「住みたい街」の意外な過去
そんな中央区晴海と江東区豊洲をつなぐ春海橋から横を見やると、錆びて草むした「鉄橋」と「線路」が。かなり古そうな印象で、そう長いわけでもなく、両端は閉鎖。タワマンのはざまで、そこだけぽつりと時間の流れが止まっているようです。
鉄橋のたもとには『晴海橋りょう』と記された、赤く変色したプレートが。そして、何やら工事をしているようです。一体これは何なのか、東京都港湾局、都港湾振興協会に話を聞きました。
東京都港湾局によれば、これは1957年に開通し、89年に廃止された貨物線「東京都港湾局専用線晴海線」の「晴海橋りょう(=旧晴海鉄道橋)」。
都港湾局が発行する『東京港史』、都港湾振興協会が掲載する『東京港貨物専用鉄道のあゆみ』などによると、晴海線は江東区豊洲付近と中央区の晴海ふ頭を結ぶため、約2.2kmに渡り整備。石炭や新聞の巻き取り紙、輸入した小麦や果物などの物品を運び、ピーク時の67年の取り扱い量は170万トンを超えたといいます。
昭和の高度経済成長期を支えた貨物線ですが、輸送の主役がトラックなどに変わるにつれて需要が落ち込み、平成を迎えた年に廃線になりました。
旧晴海鉄道橋はその一部です。橋長約190m、幅員約4m。鉄道橋としては日本初のローゼ橋(アーチ構造の一種)であることなどにより、建築的にも歴史的にも価値があるとされます。そのため、廃線以降も30年以上にわたり、都により閉鎖管理されてきました。
今の晴海・豊洲エリアからは想像しづらいことに、廃線跡は当初、主に倉庫、野積場(石炭や鉱石、木材などを保管する場所)、工場などに使われていましたが、再開発によりマンション、ビル、公園などに変わっていきました。 この間、旧晴海鉄道橋は長らくこのエリアを見守り続けてきました。
しかし、大地震による倒壊などのおそれがあり、周辺住民らからも(補強した上で)保存を求める声が。港湾局も21年2月、橋脚の耐震補強工事に着手しました。耐震補強工事は22年度中に完了する予定で、そこから25年度中を目標に整備、遊歩道化されるということです。
デザインについては、同局担当者によれば、現時点では「線路のレールを残した意匠になる予定」ということです。実は豊洲などでは、こうした廃線になった線路のレールを残した(埋め込んだ)歩道を街中で発見することができます。
歴史の匂いをまとう高度経済成長の名残りは、次の半世紀、賑やかに街の変化を見守り続けることになりそうです。
【連載】#ふしぎなたてもの
何の気なしに通り過ぎてしまう風景の中にある #ふしぎなたてもの 。フカボリしてみると、そこには好奇心をくすぐる由縁が隠れていることも。よく見ると「これなんだ?」と感じる建物たちを紹介します。