連載
#7 コミケ狂詩曲
「アキバって住める?」に答えて18年、同人誌で移住促す男性の思い
引っ越して知った「頑固さ」の魅力
電気街や漫画・アニメショップなどが立地し、世界的な知名度を誇る観光地・秋葉原。この場所に住み、現地での暮らしにフォーカスする同人誌を、18年間編み続けている男性がいます。ありとあらゆる生活情報について、取材結果や各種データを駆使して発信。行政資料並みの詳しい解説は、読者に移住を促すきっかけにもなってきました。「そもそも、アキバって住める街なの?」。そんな疑問に答え続けてきた男性に、引っ越して初めて知ったという、街の魅力について聞きました。(withnews編集部・神戸郁人)
「秋葉に住む」。シンプルながら、その内容を端的に表す、同人誌のタイトルです。
猥雑(わいざつ)な雰囲気をまとう、日中の電気街。威容を誇る巨大ビル群。閑静で幽玄な、夜の神田明神……。秋葉原界隈(かいわい)の多彩な表情を大写しした表紙写真が、読者の期待感を高めます。
ページを繰ると目に入るのは、所狭しと並んだ地図や図表です。地域ごとの人口統計にハザードマップ、犯罪発生率といった、秋葉原での生活にまつわる様々なデータがまとめられています。
例えば、第23号(2015年12月発行)の特集「秋葉原生活と安全・安心」は、象徴的かもしれません。
東京都の資料を元に、秋葉原周辺の地盤の強度を、町丁別に色分けしたマップ。分譲マンションの位置を、支持層(建物を支える硬質な地層)までの深さと共に示した地図。地震や冠水の被害を想定しつつ、住まいを決めたい人に役立ちそうです。
このほか、地下鉄の「駅出口海抜マップ」や、「交通事故発生マップ」など、「かゆい所に手が届く」情報も満載です。行政機関の刊行物と見まがうほど、詳しく正確な解説と合わせて読むことで、秋葉原で暮らすイメージが自然に膨らみます。
かと思えば、こってりしたメニューを出す、現地の飲食店ばかりを紹介する「秋葉原 漢(おとこ)のグルメ2021」(2020年12月臨時増刊号)のような一冊も。様々な角度から〝アキバ〟を丸裸にする、意欲的な取り組みであると言えます。
「『秋葉に住む』を初めて世に出したときは、多くの人たちから口々に『えっ、住めるの?』と驚かれたものです」。同人誌を編集・発行する、会社員のしげのさん(ハンドルネーム・40代男性)が笑います。
学生時代、自作パソコン用の材料を購入するため、秋葉原を訪れていたしげのさん。社会人になって以降も、週に1〜2回の頻度で通ってきました。この土地での暮らしをテーマに冊子を作ろうと思い立ったのは、2004年のことです。
当時の秋葉原は、現在まで続く再開発に伴う、建設ラッシュに沸き始めていました。昔ながらの電器店の近くに、高層住宅が姿を現した頃です。秋葉原に親しみを抱いていたしげのさんも、分譲マンションの一室を購入します。
「生活してみると、買い物に行くだけでは分からない土地柄に気づきました。下町情緒が強く残り、世代を超えて住んでいる人もいます。町内会の活動も活発で、地域単位でお祭りや防災訓練も盛んに行われている。新鮮な驚きを覚えました」
見知った土地の、未知なる魅力は、好奇心を呼び起こします。それまでも大学時代の友人たちと鉄道ジャンルの同人誌を編んできた経験を活かし、2004年7月にサークル「秋葉に住む」を設立。〝秋葉原の暮らし専門誌〟の制作を始めました。
記念すべき創刊号は、2005年3月の同人誌即売会「コミケットスペシャル4」でお披露目されました。特集のテーマは「秋葉原は住める街なのか?」。住民基本台帳を活用し、中心部・外神田の人口動態について、丁別に分析するといった内容です。
その冒頭につづられた、制作の理念とも言うべき文章を引用してみましょう。
これに続き、「自作PCを作る際、足りない小物をすぐ買いに行ける」「(新作ゲームなどを買い求める人々の)深夜の徹夜行列を横目に無駄な優越感に浸れる」といった、現地に住むことの魅力が、生活実感とユーモアたっぷりに説かれるのです。
コミケットスペシャル4では、事前に在庫に関する問い合わせを受けるほど、注目を集めました。当日を迎えると、準備した200冊が約2時間半で完売したといいます。以来、毎年2回行われる同人誌即売会・コミックマーケットで、新刊を発行・頒布し続けてきました。
「秋葉原に住んでみませんか?」――。これは、創刊号の巻頭につづられた惹句(じゃっく)です。その言葉通り、現地で暮らす楽しさを伝え続けた結果、読者の移住につながった例も少なくないといいます。
「コミックマーケットなどでは、冊子を読んで秋葉原に引っ越したという人たちが、わざわざあいさつに来てくれるんですよ」。しげのさんが、顔をほころばせました。
これまで本誌32冊と、臨時増刊号・無料配布版計9冊が発行されている『秋葉に住む』。誌面では、時々刻々と変貌(へんぼう)する、秋葉原の街並みも記録してきました。そのありようを特徴づける要素が、「定点観測」です。
第25号(2016年12月発行)には、2009年と2016年にほぼ同じ場所で空撮した、秋葉原周辺の比較写真が掲載されています。かつて地域を代表した電器店の一つ・石丸電気(閉業)の本店ビルが更地になるなど、時の移ろいを実感できる構成です。
しげのさんが空撮を始めたのは、2009年から。「高層建築物を俯瞰(ふかん)でフィルムに収めたい」と思ったことがきっかけでした。貸し切りヘリコプター上で撮影した写真は、冊子の表紙にも配され、折々の秋葉原の姿を伝えています。
現地の〝今〟を知る手がかりとなる企画は、他にもあります。創刊号から続く名物コーナー「秋葉原周辺の開発状況」です。秋葉原駅前や神田川流域の再開発の進捗について、図表と写真を交えて報告する内容が、読み手の支持を集めてきました。
取り上げたプロジェクトの中には、しげのさん自ら、状況の推移を観察したものも。集合住宅の新築予定地周辺に、地権者が「建設反対」の看板を立てるなど、成り行きを肌で感じてきました。そんな経験も企画立案に活かされているそうです。
「最近は再開発の影響や、防災上の理由から、古い雑居ビルがどんどん減っています。電器店など複数の店舗が入居し、秋葉原らしい光景を形作っていたのですが……。時代の流れでしょうか。継続的に様子を見ているからこそ、気づける変化もあるものです」
秋葉原の発展ぶりは、とどまるところを知りません。一方で実際に暮らしてみると、土地柄の「変わらなさ」に驚くことが少なくないと、しげのさんは語ります。
「近所のビルのオーナーさんの中には、生まれも育ちも秋葉原という方がいらっしゃいます。日本三大祭りの一つ・神田祭に参加するため、地元を離れた人々が、開催期間中だけ帰省してくる事情もある。地縁の強さを、ひしひしと感じますね」
かく言うしげのさん自身、「神田青果市場」跡のエリアに新設された町内会に属しています。これまでも、地域のお祭りの運営などで汗を流してきました。また同人誌を作るにあたり、仲を深めた近隣住人たちを取材する機会もあったそうです。
無線機や家電、パソコン用品の専門店。アニメ・ゲームショップにメイドカフェ。秋葉原は時代ごとの流行や文化を吸収し、愛好者たちの〝聖地〟と化してきました。
その裏側で通奏低音のように流れる、下町の気風の虜(とりこ)になったと、しげのさんは語ります。
「表面的な風景は、これからも様変わりしていくと思います。しかし、この街の頑固な部分は、きっと100年、200年と受け継がれていくのではないでしょうか。そう予感させてくれる点に、強い魅力を覚えているんです」
地域への思い入れは、活動に新風も吹き込みました。「秋葉に住む」第32号(2021年12月発行)で、初めて女性向け特集を組んだのです。女性住民らにインタビューし、一押しのカフェについて聞き取るなど、従来にない視点を採り入れました。
老若男女を問わず、いかに幅広い層に、秋葉原の魅力を伝えられるか。しげのさんは、そのことを考えるのに余念がありません。今後、どのような姿勢で誌面を作っていきたいですか――。尋ねてみると、こんな答えが返ってきました。
「とにかく、無理のない範囲で取り組んでいきたいですね。人との関わりが、そして人間くさい秋葉原という街が好きで、始めた趣味ですから。楽しいと感じられることを、ずっと続けていけたらと思っています」
100回目を迎える、今夏開催予定のコミケでは、秋葉原の空撮写真にまつわる特集号を頒布するそうです。同地での暮らしについて提案する、〝伝道師〟としての活動は、これからも続きます。
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