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連載

#50 「見た目問題」どう向き合う?

「気持ち悪い顔」と呼ばせない 顔にアザ、男性が思う「主語」の重さ

私は「ユニークフェイス」を名乗る

筆者の石井政之さん(撮影:岩井建樹)
筆者の石井政之さん(撮影:岩井建樹)

目次

アザや傷など、見た目に症状がある人々は、日常生活において差別的な扱いを受けることがあります。顔に大きな赤アザがある石井政之さん(56)も、その一人です。「気持ち悪い」などと外見を否定された経験から、「ユニークフェイス」という呼び方を提唱し、普及に努めてきました。「差別を解消するためには、当事者が自らを名乗るための『主語となる呼称』を持ち、存在をカムアウトすることが不可欠だ」。マイノリティーが、この社会で生きやすくなる方法について、石井さんにつづってもらいました。

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「ユニークフェイス」が持つ本当の意味

「(外見に症状がある)当事者である私からすると、『ユニークフェイス』という言い方がすさまじく嫌です。呼ばれたくないです」

昨年、私が執筆した記事に対し、このようなコメントがネット上に書き込まれた。

「ユニークフェイス」とは、アザや傷といった顔に症状がある当事者たちが、日本で初めて名乗った呼称である。同時に、私が1999年に当事者を支援するために立ち上げたグループの名でもある。

英語の「ユニーク」という言葉には「固有であること」「唯一」「オンリーワン」というポジティブな意味がある。同時に、蔑称とは無縁の中立的な意味がある。

ただ、日本人は「ユニーク」という言葉を「面白い」とのニュアンスでとらえる人が多いようだ。上記の「嫌だ」と書き込んだ人も、ひょっとしたら「面白い顔」という意味に取り違えているのかもしれない。

主語がないと、蔑称を付けられてしまう

私の顔には生まれつき赤いアザがある。単純性血管腫という皮膚疾患で、現代の医療では完全に除去できないので、この顔で生活している。幼少期は、まわりから蔑視されて、生きづらい経験をしてきた。

外見に症状がある当事者は、私が1999年に「ユニークフェイス」というグループをつくるまで、なんと呼ばれていたか。

「オバケ」「バケモノ」「気持ち悪い顔」「変な顔」などだ。あるいは、その症状を意味する蔑称である。たとえば脱毛症の当事者は「ハゲ」と言われた。

これは、ゲイ、レズビアンといった性的マイノリティたちが、かつて、「変態」「性的異常者」などと呼ばれていたことと似ている。あるいは、いまは身体障害者と言われている人たちは、かつては「かたわ」などの蔑称で語られていた。

マイノリティの歴史は、蔑称とわかちがたいのである。では、どうすれば、マイノリティは蔑称から解放されるのだろうか。

石井さんも子どものころ、「人造人間キカイダー」とのあだ名をつけられた
石井さんも子どものころ、「人造人間キカイダー」とのあだ名をつけられた

「主語」と「カムアウト」が重要だ

差別を解消するためには、当事者が自らを名乗るための「主語となる呼称」を持ち、存在をカムアウト(表明)することが不可欠だと考えている。

性的マイノリティがカムアウトを通し、権利を勝ち取ってきたのがよい例だ。

ただその歴史を振り返ってみると、性的マイノリティも日本でカムアウトするのは容易ではなかった。

フリージャーナリストで、ゲイの当事者でもある北丸雄二氏は著書『愛と差別と友情とLGBTQ+』(人々舎)の中で、アメリカ・ニューヨークの性的マイノリティの運動と比較した上で、日本でのカムアウトの難しさを、次のように指摘している。

日本では一人も公的にカム・アウトしているジャーナリストが(少なくとも当時の私の知る範囲では)いなかったのです。みんな、社内で自分がゲイだとわかることを(ある人は死ぬほど)怖がっていました。実際、社内でゲイだと知られて自殺した者もいたことを知っています。
『愛と差別と友情とLGBTQ+』(北丸雄二著、人々舎 、p137)

さらに、「主語」を取り戻すということ、という見出しで、こう記述している。

その主語は長らく「白人」の「男性」の「異性愛者」たちであり、彼らによって語られる歴史観であり世界観でした。(中略)。そこに「黒人」「女性」「ゲイ(性的少数者)」が台頭します。
『愛と差別と友情とLGBTQ+』(北丸雄二著、人々舎 、p141)

この記述を読んだとき、ああ、ユニークフェイスと同じだ、と思った。

日本における「ユニークフェイス当事者運動」が始まった1999年当時、実名、顔出しで社会に向け訴えている当事者は、石井政之だけと言って良い状態だった。

それ以前にも当事者活動はあったが、その多くはマスメディアの取材を受けない匿名の当事者による小さな声だった。その当事者を庇護(ひご)するように医師などの専門職が患者会をつくってきた。「患者」という治療の対象であって、主体的に権利を勝ち取ろうとする「当事者」ではなかった。その結果、日本の当事者はカムアウトをせず、「クローゼット」のなかで生きてきた。当事者は、社会から不可視化された存在だった。

石井さんは、自らの体験を学校などで話す活動を今も続けている

石井さんは、自らの体験を学校などで話す活動を今も続けている
出典: 石井さん提供

「気持ち悪い顔」から「ユニークフェイス」に転換した

ユニークフェイスは小さな会の名称として、私を含めた数人の当事者で決めたものだった。それが、マスメディアの取材を受けていく中で「ユニークフェイスな人たち」と呼ばれるようになっていった。私は「ユニークフェイス当事者」と名乗り、当事者の肉声をもとに、出版、講演などの活動を展開した。

ユニークフェイスという言葉には、当事者に対する「あなたたちは、気持ちが悪い顔ではない、唯一無二の顔を持ってうまれた人間なのだ」というメッセージが託されている。

同時に、圧倒的多数の「普通の顔」をした人たちもまた、ユニークな顔で生きている、という気づきを与えるきっかけになると考えている。

一方、冒頭で紹介したような「ユニークフェイスと呼ばれるのは嫌だ」という意見は、当初からあった。それに対する私の考えは、こうだ。

「気持ち悪い顔」「オバケのような顔」から、ユニークフェイスになった。もし、ユニークフェイスという呼称がなかったら、蔑称で呼ばれ続ける恐れがある。私はそのような蔑称で呼ばれることがすさまじく嫌だ。

ただ現実としては、多くの当事者は、マスメディアからの取材を受けることを恐れた。取材を受けるときは、顔と名前を隠す、匿名化を要望する当事者が圧倒的に多かった。

そう、彼ら、彼女たちは、北丸氏が書くように、カムアウトすることを死ぬほど恐れていた。

もちろん、匿名であることを望む人たちの意向は尊重されるべきだ。私自身、一度もカムアウトを強要したことはない。だが、私の近くにいると「カムアウトを要請されることになる」と感じた当事者は、私から距離を置くようになった。

このジレンマは、すべてのマイノリティ運動に多かれ少なかれ共通するものだろう。

NPO法人「ユニークフェイス」は当事者運動として、メイクアップの専門家と協力したアザのカバー講座など様々な取り組みをしたが、活動は停滞。団体としても、2015年に解散した
NPO法人「ユニークフェイス」は当事者運動として、メイクアップの専門家と協力したアザのカバー講座など様々な取り組みをしたが、活動は停滞。団体としても、2015年に解散した 出典: 石井さん提供

主語を手にするメリットとは

性的少数者の総称として「LGBTQ」との呼称が社会に根付いたように、外見に症状があるすべての人たちを総称する言葉が必要だと考えている。マイノリティが、自らの「主語となる呼称」を獲得し、カムアウトすることでできることは多いからだ。

まずは、当事者の可視化だ。社会にその当事者や問題の存在を明らかにできる。こんな当事者がいたのか、と知らない人は実に多いのだ。

次世代に歴史を伝えることができる。呼び名のない存在では、歴史を書くことができない。匿名化された人間の言葉には、説得力がない。カムアウトした当事者が必要だ。ジャーナリズムが取材しやすくなる。ジャーナリズムとは、歴史を書くための備忘録である。

当事者がつながれる。SNSが普及したとしても、共通の呼称がなければ、当事者はつながれない。当事者がまとまるための旗が必要だ。キーワード検索で発見できる言葉が必要だ。特に外見に症状がある人たちは、疾患ごとの患者会はあったが、疾患が違えばつながりはなかった。「外見」や「見た目」で問題をくくることで、疾患をこえて患者がつながり、励まし合い、連帯できるようになった。

社会問題と認識されたら、解決のために動き出す第三者が現れる。マスコミが報道して世の中に広がり、問題を研究する研究者が現れる。そして、非当事者も、運動に加わってくれるようになる。
疾患の違う外見に症状がある当事者同士が交流することが増えている。アルビノの神原由佳さんと
疾患の違う外見に症状がある当事者同士が交流することが増えている。アルビノの神原由佳さんと

「見た目問題」「容貌障害」……変化する呼び名

マイノリティの呼称は、新しい世代の当事者たちの意識の変化にともなって、移り変わっていく。外見に症状がある人たちの呼び名も例外ではない。

最近では、外見に症状がある人たちが学校や就職、恋愛などで困難に直面することを「見た目問題」と呼び、マスコミは報道するようになっている。これは、NPO法人「マイフェイス・マイスタイル」による言葉だ。

この言葉は、当事者への認知を社会全体に広げる上で、大きく貢献してきた。ただし、当事者の呼称としては使いにくい、と私は思っている。「見た目問題」当事者と表記すると、当事者の見た目に問題があるかのように読めるときがあるからだ。

昨年亡くなった、顔にコブがあった藤井輝明さんは「容貌(ようぼう)障害」という呼称を提唱した。ただ、「障害」という言葉に抵抗を示す当事者が多かった。この言葉は、広がらなかった。

最近では、外見差別、外見至上主義という意味で「ルッキズム」という言葉が広く使われるようになった。ユニークフェイス当事者は、ルッキズムの犠牲者と解釈できるかもしれない。

英語圏では、ユニークフェイスのことを「Facial Difference」「Visible Difference」と呼ぶようになっている。これは英語圏の当事者たちが、試行錯誤の末に、いま現在、選択した「主語」である。

その当事者を意味する「主語」は、マイノリティと、マジョリティの対話・議論によって、社会に定着すると思う。

日本人の当事者は、どんな主語をつくり、選択するのか。それが問われている。

外見に症状があることを「容貌障害」と呼んだ故・藤井輝明さん
外見に症状があることを「容貌障害」と呼んだ故・藤井輝明さん

カムアウトを始めた当事者たち

カムアウトの重要性を繰り返し訴えてきたが、もちろん、カムアウトするかどうかは、個々の当事者が決める自由がある。カムアウトすることで、精神的にしんどくなったら元も子もない。まずは自分の生活を守ることを優先すべきだ。カムアウトは、できる人がすれば、いいのだ。

日本では外見に症状がある人たちのカムアウトはこれまで少なかった。それほど、傷ついている当事者が多かったのだと思う。だが、変化の兆しがある。ネットで調べると、活躍する次世代の当事者の情報がすぐに見つかるようになった。

外見に症状がある当事者が、イベントなどで自らの体験を語る場面も増えている
外見に症状がある当事者が、イベントなどで自らの体験を語る場面も増えている

新聞やネットなど活字メディアのインタビューに答える者、テレビに出演する者、SNSで自らツイートする者、ブログを記す者、YouTubeに動画をあげる者がいる。かつては大手メディアに取材されるくらいしか存在を訴えられなかったが、今の若者は様々なツールを活用している。

内容についても、差別体験を語るものもあれば、エンタメ化して自らの症状を楽しく伝えようとするものもある。他人と違う自らの外見を「武器だ」とまで言う当事者も現れた。

四半世紀で日本の当事者の意識は変わってきたのだ。カムアウトを恐れない次世代の登場は、頼もしい。彼ら彼女らが自ら語るための新しい「主語」をつくり、生きづらさを解決する道筋をつくっていくことを期待している。

先に紹介した、北丸雄二氏は著書で、こう記している。

すべての運動(行動)は、それが必要とされなくなるために存在します。

カム・アウトは、カム・アウトしなければカム・アウトの必要のない社会にならないことを知っているから敢行されるのです。自動的にはけっしてやってこない。それは数限りない歴史が教えてくれています。
『愛と差別と友情とLGBTQ+』(北丸雄二著、人々舎 、p441、p443)

私はこれからも「ユニークフェイス」と名乗り、その当事者の生と死を記録し、情報発信していくつもりだ。

【外見に症状がある人たちの物語を書籍化!】
アルビノや顔の変形、アザ、マヒ……。外見に症状がある人たちの人生を追いかけた「この顔と生きるということ」。当事者がジロジロ見られ、学校や恋愛、就職で苦労する「見た目問題」を描き、向き合い方を考える内容です。

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