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オンリーワンの喫茶店の看板 「手仕事」が生み出す特別な空間と魅力
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                                コウエツさんのことばなし
共同編集記者みなさんにはお気に入りの喫茶店がありますか? 看板をよく見てみると……なんだか、個性的な字体やイラストのものが多く見られます。そんな看板の魅力に引き寄せられ、そのルーツを尋ねてみました。すると、人々や街の記憶がそこにとどまっていることが感じられました。(朝日新聞校閲センター・松井恵麻)
チェーン店の看板に比べて、個性的なデザインの多い「喫茶店」。なぜこんなデザインになったのか――。
気になった筆者が訪れたのは、東京・赤坂見附の洋菓子店兼喫茶店「西洋菓子 しろたえ」です。
東京メトロ銀座線赤坂見附駅から5分ほど歩くと、街角に上品な黒い建物が見えてきます。
頭上の看板を見上げると、優しい表情でほほえむ人物のイラストに気付きました。この看板は1980年代に店舗を建て直した際に作ったのだといいます。
看板をデザインしたのは、オーナーの川越盛一郎さんの妹・睦子さんです。
現在のしろたえは1976年に開業しましたが、さかのぼればさらに古い歴史があります。しろたえの前身は、盛一郎さんと睦子さんの父が青森市で営んでいた和菓子店です。
青森市は豪雪地帯で、雪が降ればお菓子を作るよりも雪かきや道路の整備に人手が必要です。それに加えて市内の人口減少も不安要素だったそう。
そこで、盛一郎さんは上京を決心し、現在の場所に店を構えることにしました。
当初、店名はフランス語を使ったものにしようかとも思ったそうですが、「ひらがなの洋菓子店は他にはない」と、万葉集からとったという「しろたえ」を引き続き使うことに決めたといいます。
「しろたえ」は、漢字で「白妙」。真っ白な布のことを意味します。
盛一郎さんは、新しい店の看板もふくめ、店内のデザイン関係はすべて妹の睦子さんに任せたのでした。
「妹は幼い頃からよく絵を描いていました。デザイン的にも優れた感覚を持っていたようです」と盛一郎さん。
店内をよく見ると、コースターや包装紙にも看板と同じく、愛らしいけれどちょっとミステリアスな人物が描かれています。これも睦子さんの手によるものです。
包装紙や看板に描かれた人物にはモデルがいるわけではなく、創作されたもの。木造の店内のあたたかな雰囲気とあいまって、盛一郎さんは「お店がやわらかな雰囲気になりました」といいます。
その当時や睦子さんのことを静かに思い出しているようにみえました。
洋菓子を作って50年。しろたえの看板は、店のシンボルであるとともに離れた場所で暮らす家族の記憶につながる大切な道標でもあります。
次に訪れたのは、東京・神保町の喫茶店「トロワバグ」です。
トロワバグの看板は3種類あります。なかでも、1976年の創業当時のオリジナルの看板には、カタカナの店名とイラストが描かれています。
イラストには三つの輪とカップとポットがデザインされており、カタカナの店名は彫刻刀で削られたような独特な筆致です。
この看板のデザインについて、オーナーの三輪徳子さんに尋ねました。
「看板にあるイラストは三つの指輪をデザイン化したものです。名字の『三輪』をフランス語読みしたのが店名の由来で、それをデザインに落とし込んでもらいました」
看板にある文字とイラストは、すべて松樹新平さんというデザイナーの手書きだといいます。
松樹さんは多くの飲食店の建築や空間デザインを手がけており、トロワバグはその一つです。
看板の文字デザインについて、三輪さんは「幼少のころなどは『どうしてこんな怖い字なんだろう』と思っていた」といいます。
訪れた人からもこの文字デザインについて尋ねられることもあるそうです。
しかし「松樹さんは当時たくさんの喫茶店をデザインされていて、どのような意図でこの字体を作ったのかあまりよく覚えていないようです。地下にお店があるので、その薄暗いイメージもあったのかもしれません」。
創業から50年のいま、トロワバグの看板は単なる看板以上に意味をもつものになりつつあります。
「店の名前を聞くと、このカタカナのロゴが思い浮かぶ人も少なくないのではないでしょうか。50年続くお店の説得力も手伝って、街の風景の一つになっています」
看板の店名の下には、松樹さんのアイデアで「JINBOH-CHO」と街の名前が入っています。
三輪さんは「私はこの神保町という街にお店があることを誇りに思っていて、お店と場所とはニアリーイコールのような関係です。看板が神保町の目印、街の象徴のような存在になることは喫茶店としては理想的です」と話します。
「神秘的で魅力的で、人を引きつける魅力のあるこの看板は、この店で最も大切なもののうちの一つに入ります」
都内の喫茶店をめぐり、看板がどのようにして作られたのか尋ねてきましたが、それぞれの看板には、人間的なぬくもりを感じるエピソードが秘められていました。
喫茶店の看板デザインの魅力は、こうした作り手たちの物語がつまった唯一無二の「手仕事」であるというところにあるのではないでしょうか。
オンリーワンの看板だからこそ、その店の空間と味を盛り上げ、より一層特別なものにしています。
そんな看板が、長年にわたって大切に受け継がれ、守られてきたこともまた貴重な事実です。
取材を終えたいま、街で見かける喫茶店の看板が、その店をめぐるたくさんの人々の記憶をそこにとどめているように思えます。
都内の移り変わる風景の中で、変わらないものの大切さがそこにあります。あなたも、お気に入りの看板を探しに出かけてみませんか?
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