連載
#32 Busy Brain
小島慶子さんがADHDの薬を服用して驚いた「シーンとした世界」
これが「ふつう」なの? それは生まれて初めて経験する静寂でした
40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが綴る、半生の脳内実況です!
今回は、医師の処方を受けて薬を服用したときに初めて経験した脳の静寂、新卒後に会社員としての生活が始まり苦手だったことをふり返って綴ります。
(これは個人的な経験を主観的に綴ったもので、全てのADHDの人がこのように物事を感じているわけではありません。人それぞれ困りごとや感じ方は異なります)
ADHDを持つ人の中には、医師の処方を受けて薬を服用している人もいます。環境が変わったりして負荷が高そうなときにだけかかりつけ医に相談して服用するという人もいます。私も以前、医師に「飲んでみて、合わなかったらやめましょう」と処方された薬を服用したことがあります。
初めての薬を飲むのは緊張するもの。とりあえず飲んですぐに昼寝をして、目が覚めたときに驚きました。世界がとても静かだったからです。え? みんなこんなシーンとした世界に暮らしているの? これが「ふつう」なの?
それは生まれて初めて経験する静寂でした。普段の私の頭の中では、実際にわんわんと音が鳴っているわけではありません。ただ、スノーボールを振ったときみたいに、頭の中に色々なものが舞い散って、絶え間なく何かに反応しているのです。考えたくもないのにぐるぐると思いが巡り感情が動き続けるからBusy Brainなのでしょう。どうにか黙ってくれないものかとうんざりすることもあります。とても疲れるのです。
ところが薬を飲んだら、ピタッと動きが止まりました。ひらひらと散り動いていた言葉がすっかり静まって、脳が黙っている。考えようとしたことだけを考え、後は余計なことを言わないで沈黙しているのです。
昔の掃除機は、スイッチを入れたらズーーっと吸っていましたよね。でも今は、ハンドルを握っているときは吸うけど手を緩めると止まる。電気代が無駄にならないし騒音も減らせます。あの感じです。脳のお喋りのON/OFFを自在にコントロールできることに驚きました。けれどその空白はよそよそしく、虚無と孤独の中に取り残されたような寂しさも覚えました。
知人友人に何度か言われたことがあります。「なんでそんなにいろんなことを考えられるの?」「いつ考えているの?」。その度に「人って、考えようと思わなくても、考えちゃうものだよね? いつって、起きている間はずっとだよ?」と答えてきました。しかしだんだん、「生きている=脳がしゃべっている」ではない人もたくさんいるのだということがわかってきました。思考は呼吸や拍動と同じように、意思とは関係なく浮かんできて、止めようと思っても止まらないものだというのは、必ずしも全ての人に当てはまることではないと知ったのです。
「私はそんなにいちいちものを考えないよ」という友人の話を聞いて、脳のおしゃべりに悩まされることがないのはうらやましいなと思ったけれど、では、考えないってどういう状態? と疑問でもありました。厳密に言えば、脳は常に刺激に反応して絶え間なく働いているはずです。そうした無数の神経活動のうち、本人に語りとして認識されるものを思考というのかもしれません。
もちろん、認識されないレベルでも思考はしているのだけど、自分ではっきりと「よし考えるぞ!」と思って頭を働かせる行為を、どうやら人は「考える」というらしい。つまり、思考モードを起動することも停止することも自由にできると感じている人が少なくないようなのです。で、私のはスイッチが壊れている。だからずっとしゃべっていてうるさいんだなと。
では、脳が黙っている状態ってどんななんだろう。私にはとても想像がつきませんでした。それが、これだったのか!!! と、薬を飲んでわかったのです。目の前に真っ白なノートのページが開かれているような感覚。ベッドに横になったまま、しばし感動に浸っていました。その薬と私の消化器の相性が良くなかったらしく、飲み続けることはできませんでしたが、今でもあの静謐(せいひつ)の衝撃ははっきりと記憶しています。
ここまで読んで「自分はADHDじゃないけど、別にそんな静寂を生きているわけじゃないぞ」「ものを考えているのは私だけ、みたいな言い方するな」と思った人もいるかもしれませんね。
もちろん、私はADHDの脳みそはそうでない人よりもよくものを考えると言いたいのではありません。障害者が健常者の世界を体験したという話でもありません。薬によってADHDの特性が抑制されたときに、私の脳で何が起きたかについて書いているのです。
その結果、今までよくわからなかった友人たちの言葉が少しわかったような気がした、ということ。たった一つの脳みそしか知らないから、私はいまだに他の人の頭の中で起きていることがまるでわかりません。私たちの脳はみんな、孤独なのです。薬を飲んだ経験は私にとって、まるで他の人の頭の中に入り込んだような新鮮な発見でした。
薬を飲んだ時の感じ方は人によって違うと思いますが、それによって日常生活を送りやすくなる人はたくさんいます。薬のおかげで、自分のADHDの特性を理解して生活を整える余裕が持てるようになったという知人もいます。専門医による処方が必要なので、気になる人は主治医と相談するといいでしょう。
さてそんなわけで、うるさい脳みそとの二人三脚の人生ですが、会社員としての生活には苦痛も伴いました。
入社して最初にやるのが新入社員全員での研修です。当時は40人ほどの同期がいました。朝決まった時間に来て、一日中座学。さまざまなセクションで働く人が、仕事の内容を話してくれます。これが苦手でした。ちゃんと聴いていようと思うのに、なぜかどうしても眠くなってしまい、かなり派手に船をこいで寝てしまったことも。
講師は先輩社員ですから、今年はどんな新人かなと若者たちを観察しています。中でもアナウンサーは注目されます。同期入社のアナウンサーは私を入れて女性3人だったので、三人娘が話題になっていました。
研修中の態度が社内でうわさになるのだから、気を引き締めていなければならないという発想が、当時の私にはまるでありませんでした。あの背のデカい小島というアナウンサーは態度もでかいぞと、きっとうわさになっていたでしょう。何年もしてから「あのとき、俺の研修でお前、寝てたよな」と言われて平謝りしたこともありました。その上、決まった時間に会社に来るのも苦手で、遅刻しがち。
さらには、今思い出しても信じられないくらい非常識なのですが、「ダイビングの免許をとるので休みます」と言って研修を休んだ記憶があります。人事部の人もよく認めてくれたものです。確か、伊豆での合宿に参加するために5月の連休明けの社員研修を休んだのではなかったか……。詳しいことは忘れてしまいましたが、とにかく学生気分が抜けないままだったのです。
しかもそのダイビングの合宿でも、イカに見ほれて海中ではぐれるという事件を起こしてしまいました。ダイビングライセンス取得試験の仕上げとして、インストラクターの後について、小さな漁港のそばの浅瀬に潜ったのです。「絶対によそ見をしたり勝手に違う方に泳いで行ったりしないでくださいね」と言われていました。
もちろんそのつもりで潜ったのですが、海に入って5分ほど経った時、目の前を透き通った見事なイカが横切りました。足先をキュッと細く絞り、えんぺらをはためかせて泳ぐ様は実に優雅で、初めて見る「食べ物ではないイカ」の姿にすっかり釘付けになってしまいました。薄氷のように透き通ったイカの体には虹色の斑点(はんてん)が点滅していて、精巧な宇宙船のようにも見えました。
時間にして15秒ほどだったでしょうか。明るい青みの中へと泳ぎ去っていくイカの姿を見送って前を見たら、もう誰もいませんでした。どちらが岸かもわかりません。
そこで、習った通りに垂直に緊急浮上し、水面で腕を上げたり下ろしたりするサインを繰り返しました。岸の人たちは、こちらに手を振り返してくれるだけです。息が上がり、動悸(どうき)がしてきました。マスクを外して「助けてください」と何度も叫んだところ、ライフセーバーがやっと気づいて助けに来てくれました。
「絶対にはぐれないで付いてきてくださいって言ったじゃないですか。海の中を探し回りましたよ。事故が起きたら、僕は資格を剥奪(はくだつ)されちゃうんですよ」とインストラクターにしかられて、どうして自分はこうも子どもじみているのだろうと落ち込みました。
合宿後にライセンスは無事取れたものの、海の中では一瞬の隙が危険を招くということ、そして助けを求めるサインは陸にいる人には通じないということを学んだのでした。
(文・小島慶子)
小島慶子(こじま・けいこ)
エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。
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