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6歳の〝モデル〟りくと君が映し出す「見えない存在」障害児の現在地
「障害児モデルの写真展」――。そこで、私は1枚の写真に魅せられることになります。男の子が壁にもたれて座り、遠くを見つめている写真です。手の「耳栓」で周囲から音を閉ざす一方、開放感のあるほほえみを浮かべているのが印象的でした。モデルは、大石りくと君(6)。「自閉症」「中度知的障害」と診断され、聴覚過敏でもあります。
写真展は、首都圏内を巡回中です。私がお邪魔した8月中旬には、千葉県浦安市のショッピングモールで開かれていました。
会場には、25点の写真が飾られていました。
これらは、写真展に先立つ7月、障害児モデルの写真コンテストで撮影されたものです。写真展の主催者がコンテストも開きました。
参加したモデルは、知的障害や自閉症のある、4歳から10歳までの男女14人。全員が障害児モデルの事務所に所属しています。
撮影者は、10代から50代の男女21人です。写真コンテストは、クラウドファンディングで集めた資金を元手に開かれました。撮影したのは、支援の「リターン」として撮影者としての参加権を得た人たちです。
クラファンの募集ページには目的が記されています。これは、コンテストだけでなく、写真展にも通じるものがあります。
写真は、どれも魅力的でした。お菓子を前にあふれんばかりの笑顔を見せる男の子、弾む乗り物に夢中の女の子、カメラに向かって「観察」するような視線を向ける男の子――。
なかでも、大石りくと君の写真に目が向いたのは、外の世界から自分を閉ざすようなしぐさと、開放感のあるほほえみに、コントラストの妙を覚えたからかもしれません。
写真展を訪れた後、ご両親にコンタクトを取りました。りくと君は現在、特別支援学校に通っています。取材日は障害児向けのサービス利用日で不在でした。
ご両親によると、りくと君は早産のため新生児集中治療室(NICU)に1カ月ほど入院しました。「とにかく健康であってほしい。そう願っていました」。言語聴覚士の資格を持ちリハビリ職として働く、母親の奈緒子さん(45)は、当時をそう振り返ります。
「職業的な知見もあって、NICUを出た後、何らかの障害が残るかもしれないと考えていました。そのため、障害が分かった時も、あまりショックはありませんでした」
発達がゆっくりで、集団に入るのを嫌がったりくと君。3歳児の健康診断で、中度の知的障害、自閉症と診断されました。
一方、りくと君が診断される前から「この子は『モデル』に向いているのではないか」と思うことがあったそうです。
「親が言うのも何ですが、被写体としては『ぶっちぎりの笑顔』が魅力的なんですよ」。そう笑うのは、父親の幸勇(さちお)さん(47)です。スタジオ撮影などの際、りくと君の笑顔に心打たれたと話します。
親の死後、子どもは、どこでどう暮らすのか。金銭的な担保は? 「親亡き後」は、障害のある子どもを持つ親の多くが直面する問題です。
母親の奈緒子さんは「子どもの自立は、どんな親でも気がかりだと思います。ただ、障害児の親の場合、より大きなハードルだと感じます」と話します。
そして、こうも話します。
「『普通の世の中』にフィットできるように徹底的に厳しく指導していくことで、もしかしたら何かの技術を獲得し、経済的にある程度、居場所を得られるようになるかもしれません。ただ、それが『二次障害』になることもあるでしょうし、そこまでしないと生きていく権利が得られないのかと、悲しい気持ちにもなります」
モデルの活動が、「親亡き後」を生きる選択肢の一つになるのではないか、ご両親はそうも考えます。
そして、モデルとして活動するより大きな理由は、「社会に存在を知ってもらう」ことだと奈緒子さんは説明します。
「障害児は、分離された特別な状況で教育を受けることになります。それは、社会から〝隔離〟された状態でもあります。健常者の世界から、障害児は見えなくなってしまいます」
「だからこそ、りくとのように障害のある子どもも世の中にはいて、そして、それなりに幸せに暮らしているのだと、伝えたいと思うのです」
りくと君は、言葉を発してのコミュニケーションが苦手です。「モデルをやりたい」と、言葉で意思を示すことはありません。それでも、父親の幸勇さんは「自分の写真や動画を、とてもうれしそうに眺めています。撮られることに喜びを感じているのだと思います」と話します。
母親の奈緒子さんは、写真を撮られることが、りくと君にとっての「認められる経験」につながるのではないかと考えています。
「本人が周囲から褒められる場面は、ほとんどありません。むしろ、りくとのことで親が謝る姿ばかりを見ています」。一方で、撮影時、フォトグラファーからは「いいね」「すごいね」などのポジティブな言葉をかけられるとします。すると、りくと君の動きがスムーズになったり、撮影者との距離がぐっと縮まったりするそうです。
「障害児キッズモデル」事業の立ち上げも、写真コンテストも、写真展も、障害児を「見える存在」にするための活動です。
障害児や障害者への視線は、「二極化」していると内木さんは指摘します。
一つは「怖い」「できない」というようなネガティブな見方だと話します。
内木さんは「私自身、尊を育てる前は、知的障害のある人に対して、『怖い』『できない』というような偏見がありました。正直に言えば、見下したところがあったのだと思います」と話します。
「もう一つは、『困難を乗り越えたすごい人』というような位置付けです。もちろん、それ自体は貴いことです。ただ、人はそれぞれです。そうではない生き方もあると思うのです」
フォトグラファーとして参加した河原井祐輔さん(42)は、りくと君を撮影しました。河原井さんは、古いカメラレンズを貸し出す「toruno」という事業を運営しています。
「りくと君は、音に過敏で、耳を防いでいた姿と、優しい表情が印象的でした」
普段、障害のある人との接点はほとんどないと話します。
「急に大きな声を出した子が、すてきな笑顔を見せることもありました。障害のことも、その子のありのままの姿も、撮影のわずかな間ではありますが、一緒の時間を共有する中で感じ取れたことは一歩だと思います」
「障害のあるキッズモデルの写真展を開きます」――。この写真展に足を運んだのは、ほかならぬ主催した内木さんのお誘いがあったからです。
記者として関心があったのはもちろんですが、私こそが行くべきだと「宿題」のようにも感じました。
私は、以前、内木さんの障害児モデル事業の記事を書きました。
その際、こんなエピソードを盛り込みました。
内木さんが企業側にモデル起用の打診をすると、少なくない企業が「炎上」を警戒する。「障がい者を『見せ物』にして好感度を上げようとしている」。そんな批判の声があがるのではないかと、異口同音に懸念する――。
私自身、障害児の「広告モデル」事業だと説明を受けた時、心に引っかかるものを感じました。「広告モデル」として“利用”しているように受け取る人もいるのではないかと懸念し、デリケートな取材だと思ったのです。
ただ、そこでふと思います。キッズモデル自体は特殊ではないのに、なぜ障害児モデルだと「センシティブ」だと捉えるのか、と。どこかに腫れ物に触るような感覚、障害を特別に捉えている感覚が、私自身になかったかと、振り返りました。
そう考えれば、企業が「見せ物」批判を懸念することと、私が「センシティブ」と捉えることの根っこは同じだと考えました。
同時に、私のまなざしは、内木さんの指摘する「ガラスの壁」であり、壁を再生産してもいるのだと自戒しました。
写真コンテストや写真展の目的は、「ガラスの壁」を取り払うことでもあります。ならば、私のような人間こそが、行くべきではないかと思ったのです。「宿題」と感じたのは、こうした理由からです。
りくと君のご両親は、あえて「障害児」のモデルと銘打つことに、複雑な思いもまた、抱えていました。
母親の奈緒子さんは「『障害児』モデルと位置付けないと、いいことも、悪いことも得られません」と話した上で、こう言いました。「普通の子どもたちと比べると、特別なところはあります。でも、『目が悪いから眼鏡をかける』というくらい、障害が『普通』に受け止められる社会であればよいなと思います」
障害児をめぐる現在地と、あるべき姿と。しっかりと胸に刻みたいと思いました。
※写真展の開催予定は次の通りです。
~/9/30 新宿マルイ アネックス 3F イベントスペース
10/1(土)~ 10/10(月) イオンモール日の出 2F イオンホール
10/22(土)~ 10/30(日) アトレ川崎 7F レストラン街
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