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連載

#9 名前のない鍋、きょうの鍋

ひとりもんも「食わないかん」 家事経験ゼロからの〝名前のない鍋〟

どっかで食べた…俺流の「魚すき」

お酒好き、かつ野菜もしっかり食べる加藤哲也さん。妻の照子さんが急逝してから自炊を始めたそうです
お酒好き、かつ野菜もしっかり食べる加藤哲也さん。妻の照子さんが急逝してから自炊を始めたそうです 出典: 白央篤司撮影

みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。

いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。

「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。

今回は、今年で85歳になる、ひとり住まいの男性のもとを訪ねました。

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名前のない鍋、きょうの鍋
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加藤哲也(かとう・てつや)さん:1937年、愛知県刈谷市生まれ。名古屋大学工学部卒業後、1960年にトヨタ自販に入社。海外サービス部に勤務し、オーストラリア、南アフリカ共和国、ギリシャの各国へ赴任。出向勤務を経て、65歳でリタイア。一男二女あり、現在はひとり暮らし

「昔はなーんにもなかったんだ、このあたりは。全部畑や田んぼでね」

生まれ育った地で今も暮らす加藤哲也さんは、今年で85歳になる。愛知県は刈谷市のご出身、現在は自動車工業都市のイメージが強い地域である。

「うちも元々は農家。田んぼが七反あったんだったかな」

「反」いう言い方に感じ入る。哲也さんが終戦を迎えられたのは8歳のときか。会ったばかりで憚(はばか)られたが、尋ねてみた。
このあたりに空襲はあったのですか、と。

「うちのほうはなかった。でも名古屋のほうが空襲に遭って、その燃えかすが風でこっちまで飛んできたのを覚えている。食べものにひどく困ることはなかったと思うけど、それなりに大変な戦中だったよ。田んぼがあるといっても、当時は供出もあったからね」

春菊の若葉を摘み取りつつ、教えてくださった。
家の前に畑があり、2月の冷たい風を受けつつも野菜が元気に育っている。大根やホウレン草、水菜にニンニク、チンゲン菜と種類豊富だ。

「土地をお隣さんに貸して、育ててもらっているんだよ。野菜作りの上手な人でねえ。貸す代わりに、私ひとりが食べる分は貰っているわけ」

哲也さんは64歳の時、妻を病気で亡くした。3人いる子どもは皆巣立っており、家事一切を自分でまかなうことになる。ちなみにそれまで、家事経験はゼロ。

「今からやれって言われたって、できないだろうね。60代でよかったと思うよ。立ち直ることもできたかどうか」

畑から収穫した野菜を洗い、鍋の具材を刻んでいく。
調理の間合いはゆったりではあるが、無駄のない、日々調理している人の動きだった。哲也さんの自炊生活はちょうど20年目である。

牛乳パックを開いて洗ったものを時折まな板にのせ、食材を刻む。肉を切るときなど、いちいちまな板を洗わずに済む“便利テク”だ。

「サイドディッシュっていうのかな、サラダでも作ろうか」

ニンジンとキュウリをスライサーにかけ、冷蔵庫からカット野菜を取り出した。「これ、便利だよね。常備してる。スライサーは娘が送ってくれたんだ」とニコリ。ハムも加えてドレッシングをかけ、あっという間にサラダが完成した。

うーん……お見事、現代的な半調理アイテムも取り入れられているとは。

さて今回も、「その日の気分でお鍋を作ってください」とお願いしてあった。哲也さんは「魚すき」なるものを作ってくれるという。

まず、だし昆布を水と共に鍋に入れ、しばし煮る。

あとは簡単、刺身の盛り合わせを用意して、それぞれだしにくぐらせるだけ。いわば、魚のしゃぶしゃぶだ。薬味に大根おろし、醤油とポン酢をお好みで。

「どっかで食べたんだよ、よく覚えてないけどね。ほぼ俺流だ。あ、そんなに煮ちゃダメダメ!」

すみません(笑)。ご相伴にあずかってみれば、サッと湯引いたブリやマグロの赤身がポン酢によく合う。生で食べるより量がいただけるのもいい。

哲也さんが「いいもんだろう?」と笑みを見せ、缶ビールをプシュッと開けた。だんだんとほろ酔いになる哲也さんに、これまでのことをうかがう。

トヨタ自販(後のトヨタ自動車)に入社したのが1960年(昭和35年)、まさに高度経済成長期。工学部卒の哲也さんは、海外サービス部に配属となる。ずっと地元育ち、外を見たいという気持ちが強く、希望が叶った形に。1964年に結婚、初の海外勤務はオーストラリアの3年駐在だった。

「いわば御用聞き、トヨタの車を買ってくれたところへ赴いて、調子はどうですか、困っていることはないですかと尋ねてまわるわけ。出張の連続、忙しくて無茶苦茶だったよ。帰ると娘が泣くんだ。『また知らないおじちゃんが入ってきた!』ってね」

次に赴任したのは南アフリカ共和国。鯛の刺身を湯にくぐらせつつ、当時を思い出す。

「マラウイ、アンゴラ、ケニア、ブルンジ……よくまわったね。俺はならなかったけど、同僚はマラリアに罹ったのもいた。あ、魚がなくなったか。じゃあ野菜を煮よう」

目の前の畑で育った白菜や水菜をたっぷりと入れる。さすがの鮮度、ネギがなんともみずみずしい。お酒好きだが、野菜もしっかりと食べる哲也さん。海外赴任時代に健康意識が高まったのかもしれない。

その後、ギリシャ勤務を経て帰国。定年まで勤め上げ、出向勤務を経て1年後には完全リタイアという年に、妻の照子さんの急逝。まだ59歳だった。

「朝、起きたんだな……と思ったら倒れた。脳梗塞でね。一時は荒れたよ、酒も飲んだ。シンクにいっぱい洗いもの溜め続けてた頃もあったけど、これじゃいかんと思ってね」

まずごはんの炊き方を覚え、おかずのレパートリーを増やしていった。

当時参考にした料理本が今も現役だ。居間のすぐ手に届くところに置かれ、すっかり日に焼けている。料理本を開かせてもらうと、新聞の料理欄の切り抜きが挟み込まれてあり、それは「ストックおかず」の特集だった。

「食わないかんもん、ひとりもんになったら」

鍋の最後に、哲也さんは冷凍してある餃子を鍋に加えた。お隣さんの手づくりで、いつもおすそ分けしてくれるのだと。おいしくてビックリ、玄人はだしである。「うまいだろ? これ」と嬉しそうに笑って、ビールをもうひと缶開けられた。

食卓のすぐ隣の棚には、5人の孫たちと照子さんの写真が飾られている。

「急に逝っちゃったろ、どうしても実印の場所が分からなかったんだ。探して探して、やっと出てきたのは、お勝手のナプキンやら入れてるところ。あれはおかしかったなあ……」

今、哲也さんは照子さんと会話しているんだな。そう思った。

お湯の沸く音がする。

「次は芋焼酎をお湯割りにするけど、よかったら飲むか?」

もう少しここに居たくなって、あつかましいとは思いつつ、ご厚意に甘えた。

加藤さんの家には絵が多く飾られていた。照子さんの趣味だという
加藤さんの家には絵が多く飾られていた。照子さんの趣味だという

取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416

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