」で算出した数値70は、退陣直前の菅義偉内閣と近い数値であり、
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題や、閣僚の相次ぐ辞任など問題は山積しています。
「青木の法則」の数値で歴代内閣と比べる限り、岸田内閣は正念場の局面を迎えていると言えるのかもしれません。
1/27枚