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14年前の経験、取材先で〝不思議な縁〟 震災体験の「語りがたさ」は
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                    「出身はどこ?」と聞かれると、困ってしまう――。この春に、東日本大震災の被災地の一つである宮城県に赴任し、震災取材をすることも増えた福島県出身の記者。自身の14年前の経験には、「語りがたさ」を感じていました。そんななか、福島県いわき市で津波被害に遭った女の子の「絵」で制作されたハンカチを取材すると、記者との〝不思議な縁〟につながりました。(朝日新聞記者・手代木慶)
記者には苦手がたくさんあります。セロリ、パクチー、カキもだめ。でも、1番は自己紹介かもしれません。
 
これまで「出身は?」と聞かれると、答えに詰まってから「新潟です」と言うことが多くありました。うそじゃない、と思いながら。
 
後ろめたさを感じるのは、自認する出身地が福島県だからです。
 
2011年にあった東日本大震災の原発事故の影響で、福島県いわき市の自宅から、新潟市の祖父母宅に8年間自主避難していました。
 
「福島出身です」と言えば「震災大変だった?」と続くことが多く、経緯を説明するのを避けたかったのです。
当時、小学4年生。父を残しての母子避難でした。
 
避難指示区域ではなかった地元では「裏切り者」、避難先では「放射能は帰れ」という声を耳にし、故郷を「捨てた」ような罪悪感を抱えて生きてきました。
 
両親の苦渋の決断や、10歳だった自分が「大人」にならざるを得なかった背景が理解されていないとも感じました。
 
もやもやを解消しようと経験を語ってみたものの、当時の空気感や心の傷は客観的に証明できず説明が難しかったです。
 
「可哀想」という同情や、分かったふり、無関心な態度にも苦しくなりました。経験を押しつけたくもありません。結局、語り切れませんでした。
 
「語りがたさ」を認識してからは、相手によって出身地を変えて言う自分がいました。相手がどれだけ関心を持ってくれているか、今後自分とどれだけ関わるかを無意識に見定めていたのかもしれません。
 
経験を知ってほしいと思う一方、矛盾した行動でしたが、そうしないと心を守れないと感じました。
きっと、生きづらさや語りがたさを感じているのは自分だけではないはず――。聞く側、伝える側になろうと新聞記者を志しました。
 
今春、入社3年目で宮城県に赴任。取材先で、あるハンカチの存在を知りました。
 
原画を描いたのは、鈴木姫花さん(当時10)。震災時に記者がいた場所から約4.5キロの沿岸部で津波に遭って亡くなりました。当時、記者と同い年の小学4年生でした。
姫花さんのお父さんの貴さんを訪ねると、生前に姫花さんと記者は同じ絵画展の表彰式で隣同士に座っていた……という、不思議な縁が明らかになりました。
貴さんは「なんだか、得意なことが似ている姫花と手代木さんが重なります。姫花も生きていたら、手代木さんのように社会に出て働いていたかもって」と言ってくれました。
 
震災報道に限らず、取材では常に相手に「話してもいい人か」見極められている気がして緊張します。
 
注意しているはずなのに、言葉選びを間違えて落ち込むことも多くあります。それでも、めげずに誠実に「語りがたさ」と向き合っていきたいと思います。