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SDGs前文をガンダム風に〝超訳〟国連広報センター所長の感想は…?
「領土もない、お金もない」から生まれた言葉
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「領土もない、お金もない」から生まれた言葉
「領土もないし、お金もない」。そんな国連が大事にしているのが言葉です。数々のメッセージの中でも特に熱いのが持続可能な開発目標(SDGs)の本質が詰まっていると言われる「SDGs前文」です。そんな前文を、私たちは、ガンダム風に〝超訳〟し、実際にガンダム声優に読んでもらう『SDGs前文超訳プロジェクト』を実施しました。その音声を恐る恐る、国連広報センター所長の根本かおるさんに聞いてもらったところ……。SDGsを「絶対に実現する」という熱い思いを聞くことができました。SDGs普及を最前線で担ってきた人が見ている景色とは? 「本気のSDGs」について聞きました。(FUKKO DESIGN 木村充慶)
SDGsが目指す思想が書かれたSDGsの宣言文(=持続可能な開発のための2030アジェンダ)。そのまま読むとちょっと難しいですが、そこにある言葉はどれも大切なものばかりです。
そんな宣言文について、現代アーティスト、キュンチョメさんは「ガンダムの演説のよう」と解釈しました。宣言文をガンダムにたとえることで、SDGsの考えを広げるチャンスがあると教えてもらいました。
このたび、withnewsはキュンチョメさんとともにSDGsの宣言文の中でもそのエッセンスが詰まった「SDGs前文」をわかりやすく訳し、ガンダムになぞらえて音声コンテンツにする「SDGs前文超訳プロジェクト」を始めました。
キュンチョメさんが「超訳」した前文に声を吹き込むのは、『∀ガンダム』で中心的な人物であるキエルハイム役を演じた高橋理恵子さんです。
『∀ガンダム』は遠い未来、かつて繁栄した文明が荒廃した世界が舞台です。月に逃れた高度な技術を持つ人間と、荒廃した社会から再び立ち上がった人間たちとの争いと交流が描かれています。どんなに発達した科学技術を持っていても戦争は起こり、核爆弾まで使用されてしまう。貧困やジェンダーなど様々な社会問題がちりばめられ、未来の地球を通して現代のSDGsそのものといえるテーマを描いています。
『∀ガンダム』の重要シーンに、争いが避けられない人間同士をつなげるためキエルハイムが演説する「建国宣言」があります。アニメ本編の演説シーンで使われた音楽をBGMに、高橋さんがSDGs前文超訳音声コンテンツを読み上げます。
根本かおる
――超訳、どうでしたか?
今ある日本語の仮訳は固いものなので、今回のような超訳になると、ストンと腹落ちする印象です。
――よかったです……。
今回のお話があったので、改めて「2030アジェンダ」(SDGsが含まれる国連の合意文章)の前文と宣言を読んできたのですが、やはりこの前文にSDGsのエッセンスが詰まっているなと思いました。
――根本さんにとってSDGsのエッセンスはどのようなものですか?
キーワードで言うと、超訳の中にも何度も出てきた、「変革」、「野心」、「大胆」、「三側面の調和」(経済、社会、環境)ですね。
また、すごく刺さっているメッセージとしては、SDGsで有名なフレーズである「誰一人取り残さない」ということ。もう一つは、「途上国も先進国も全ての国に適用されるんだ」ということ。「普遍性」ですね。
これまでは「トリクルダウン」(=trickle down)という開発理論によって、しずくが上から滴るように、国が豊かになればその国の貧しい層の人たちも豊かになるという考えが強くありました。しかし、現実にはそうはいかないとわかったわけです。豊かな人はどんどん豊かになって、貧しい人は豊になるどころか取り残されてしまう。
やっぱり取り残されがちな人たちを最初に考えて対応していく。最初からそうした人たちの存在を念頭に置き、制度的に手当てしていく。それは人権に基づいた考え方です。弱い立場に置かれた経験のある人ならば、この原則、基本理念が持つ意味、大切さはわかると思います。
特に私は国連難民高等弁務官事務所で15年働き、いろいろなものを奪われた難民・避難民に寄り添って仕事をしてきましたので、なおのこと「誰一人取り残さない」というところは響きました。
――もう一つの本質とおっしゃった「普遍性」はどういう意味でしょうか。
「普遍性」というのは「途上国も先進国も全ての国に適用されるんだ」ということですね。これも新しい切り口なんですよね。
国連の伝統的な開発というと、貧しい国に対して先進国が援助し、開発途上国が発展の努力をし、その説明責任を負うという図式でした。
でも、SDGsというのはすべての国に普遍的に適用されて、説明責任を負うものです。これは画期的な大転換だと思いました。開発について他人事だと思っていた先進国も「治外法権」ではないんです。
同時に私にとっては日本で国際的な課題を語るのにチャンスだなと感じました。それまで、「国連だ」「国際協力だ」「地球規模課題だ」という話をすると、多くの人は他人事として心のシャッターを降ろしちゃうんですよ。
「いえいえ、自分事なんですよ」と言えるなと感じました。みなさんの身近な側面に寄せて課題を感じとってもらい、自分事として大切に思ってアクションを起こしてもらう。そういう入口としての「普遍性」はすごく大きなものなんじゃないかなと思ったんですね。
――音声を聞く中で気づいたことはありましたか。
あらためて、「あー、なるほど」と思ったのは、ジェンダー平等、それから女性のエンパワーメントの話がこんなに大きかったのかということです。
逆に、意外と小さかったんだなと思ったのが気候変動です。SDGsができた2015年と現在の2022年、この7年の間で、いかにして気候変動が危機レベルとなり、私たちの経済、社会、環境すべてを揺るがす大きな脅威になってしまったのか。意外に気候変動については小さかったんだなと思って聞いていました。気候の要素は2015年12月の気候変動交渉に委ねられていましたから。
――今、力を入れているのがSDGsの本質的な価値を伝えることだそうですね。
最初の普及過程においては、簡単に関わっていけるように関心を持ってもらうのが大切でした。でもSDGsの実施が7年目に入った今、単にアクションを積み上げるだけではなく、変革するためにどう背伸びができるのか、ということが重要になります。
超訳でも「旅路」という言葉がでてきましたが、これは本当に旅路なんです。最初はゆるゆるとスタートして行きましたけど、ここからは嶺(みね)を越していかないといけない。大胆に世界を変革するぐらいの勢いで、経済、社会、環境の3側面の調和を図っていきましょうということなんです。その本質を理解して欲しいと思います。
――メディアは17のゴールを象徴的に扱ってきて、本質的な価値がまだまだ伝えきれていないかもしれません。
メディアの伝え方もどんどん深まってきているとは思っています。
伝えるには3段階あると思っています。まずは「何、WHAT」。正しく理解してもらうことです。次に、「どうして自分に関係があるのか、WHY CARE」。最後に「そして、今何ができるのか、WHAT NOW」。ものごとを理解して、自分にも関係があるとわかって、その上で自分には何ができるのか。この三段階だと思います。
今までは一番の「何、WHAT」だったかもしれないですが、これからは二番目の「どうして自分に関係があるのか、WHY CARE」と三番目の「今何ができるのか、WHAT NOW」に入っていると思います。あきらかにメディアの伝え方もアクションが中心になってきています。
今後は、単に個別のアクションを取り上げるのではなくて、社会の仕組みや、制度や政策の変革にまでもっていけるような伝え方をして欲しいと切に願います。
――アートなどを通じて伝えられることもあると思いますか?
いろいろな伝え方があると思います。理性でわかるだけではなかなかメッセージとして残っていかない。理性でもわかって、同時に心も震えるという両方があった時が一番メッセージが定着すると思うんですね。心が震えるというのはショックもあれば、感動もあれば、驚きもあれば、いろいろです。
最近見た、レオナルド・ディカプリオとジェニファー・ローレンスが主役の「DON'T LOOK UP」という映画があります。彗星が地球に近づいているのですが、科学者はそれを予見して、大変ですよと伝えるんですけど、誰も耳を傾けず、課題から目を背けようとします。
気候変動の「気」の字も出てきませんけど、気候変動対策への姿勢とのアナロジーを意識している作品なんだと思います。こういうエンターテイメントを使った伝え方もあるでしょうし、今回の超訳のようにアーティストが関わったようなものもあります。
私はアートが好きでいろいろ見ています。瀬戸内芸術祭では岡山県の宇野港に「チヌ」という魚をモチーフとした巨大アートがあります。海で拾ったゴミで作っているんですが、それが街の名物にもなっています。
また、同じ岡山に真庭市という山のエリアの場所があるんですが、そこにいる「猪」をモチーフとした作品があります。こちらは山の中で拾ったゴミで作られているのですが、宇野港に置かれていた時に見掛けました。
「チヌ」と「猪」を同時にみると、ゴミの違いが明らかなんです。やっぱり海で見られるゴミ、山で見られるゴミには大きな違いがあります。アートとしてみても綺麗なんですが、そういう風に見ると社会の課題など色々な発見もありますよね。
――国連として演説を大事にする理由とは?
演説は私たちにとっては大切なものです。というのも、私たちは領土を持ってないし、お金も潤沢にあるわけではありません。人の心を動かす言葉しか持っていない。
グレタ・トゥーンベリ(スウェーデンの環境活動家)さんが批判的に指摘する「ブラーブラーブラー」(=中身を伴わない退屈な言葉の羅列)にはならないよう、魂がこもった文章をどう編み出すか。人々の記憶に残る文章と人の心を動かすメッセージとしてどう届けるか、そればっかり考えています。
――キュンチョメさんも国連というある種政府のように見られる団体がこんなに熱い文章をつくるとは想像できなかったと言っていました。
SDGs、2030アジェンダというのは本当に新機軸なんです。歴史という言葉がよく出ているんですが、国連にとっても、世界にとっても初めての試みです。こんなに幅広い分野で世界目標を作って、世界中で力を入れて一緒に目指して行きましょうというものです。
例えば、教育だけの目標、健康だけの目標、貧困削減だけの目標というのはそれぞれありました。しかしながら、こんなにも幅広く、世界を変革しようという呼びかけは初めてでしたから。いろんな意味で情熱がこもっていたんじゃないでしょうか。
――最初にSDGsの構想を聞いたときはどう思いましたか?
正直に言うと、綺麗事、絵空事の羅列と思わない自分がいなかったかというと嘘になります。
ただし、紛れもなく歴史的なことをやろうとしている。これは誰もやったことがない。そして、前文、宣言を読んで「誰一人取り残さない」というメッセージが強く残りました。この大きいテーマに対して、2030年まで15年間もあるので、真剣にやらなきゃいけないなと思いました。
でも、広報官泣かせですよね。あまりにも壮大で、どこから手をつけていいか正直わからなかったです。最初は途方に暮れる時がありました。
――そこからブレイクスルーしたきっかけは?
最初は、17のゴールに関わるキャッチフレーズの日本語化を有志のメンバーたちとできたこと。キャッチフレーズをただ単に英語オリジナルの直訳ではなく、メッセージ性があるものにすることができました。
次は黒柳徹子さんに出演してもらった動画です。ユニセフの親善大使として国連ともゆかりの深い黒柳徹子さんに協力してもらい、SDGsの公共広告を作りました。黒柳さんには「世界を変えるための17のゴール、SDGs」と言ってもらったんです。「エス・ディー・ジーズ」という音が印象的な作品です。
シンプルな表現でしたが、どう打ち出すかものすごく悩みました。「SDGs」という言葉をどう表現するのか。「持続可能な開発目標」と日本語で固い言い方として打ち出すか、「サステナブルデベロップメントゴールズ」とカタカナで打ち出すか、「SDGs」と短くして打ち出すか、欧米の市民社会のように「ザ・グローバル・ゴールズ」と言い換えるか。
SDGsという表現はすべての加盟国政府で合意された言葉なんです。日本国政府もそんな背景があって、そのままの言葉を使っていました。それで私も腹を決め、言い換えなどせずに「SDGsという呼び方を浸透させよう」で進めることにしました。それが公共広告での黒柳さんのメッセージになったんです。
――2030年以降については?
まず私たちの頭の中には来年の2023年がSDGsの実施の中間地点ということがあります。4年に1回の首脳レベルで開かれる「SDGサミット」や、現事務総長の公約になっている「フューチャー・サミット」もあります。日本でいえば、来年はG7の議長国の年でもあります。世界にとっても日本にとってもてんこ盛りの1年になります。
SDGs達成までの残りの半分の実施期間に対して、ここでどう弾みをつけていくかが、私たちの一番の問題意識になります。なので、まだ2030年の後に考えは至っていません。いまは後半ではずみをつけ、社会のシステムを変える、格差を縮めるというところに注力したいです。
――2030年に向け、一般の人たちに求めることは?
たとえばマイボトルは、日本の人口全体がマイボトルに切り替えた場合の効果の大きさもありますし、環境問題を考えるきっかけとしてはいいんですけど、より大きな課題、より仕組みレベルで向き合わなければいけないでしょう。そういうところにまでレベルアップして議論していかなければならないと思います。
そこはメディアが果たせる役割が大きいんじゃないかな思いますね。何でもかんでも最初から大変そうな話では誰も振り向いてくれないので、マイボトルの次には脱使い捨てプラスチック・脱炭素という面でこういうところにも目を向けてみようと。
――国民も動きながら、メディアなどもその先を提示して、大きな社会の変化につなげていくということですか。
そうですね。5年前にはSDGsは当たり前じゃなかったと思います。今は企業がSDGsを当たり前に取り組むものになりました。なんちゃってで済ますことなく、仕組みレベルのところまで考えてもらう。それが金融市場での評価、消費者からの選択の評価にもなる。「いいことをすること」が「いいこと」で終わるんじゃなく、「三側面の調和」を実現する新しいビジネスを創るなどして、「お金儲け」にもつながるようになればいいんじゃないですかね。
――ビジネスの中ではSDGsを無視できない風潮になっていますが、一方でSDGsウォッシュというようなSDGsの理念を理解しない表面的な取り組みにとどまっているという指摘もあります。
例えば債権は指数化して結果が求められます。「表面的にやっています」というだけでは投資家からそっぽ向かれます。投資家にちゃんとした回答を与えられないとダメだと。シビアなものなんですよ。金融市場では当たり前になりつつあるので、ウォッシュ的なものは自然とはじかれていくでしょう。
メディアの伝え方についていうと、最近、「SDGsは胡散臭い?」という投げかけるものがありました。それは、そのまま記事にするのではなく、胡散臭くしている人に言ってほしいです。せっかく伝えるなら、胡散臭くしている人や組織を取り上げて、「これは変だ」と指摘してもらいたいですね。「SDGs=胡散臭い」ということがさも一般化しているかのような伝え方は残念です。真剣に向き合っている人は誰もそう感じていないのだから。
――ソーシャルの分野で活躍している人でSDGsと言いたくないという人は私の周りでも結構います。それでもやっていることはSDGsそのものな人が多いです。そういう現象を根本さんはどう見ていますか?
それも、「SDGsは胡散臭いかも」と見方が広まってしまっていることが影響していると思います。なので、自分がやっていることが現実的にはSDGsのど真ん中だとしても、一緒にされたくない。だから、あえて自分のことはSDGsアクションとは言わないということなんじゃないですか。残念ながら、そういった人は私の周りにもいます。
いやいや、そういうことじゃない。私たちは変革を目指しているんだ。ブランディングのツールじゃない、社会変革のツールなんですと。そういうところでは思いは同じなんです。表面的な言葉ではなく、目指すべき方向性の本質を是非見つめていただければと思います。
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