連載
#47 Busy Brain
「ADHDは才能か?」よくある疑問に対する小島慶子さんの答え
「なければ楽だったと思うこと、たくさんある」
40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが綴る、半生の脳内実況です!
今回は、小島慶子さんがよく訊ねられる「ADHDで良かったか?」「ADHDは才能か?」にどう答えてきたか、自らを紐解くときの思いを綴ります。
(これは個人的な経験を主観的に綴ったもので、全てのADHDの人がこのように物事を感じているわけではありません。人それぞれ困りごとや感じ方は異なります)
「ADHDで良かったことはありますか?」と時々尋ねられます。率直に答えれば、ADHDがなかったら、もっと楽だったろうなと思うことがたくさんあります。
でも、身体も生まれてくる時代も場所も、何一つ選べずに生まれてきたので仕方がありません。他に約束されていた「そうじゃない身体」があったのに、発注ミスでこうなったわけではないのだし。私は、このように生まれてきた。与えられた身体をいかにして生きるかです。
手間がかかるし失敗も多いけど、他のあらゆる負荷や挫折と同じように、その過程で少しずつ、世界がどんなところか、自分が誰なのかを学ぶことができるのも確かです。できればその学びの喜びの総量が、日々の困りごとの総量を上回りますように……と願うばかりです。
「ADHDは、才能だと思いますか?」ともよく聞かれます。「医師に服薬を勧められているけど、薬を飲んだら“普通”になってしまって、障害と一緒に才能も消えてしまうのではないかと不安だ」という当事者の声も聞きます。
私は、自分に仮に何らかの才能めいたものがあるとして、それが「ADHDのおかげだ」と思ったことは一度もありません。もし相性のいい薬があってそれで日常の困りごとが軽減するなら、服薬することにも全く抵抗はありません。
それによって自分とは違う誰かになってしまうとも思わないです。単に、ADHDの特性が抑制された私になるだけです。
ただADHDであることが、ときには何らかの助けになっていることはあるかもしれないとは思います。衝動性は、思い切りの良さやいい意味での大胆さになるでしょうし、過集中は、仕事に没頭することができるという意味では役立ちます。気の散りやすさも、あちこちに目配りしながら一見とり散らかった話を一つの道筋にまとめ上げるのに役立つことがあります。
これらのADHDの特性は“才能”ではなく、もともと持っている私の「ものを考えるのが好きで、言語表現が得意」という性質を、より発揮しやすくするための触媒(しょくばい)のような形で作用しているのではないかと思います。
おそらく、ADHDがないと今のような仕事ができないというわけではないでしょう。なぜなら他にも、もともと持っている特技を伸ばすような方法はいくらでもあるからです。そしてADHDであることが、むしろ特技を発揮する上での大きな妨げになることがあるのも事実です。
もし私がスケジュール管理や期限の厳守を徹底していたら、もっと仕事がスムーズに運ぶはずです。もっと多くのチャンスに恵まれていたでしょう。
つまり私の場合は、「ADHD×言葉で表現するのが得意」がたまたま仕事になっているのであって、「ADHDだから、言葉で表現する仕事ができる」のではないと思われます。
全く別のものとして天から与えられた二つの要素の掛け算の値が、社会の許容範囲にギリギリで収まり、運よくその成果が評価される環境に恵まれたということなのでしょう。
なんだ、ADHDは何か特別な能力ではないのかとがっかりした人もいるかもしれませんね。これは私の脳みそを経験と実感に基づいて勝手に分析した話ですから、たった一つのサンプルに過ぎません。どうか一般化して考えないでください。
よく、こんなことも考えます。星を頼りに旅するしかなかった数万年前、行く先に何があるかもわからないのに、丸木舟や筏(いかだ)に食料を積み込んで海の彼方(かなた)に漕(こ)ぎ出した人たちがいました。私には絶対にそんな怖いことはできません。あるいは、獣(けもの)に襲われたり飢え死にしたりするかもしれないのに、獲物を追って遥’(はる)か大陸の彼方まで凍(い)てつく荒野を旅した人たちがいました。私なら半日で引き返します。
あるいは毎年毎年、辛抱強く夜空の星を観察して、暦(こよみ)を作った人たちがいました。経典(きょうてん)を持ち帰るために、一生かけて異国まで旅をした人たちがいました。尋常(じんじょう)じゃない情熱と執念ですよね。
これらの人類史に残る偉業を成し遂げた人たちは、並外れた知力と体力に恵まれていただけでなく、もしかしたらリスク評価の仕方や思いの強さが他の人と違っていたのではないでしょうか。
「ちょっとあの海の向こうに漕ぎ出してみるわ。戻ってこないかも」「死ぬかもしれないけど、旅に出ます」なんて言ったら、「あ、そう。お気をつけて」では済まないら、周囲には激しく反対して、泣いて止める人もいたはずです。それでも「きっと大丈夫!」と出かけてしまったわけです。
星を眺めていて「これ、なんか季節と関係ありそうだから、データとったら法則がわかるんじゃないか?」と思いついても、実際に数年がかりで記録して暦を作るところまで辿(たど)り着ける人は滅多にいるものではありません。
何が言いたいかというと、そういうことを成し遂げた人たちには、かなり「度を越した」ところがあったのではないかということです。元々の人並み外れた資質に加え、それをリミッターなしに発揮する性質を併せ持っていたのではないかと。
それが発達障害的なものなのか、それ以外のものなのかはわからないけれど、ある種の極端さや不完全さが、その人の別の資質を活かす上での助けになることがあるのかもしれないと思うことはあります。
その二つをたまたま併せ持って生まれ、かつそれを発揮する機会に恵まれ、さらには成し遂げる幸運にも恵まれたごくごく僅かな人たちのおかげで、人類史に何の貢献もしていない私でさえ厚かましくも「人類は」などと語ることができるのですね。石器ひとつも自力で作れない私は、なんと脆弱(ぜいじゃく)な存在でしょうか。
話が太古にまで遡(さかのぼ)りましたが、「ADHDで良かったか?」「ADHDは才能か?」という割とある質問にはいつも、そんなことを思いながらお答えしています。
(文・小島慶子)
小島慶子(こじま・けいこ)
エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。
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