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#19 #啓発ことばディクショナリー

「八紘一宇」と「人財」意外な共通項、辻田真佐憲さんと考えてみた

〝危機の時代〟に人々がすがるキーワード

戦時中、アジア諸国侵略のスローガンとして用いられた「八紘一宇」。この言葉と、現代の職場で使われる造語「人財」との意外な共通項について、近現代史研究者・辻田真佐憲さんと考えました。
戦時中、アジア諸国侵略のスローガンとして用いられた「八紘一宇」。この言葉と、現代の職場で使われる造語「人財」との意外な共通項について、近現代史研究者・辻田真佐憲さんと考えました。 出典: 朝日新聞

目次

時代が転換点を迎えたとき、折々の社会情勢を象徴する「キーワード」が生まれる場合があります。評論家・近現代史研究者の辻田真佐憲さんは、人々の心を動かそうと、公権力が操る言葉に注目してきました。それまでの常識が通用しなくなったとき、どう生きていけば良いのか。国が指針として示してきた「国民の理想像」と、私たちの働き方を表現する語彙(ごい)との、意外な共通項について考えます。(withnews編集部・神戸郁人)

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#啓発ことばディクショナリー

国がつくった「理想の日本人」像

「人材」を書き換えた「人財」など、主に職場で使われる造語の成り立ちに、興味を持ってきた筆者。労働者の意欲を高め、効率良く働いてもらう。そのために生み出された言葉を「啓発ことば」と名付け、その使われ方について取材しています。

そんな筆者が先日、思わず目を引かれたタイトルの書籍があります。辻田さんが著した『文部省の研究 「理想の日本人像」を求めた百五十年』(2017年、文春新書)。明治時代から教育行政を司ってきた、文部省(現・文部科学省)の歩みを振り返る内容です。

同書によると、文部省はときの政治勢力や経済団体と結びつき、時代に即した日本人の「理想像」を示してきました。文明開化の時期なら自主自立の気風を備える個人を。戦時中なら天皇に奉仕する臣民のイメージを打ち出す、といった具合です。

特に興味深いのが、高度成長期に起きた動きを伝えるくだりです。1963年6月24日、政界や産業界関係者でつくる中央教育審議会(中教審)は、当時の文部大臣から諮問を受けて「期待される人間像」を検討。1966年10月31日、政府に答申を提出しました。

答申の「まえがき」には、青少年を「職業の尊さを知り、勤労の徳を身につけた社会人」に育てるべきと明記されています。さらに本論で、全ての職業が「国家、社会に寄与」すると説き、労働を強く奨励する傾向が見て取れます。

経済が右肩上がりで伸びゆく中、望ましい国民の在り方を、いわゆる「企業戦士」に求める――。そうやって人々の暮らしを方向付けようとする文言が、教育の根幹にまつわる文書に躍っていたのです。その露骨さに、筆者は驚きを覚えました。

文部科学省の入る中央合同庁舎7号館。
文部科学省の入る中央合同庁舎7号館。 出典: 朝日新聞

時代の転換点に生まれるキーワード

もっとも、上述した日本人のイメージは、教育の指針を定めるための材料の一つです。辻田さんによると、実際には様々な審議過程を経て、修整されていきます。中教審などの意向が、そのまま学校現場に影響する仕組みにはなっていません。

にもかかわらず、国家が理想とする人物像を練り上げ、広く知らしめる。そのような営みには、どういった意味があるのでしょうか。辻田さんに、直接尋ねてみました。

「一つ言えるのは、好ましい日本人像が、時代の転換点に打ち出されてきたということです。高度成長期なら猛烈に仕事に打ち込める点が良しとされます。一方で社会が成熟して以降は、朝な夕なに働く力より、個性や創造性が重んじられました」

「国家のありようが変遷するのに従い、教育の形も改めていかないといけません。『今の日本は行き詰まっているよね』と思われるタイミングに、生き方の理想像を示す。そうやって人々の心を動かそうとする意図があったのではないでしょうか」

世間の耳目を集め、ある思想を拡散するきっかけをつくる。そのような言葉を、辻田さんは「キーワード」と表現しました。いわく、キーワードは「新しいことをしよう」という問題意識が広く共有されているとき、効力を発揮するといいます。

「教育からは外れますが、有名な事例に触れておきましょう。太平洋戦争中、国策として『八紘一宇(はっこういちう・天下を一つの家となすといった意味)』が採用されました。田中智学という、日蓮主義者の一般人がつくった造語です」

「この造語は、アジア諸国に攻め入っていた、当時の日本の情勢にぴったり合った。だから政府に持ち上げられたわけです。『侵略を正当化するものではない』と主張する人もいますが、一度使われれば実例になってしまう。言葉にはそういったところがあります」

宮崎市内に建つ「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」(通称・八紘一宇の塔)を見学する市民ら。正面の「八紘一宇」の文字は一辺が約1メートルある。
宮崎市内に建つ「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」(通称・八紘一宇の塔)を見学する市民ら。正面の「八紘一宇」の文字は一辺が約1メートルある。 出典: 朝日新聞

魂揺さぶる言葉と距離を取る

辻田さんが言及したキーワードの概念は、先述の「啓発ことば」とも、深く通底するように思われます。

筆者はかつて、「人財」が社会に浸透する過程について取材しました。経済誌での出現頻度を経年で調べてみると、高度成長期の終了や、いわゆるバブル経済の崩壊を機に、高まっていることが分かったのです。

【関連記事】「人材」を「人罪」と呼ぶ企業…〝残念な当て字〟が生まれた理由

「人財」は、前向きに職務能力を磨く、自律的な働き手といった意味合いで使われてきました。常に変質する時代の荒波を、自助努力で乗り越えていく。そうしたしなやかで屈強な労働者像は、教育コストの削減につながるなど、企業に好都合な要素を伴います。

翻って、「理想の日本人像」や、「八紘一宇」などの政治的な標語について考えてみましょう。国家の命令に忠実で、その発展に貢献する人物イメージを社会に流布する。そんな機能を持つことから、やはり言葉を発する側に有利と言えそうです。

時代の転換期を迎えると、従来の価値観によって立つだけでは対応できない事態が増えていきます。「人財」の例で言えば、経済の低迷で企業が経営体力を損ない、社員教育や雇用保障が手薄になったことが、流行の背景にあると考えられます。

辻田さんが言及した「キーワード」は、指針なき状況下で進むべき方向を示す、羅針盤に似た働きをすることもあるでしょう。一方で戦時中のように、ある造語が絶対的な価値を持ち、人々を煽動(せんどう)する危険をはらむことも事実です。

「言葉は一度使われれば実例となる」。辻田さんの見解を繰り返し反芻(はんすう)しながら、個人の魂を揺さぶろうとする語彙との距離感を、見直し続けたいと思いました。

   ◇

 

辻田真佐憲(つじた・まさのり)
1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。単著に『防衛省の研究』(朝日新書)、『超空気支配社会』『古関裕而の昭和史』『文部省の研究』(文春新書)、『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、共著に『教養としての歴史問題』(東洋経済新報社)、『新プロパガンダ論』(ゲンロン)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。
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【連載・#啓発ことばディクショナリー】
「人材→人財」「頑張る→顔晴る」…。起源不明の言い換え語が、世の中にはあふれています。ポジティブな響きだけれど、何だかちょっと違和感も。一体、どうして生まれたのでしょう?これらの語句を「啓発ことば」と名付け、その使われ方を検証することで、現代社会の生きづらさの根っこを掘り起こします。毎週金曜更新。記事一覧はこちら

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