連載
#9 記憶をつなぐ旅
戦死した魂が「描かせている」漫画家が向き合う南の島の〝六日戦争〟
「本当は逃げたい、でも……」

白い砂浜と青い海が美しい沖縄・伊江島。ここで77年前の4月、住民を巻き込んだ6日間にわたる死闘が繰り広げられました。この戦いを漫画で描いた新里堅進さん(75)は、半世紀にわたって沖縄戦をテーマに作品を制作してきました。「もっと楽しい漫画も描きたい。でも、ここに引き戻されてしまう」。絞り出すように語った新里さんとともに、伊江島を訪ねました。
危機感 伊江島の戦いが幻になる
島に残った住民のおよそ半数にあたる1500人が命を落としました。
この悲惨な戦いが知られていない――。
漫画家・新里堅進さん(75)は、そんな危機感から『死闘伊江島戦』(琉球新報社)を出版しました。3年がかりで描いた大作です。

「沖縄戦を漫画で描こう」
「あちこち戦争の残骸だらけで、興味を持つのは自然なことだった」と振り返ります。
建物には砲弾の跡が残り、道にはガスマスクが散らばり、地面には薬莢が埋まっていました。

同世代が体験し、命を落とした、むごい戦争。これを「劇画で残したい」と感じたといいます。
「このとき、スポットライトのように漫画家になる道が見えたんです。僕の原点ですね」
沖縄戦を凝縮した戦い
ひめゆり学徒隊を描いた『水筒』や『シュガーローフの戦い 日米少年兵達の戦場』など、沖縄戦をテーマに多くの作品を残し、琉球王国の歴史や沖縄の文化も描いてきました。

しかし、伊江村の教育委員会が編集した証言集を読んで「まるで沖縄戦を凝縮したような戦い。これは腰を据えて描かなければいけない」と感じたといいます。
島を7、8回にわたって訪れ、さまざまな手記や資料を読んで取材を重ねて、緻密な筆致で過酷な戦いを描き出しました。

「これで伊江島の戦いが残る」
フェリーから島を見つめ、「日本兵も同じようなルートで、荒れた海を島へ向かった。どんな思いだっただろうか」と声を落としました。
6日間持ちこたえ、アメリカ軍への最後の総攻撃をかけるとき、井川正部隊長は児玉俊介軍医にひとり残るように命じました。
新里さんは「井川部隊長は『この戦いを国民に知らしめてほしい』と考えて、児玉軍医を残したんだと思う」と指摘します。
児玉軍医が書き残した手記のおかげで、新里さんは日本軍の戦いも克明に描くことができました。
「『これで伊江島の戦いが残る』と思いましたよ。彼らは死んでしまったけれども、作品の中で永遠に生きるわけですよ」
教え込まれた結果の集団自決
ガマの中で爆弾に火をつけたり、家族や住民同士で殺し合ったり……。集団自決(強制集団死)は、沖縄本島やほかの離島のガマでも起こっています。

どんな思いで、自分の子どもに手をかけたのか、圧倒的な武力差のある敵兵に竹やりで向かっていったのか――。新里さんは当時の人びとの気持ちに心を重ねようと、ときに軍歌を流しながら、涙を流しながら制作することもあるといいます。
「どうしても引き戻されてしまう」
いまも休みなく早朝からアトリエにこもり、一人きりでペンを取って、1日1ページほどを執筆している新里さん。

「あちこちのガマを訪れたけれど、やっぱり、魂はまだここにあるんでしょう。ここに残る人びとの魂が描かせているのかもしれません」
伊江島で何が起きたか知ってほしい
戦後も、住民の土地が接収されて基地がつくられ、伊江島の苦難は続いています。この日は米軍機オスプレイが離着陸を繰り返していました。

「そうしてはいけないからこそ、ここでどんなひどいことが起きたのか知ってほしい。漫画がその入り口として役立てばうれしいです」