話題
個性的すぎ! 職人が「壁」に描く〝ヘタウマ〟作品、評価される理由
もっとも「鏝絵密度」が高い県は…?
左官職人が作成した鏝絵(こてえ)って見たことありますか? 近年、その〝ヘタウマ〟な魅力が各方面で再評価されています。全国でもっとも「鏝絵密度」が高いのは大分県。その鏝絵の魅力を、今は消えてしまったものを含め、四半世紀前の写真とともに紹介します。(朝日新聞フォトアーカイブ・早坂元興)
左官職人が土蔵などの建物の壁を塗るための道具が「鏝(こて)<左官鏝>」です。
それを使って壁に「飾り(レリーフ)」を作ったものを「鏝絵」といいます。江戸時代末期から全国的に流行しました。
左官職人が描くものなので、楽しく、また個性的なものが多いのが魅力です。
大分の場合、鏝絵の土台となる漆喰は、古くは国東半島やその周辺の海岸でとれる貝殻が主な原材料でした。
後に、大分県津久見市で採れる石灰(津久見灰)に変わりました。安価な津久見灰の普及は、鏝絵の広がりにも影響をあたえたと考えられています。
鏝絵を広めたのは、江戸時代末期、現在の静岡県松崎町出身で江戸・東京でも活躍した左官・伊豆の長八こと入江長八(1815~89)です。
1877年に開かれた第1回内国勧業博覧会にも出品しています。これが、鏝絵が全国に広がる契機になったとも言われています。
長八の作品が残っている旅館が舞台となった、漫画家・つげ義春さんの作品「長八の宿」(1968年)で鏝絵を知った方も多いそうです。
2020年2月、フランス・アングレーム国際漫画祭で、つげさんに特別栄誉賞が贈られるなど国際的評価も高まり、新しい読者も増え続けているので、影響は大きいのでしょう。
大分・日出(ひじ)藩おかかえの左官・青柳鯉市(こいち)は、幕末の江戸留学中に長八に代表される鏝絵の技術を学びました。
帰郷後、それを長野鐡蔵、山上重太郎、佐藤本太郎ら腕が立つ多くの左官に伝授したといわれています。なかでも長野鐡蔵は14人の弟子を従えて大活躍しました。
大分では、風雨にさらされても風化しない「練り込み技法」が用いられているのが特徴で、鮮やかな色を残している鏝絵を多く見ることができます。
大分で鏝絵が数多く描かれたのは、明治から大正時代にかけてで、養蚕がブームになったころです。
当時、日本の最大輸出品である生糸をつむぐ養蚕は、各地に広がりました。
大分でも養蚕農家の土蔵がずらりと並び、縁起物をあしらった鏝絵が描かれるようになったのです。
その繁栄の名残が残っている、大分県国東半島の付け根の安心院、日出、山香(やまが)周辺で、現在も鏝絵を多く見ることができます。
九州の観光地として有名な別府、湯布院、宇佐八幡などに囲まれていますが、のどかな風情も残っている地域です。
訪れれば、七福神や歌舞伎役者、縁起物などが道沿いに顔を出し、楽しませてくれます。
そのなかでも、まずは旧安心院町を訪れるのがおすすめです。町の中心部で数多くの鏝絵を堪能することができます。遊歩道も整備されており、時間の余裕があれば、じっくり二日間かけてまわっても満足できると思います。
絵の具をしっかり練り込んだ鏝絵は、補修がされていることもあり、いまだに色合いを失っていません。
案内マップ片手に歩くのも良し、予約制のボランティアガイドと歩くのも良し、です。
ホテルや旅館、観光案内所などで色々なマップを配っています。それらを参考に、自分なりの街歩きのプランをたてるのがいいのではないでしょうか。
ちなみに、名物は、すっぽん、ぶどう。最近はワインも好評だとか。よくトンビが飛んでいます。
もう一度、冒頭の帽子をかぶった恵比寿様のお顔をご覧ください。顔は大きく、体は小さい。パステルカラーも鮮やかに、輝いています。
下の写真の大黒様とともに「ヘタウマ」という言葉がしっくりきます。
端正なイメージの「伊豆の長八」の作品とは違い、大分の鏝絵は、奔放でアバンギャルド。
キャグマンガが半立体で飛び出してくるようなものも、多いのです。
皆様も愛らしい鏝絵芸術の魅力にどっぷり浸かって下さい。
鏝絵は大分や静岡ばかりではなく、富山、長野など全国各地に残っています。現在、全国で約3000点、大分県で約1000点が確認されています。
旧安心院町では近年の調査で100カ所ほどと言われています。
地域間の交流もあり、不定期ですが、「鏝絵サミット」も開催されていて、昨年(2021年)は旧安心院町が含まれる大分県宇佐市が担当しました。
今回の写真はすべて四半世紀以上前、1996年の「アサヒグラフ」の取材で撮影したものです。
当時、大分の鏝絵は、建築史家で日本近代建築の調査に尽力した村松貞次郎さんなどにより再評価がはじまっていました。
それを村松さんのすすめで、作家の松山巌さんとともに現地を訪ね、記事にしたのです。
羽田から飛行機で大分空港、海をわたるホバークラフトからレンタカーに乗り換えてようやく安心院にたどりつきました。晴れ渡る空の下、翌日から鏝絵巡りの至福の日々が始まったのです。
鏝絵だけでなく、色鮮やかな七福神や文明開化を語る大津絵などに囲まれて、時には農家の縁側で、あるいは牛の声を聴きながら、景色を見上げて過ごしました。
旅の間じゅう、笑いがたえず、旅の後も余韻が長く続きました。
あれから安心院には一度も足を踏み入れてません。
もう一度行ってみたい気持ちも強いのですが、ちょっと怖い気もします。時が過ぎて、イメージが変わっていたら…….。
1/16枚