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障がい児の「広告モデル」事業、立ち上げた理由 ガラスの壁に危機感

長男の尊君(左)が、重い知的障がいと自閉症と診断されたのは約5年前。母親の内木美樹さんは当時を振り返り、「目の前の景色が色を失った」と話します。写真は近影=内木さん提供
長男の尊君(左)が、重い知的障がいと自閉症と診断されたのは約5年前。母親の内木美樹さんは当時を振り返り、「目の前の景色が色を失った」と話します。写真は近影=内木さん提供

目次

長男の尊(たける)君(8)が、重い知的障がいと自閉症と診断されたのは約5年前。母親の内木美樹さん(39)は当時を振り返り、「目の前の景色が色を失った」と話します。自身も親として葛藤し、障がい児を育てる別の親からは「我が子をかわいいと思えない」と悩みを打ち明けられたことも。何年も思い煩った末、知的障がい児の「広告モデル」事業を立ち上げました。

「カッコいい年のとり方」を考えたら、見えにくいモノが見えてきた(PR)

「耳が聞こえていないかも」

「たけちゃん(尊君)、耳が聞こえてないかもしれないよ」

尊君が2歳になる頃、内木さんは保育士にこんなことを言われました。「目が点になりました。自宅では、コミュニケーションは取れていました。ただ発達が少しゆっくりだとは感じていましたが…」

確かに、保育士が後ろから名前を呼んでも反応しませんでした。その日のうちに耳鼻科へ。その後、大きな病院も受診しましたが、聴力に異常は認められませんでした。

医療機関を転々として、重度の知的障がいと自閉症と診断されたのは、1年が過ぎた頃でした。

「たけちゃん(尊君)、耳が聞こえてないかもしれないよ」。尊君が2歳になる頃、内木さんは保育士にそう言われました。写真はその頃(画像の一部を加工しています)=内木さん提供
「たけちゃん(尊君)、耳が聞こえてないかもしれないよ」。尊君が2歳になる頃、内木さんは保育士にそう言われました。写真はその頃(画像の一部を加工しています)=内木さん提供

一生消えない恐怖心

「目の前の景色が色を失いました」と内木さんは話します。

かけっこ、ダンス。月齢が上がるにつれて「出来ないこと」「他の子と比べて苦手なこと」が目につくようになりました。

尊君は、ほかの園児の甲高い声に過敏に反応する特性がありました。耳をふさいで過ごすようになったそうです。登園を渋るようになりました。

夏のある日でした。当時、内木さんは仕事と子育てで寝不足。疲労感でいっぱいでした。保育園帰りに公園で遊ばせている時、「コップの中の水」があふれてしまいました。

「何度、『帰る』と言ってもきかず、周りの子に迷惑もかけていました」。泣きながら嫌がる尊君の腕をつかみ、車に押し込みました。

「一生消えないであろう恐怖心を抱かせてしまいました。おびえる姿に、後悔と罪悪感しかありませんでした」

夏のある日でした。当時は、寝不足。疲労感でいっぱいでした。保育園帰りに公園で遊ばせている時、「コップの中の水」があふれてしまいました。写真は同じ頃=内木さん提供
夏のある日でした。当時は、寝不足。疲労感でいっぱいでした。保育園帰りに公園で遊ばせている時、「コップの中の水」があふれてしまいました。写真は同じ頃=内木さん提供

許される場所

転機は、特別支援学校の入学式でした。

校長先生の祝辞中、尊君は床に寝転がりました。これまでのように内木さんは、肩身の狭さを感じました。

ところが、学校の教員は「きょうは、暑いね~」と尊君にやさしくぽんぽんと触れて言ったのです。「中庭もあるから、よかったら気分転換に行く?」

「これまで周りに迷惑をかけちゃいけないと思っていましたが、ここは許される場所なんだと思えたんです」

「受容」よりむしろ「解放」

障がいの「受容」よりむしろ、自分自身の「解放」――。内木さんは、尊君の障がいを疑ってから入学式までの4年半をそう表現します。

「尊には、尊の言い分がある。それを理解したいと思っていました」。それでも、周囲から「しっかりして」「ちゃんとして」と求められていると感じていました。

「子どもを律しないことは、『母親失格』だと自分を縛っていたのだと思います」。そんな〝呪縛〟から「解放」されたと言います。

「子どもを律しないことは、『母親失格』だと自分を縛っていたのだと思います」。そんな〝呪縛〟から「解放」されたと言います。写真は最近の尊君=内木さん提供
「子どもを律しないことは、『母親失格』だと自分を縛っていたのだと思います」。そんな〝呪縛〟から「解放」されたと言います。写真は最近の尊君=内木さん提供

同時に、知的障がいに対する自身の先入観が取り払われていったと話します。

「無知だった私は、知的障がいのある人に対して、『怖い』『できない』というような偏見がありました。正直に言えば、見下したところがあったのだと思います」

日々、尊君と接する中で、見方が変わっていったそうです。

知的障がい児の「広告モデル」

尊君が生まれる前、内木さんは、米国のカジノホテルのレストランで接客の仕事をしていました。帰国後の2010年、飲食店向けの英会話レッスンを手がける「華ひらく」(https://hana-hiraku.com/)という会社をおこしました。

この会社で昨年7月に始めたのが知的障がい児の「広告モデル」事業です。「キッズモデルの知的障がい児版」と内木さんは説明します。

障がい児は「見えない存在」になっているのではないか。内木さんには、そんな危機感があったそうです。
フォトスタジオのモデルに起用されたすみれさん。両親は「娘は写真を撮られるのが大好きで、モデルのお仕事の話をすると『やりたい!やりたい!』とかえってきました」(母)、「一滴のしずくが何も変わらない湖に落ちたら、波紋が出来るように、色んな人たちに知ってもらったり伝わったりしたら良いと思いました」(父)とコメントしています=内木さん提供
フォトスタジオのモデルに起用されたすみれさん。両親は「娘は写真を撮られるのが大好きで、モデルのお仕事の話をすると『やりたい!やりたい!』とかえってきました」(母)、「一滴のしずくが何も変わらない湖に落ちたら、波紋が出来るように、色んな人たちに知ってもらったり伝わったりしたら良いと思いました」(父)とコメントしています=内木さん提供

「見えない存在」

ユーチューブで自身の子育ての様子を公開したり、SNSでコミュニティーの輪に入ったり。障がい児の親とつながる中で気がついたことは、障がい者をとりまく世界と健常者の世界には「ガラスの壁」があるということでした。

「障がい児の親は、健常者の世界を意識せざるを得ません。社会の多くは、健常者仕様です。一方で、健常者側からは、障がい者を取り巻く世界がよく見えていないと思うのです」

そこに「ガラスの壁」があると内木さんは話します。「障がい児は『見えない存在』になっているのだと思います」

フォトスタジオのモデルに起用されたこう君。「今はまだ隔たりを感じる世の中に、知的に障がいがあっても生命力あふれる笑顔で毎日頑張っている子がいる事をもっと知ってほしい想いがあふれ、キッズモデルを始めました」(母)とコメントしています=内木さん提供
フォトスタジオのモデルに起用されたこう君。「今はまだ隔たりを感じる世の中に、知的に障がいがあっても生命力あふれる笑顔で毎日頑張っている子がいる事をもっと知ってほしい想いがあふれ、キッズモデルを始めました」(母)とコメントしています=内木さん提供

「親亡き後」を思う

「見えない」「見ようとしない」「知らない」。内木さん自身、そんなことから偏見が生まれたのだと振り返ります。

ならば、見える存在に――。そう考えた上での実践が「広告モデル」事業でした。

知的障がい児の所属モデルは現在、0歳から18歳まで19人。これまで、フォトスタジオやトランポリン施設などから依頼があったそうです。

「娘は写真を撮られるのが大好きで、モデルのお仕事の話をすると『やりたい!やりたい!』とかえってきました」

「生命力あふれる笑顔で毎日頑張っている子がいる事をもっと知ってほしい」

モデルの親たちは、そんな思いで登録しているそうです。そして、多くの親が「親亡き後」に心を砕いていると話します。

「いろんな形で助け合いながら生きていけるような世の中になって、安心して『親亡き後』を迎えられるようにしていってあげたい」

「この事業への参加が息子が自分で生きる道を切り開く第一歩につながると信じております」

「炎上」を警戒する企業

「障がいのある人も、家族も、企業にとっては顧客。障がい児のモデル起用は、企業がファンを広げる機会にもなるはずです」と内木さんは話します。

ただ、現実は厳しいと話します。

内木さんが、企業側にモデル起用の打診をすると、少なくない企業が「炎上」を警戒すると話します。

「障がい者を『見せ物』にして好感度を上げようとしている」。そんな批判の声があがるのではないかと、異口同音に懸念するのだそうです。

そんな現実に対し、内木さんはこう話します。

「そんな時は、『いっときのポーズではなくて、継続的に障がい者支援に取り組んでいくのであれば、顧客にも理解される』と伝えています」

その上で、「広告モデル」事業について「障がいがあっても暮らしやすい社会づくりは、誰にとっても生きやすい社会につながると思っています。続けていきたいです」と話します。

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