お金と仕事
店長候補になったのに売上管理ができない…分析し分かった自分の特性
民間企業による精神・発達障害者の雇用は、この10年間で大幅に増えました。一方で、課題となっているのが離職率の高さです。要因の一つである雇用側との齟齬が生じないよう、障害を取り巻く環境に焦点をあてて特性を理解し、定着支援をしている企業があります。ライターの我妻弘崇さんが取材しました。
「ここ10年ほど、身体障害者を雇用することが難しくなっている」
こう話すのは、障害者雇用の総合コンサルティングサービスなどを展開するスタートラインで、応用行動分析(ABA)や第三世代の認知行動療法の一つであるアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)に基づいた支援をする「CBSヒューマンサポート研究所」研究所長・小倉玄さん。
上図「障害別新規就職件数の推移」を見ていただきたい。青色で表示されている身体障害者の雇用件数は、ここ数年はほぼ横ばい。新規で雇うことが難しく、企業が取り合いのような様相になっているという。これは、身体障害者に関しては、就労が定着化してきたことを意味する。
「その一方で、精神障害者の件数が伸びています。勘違いしてほしくないのは、仕方なく雇用しているのではなく、精神障害者や知的障害者を積極的に雇用し、社員として育てていかなければいけない時代になっているということです。企業には、精神障害や知的障害に対する理解も求められる」(小倉さん)
精神障害者手帳は、一定の精神障害の状態にあることを認定するもので、鬱病や統合失調症などの精神疾患だけでなく、発達障害、高次脳機能障害、てんかんなども対象となる。心の問題だけでなく、認知の障害として捉えて、合理的配慮を提供することが重要だ。
こうしたさまざまなケースに企業も理解を示さねばならないのだが、精神障害者の定着率は1年で50%を切るという状況にある。
この状況を改善するため、スタートラインでは科学的根拠に基づいた支援技術を活用することで、企業と精神障害者に齟齬が生じないようにバックアップする。人の行動や心の問題に対して科学的に分析を行い、本人だけでなく、本人を取り巻く環境にメスを入れるというのだ。
「診断名でラベリングしてはいけません。きちんとアセスメントすることが大切。我々は、就職前の職業能力の評価をし、就職するための準備、就労後の定着および活躍、そして社会への統合という概念を含んだ職業リハビリテーションを行っています。本人の自立まで支援することに意味がある」(小倉さん)
採用から定着まで――。ここにスタートラインの特異性があると言っても過言ではない。
そのためには、応用行動分析(ABA)が欠かせないと語る。端的に説明するなら、「なぜその人の行動は起きてしまうのか?」を分析する方法だ。
「『あの人ってミスが多いよね』と、よく言われる精神障害者の従業員がいたとします。私たちの多くは、やる気がないとか、不注意だからとか、原因を個人の責任のみにしがちです。しかし、必ずミスにつながっている理由や背景、環境がある」
「仕事をする中で、その人がどの時点でミスにつながる問題を抱えているのか、あるいは過去の体験にあるのか、因数分解ではないですが、細かく分析していきます。すると、必ず負荷を与えているような目詰まりを起こしている箇所が見つかります」
「このようなアプローチを組織的に展開するためには、個人の経験や主観のみに頼るのではなく、科学的なアプローチが必要と考えて、応用行動分析学や関係フレーム理論、医学的に効果が認められている心理療法を活用して、サポートしていきます」(発言はいずれも小倉さん)
実際に、スタートラインがサポートした、「ADHD」「うつ」の診断がある30代の女性Aさんを例に挙げて説明したい。
Aさんは、もともとアパレル系企業に勤務していたという。成績が高かったため店長候補となり、売上管理やシフト管理を任されたそうだ。ところが、管理が苦手でうまく対応できず、給与管理の面でもミスを誘発してしまう。自分に悩み、その後、うつ病とADHDと診断され、退職。1年ほどの療養とデイケア通所を経て、再就職した。
しかし、新しい就職先でもうまくいかず、悩んでいたという。どこに原因があるのか、小倉さんたちがカウンセリングをすると――。
「Aさんは事務作業中でも、周囲の人に動きがあると、そちらに注意を向けてしまう人でした。さらには、『手伝います』と言って、自身の作業を中断してしまうことが多いとわかりました。結果、自身の作業に遅れが生じたり、指示されたことを忘れてしまったりしていたのです」(小倉さん)
「どうして手伝おうとするんですか?」と尋ねると、Aさんは、
「人が忙しそうにしていると、自分だけデスクワークをしていて申し訳なくなる。とにかく焦ってしまって作業に集中できなるので、ついつい手伝ってしまう。ただでさえ半人前の仕事しかできないため申し訳なくて、肩身が狭く感じてしまう。もちろんマネージャーやリーダーからは自分のペースで仕事をしていいと言われているんですが」
と答えたそうだ。この一連の流れを応用行動分析に落とし込みながら、小倉さんが解説する。
「まず、前提として【事務作業中】や【月末等忙しい時期】が挙げられます。次に、先行事象として【部署内のリーダや他スタッフが慌ただしく動いている】という点があります。そして、Aさんの行動として【手伝います】があり、行動の直後に【ありがとう】という結果がある。Aさんにとって、他者からありがとうと言われることはメリットとなります」
「また前提、先行事象、行動、結果には、それぞれAさんの心の動きもあり、【手伝います】と言って手伝うことにより、Aさんの「私は役に立っていない」という不安は、一時的に低減します。このような分析を行うことにより、自分の仕事を投げ出してでも他者を手伝ってしまうというAさんの行動の機能を推測することができます」
行動のフローを分析したとき、どこを変えればAさんの不適切な行動は減るか?
「たとえば、Aさんが『手伝いますか?』と聞いてきたら、『大丈夫だよ、自分たちでやれるから』と返答するよう同僚の方にお願いをしておきます。また、Aさんには、いきなり『手伝います』と言わずに『必要があれば声をかけてくださいね』と言うように促しておきます。さらに、Aさんがそのような発言をした際には、『ありがとう!その時はお願いするね』と返答するよう同僚の方にも事前に伝えておきます」
「あるいは、 慣れるまで月末の繁忙期はAさんはリモートワークにするなど“あわただしい環境下に同席させないようにする”など、前後のAさんを取り巻く環境を変えることで緩和させることができます。こうした仮説を立てて、Aさん本人と企業に説明し、不適切な行動を減らし、適切な行動が増えるような施策を講じ、就労後の定着化を支援していきます」(発言はいずれも小倉さん)
もちろん、焦り、不安といった心の問題に関しても、スタートラインのスタッフがケアをする。第三世代の認知行動療法と言われているACT(Acceptance & Commitment Therapy)を実施することで、心理的柔軟性を高め、嫌な思考や感情があっても、適切な行動が増えていくと話す。
応用行動分析(ABA)をはじめとした科学的なアプローチによって、スタートラインで支援を受けた精神障害者の定着率は、80%まで向上しているという。
「僕らは治療ではなくて定着支援という文脈からサポートする」――、この小倉さんの言葉は、発見に満ちている。
私たちは、こうした精神障害の話題を耳にすると、多くの人が病気や治療の文脈からその人をとらえることが多かった。そのため、自分には関係のないこととして、どこか対岸の火事として見ていた。
ところが、就労の文脈から考えると、まるで他人事とは思えない。いつ自分がAさんのような立場になっても不思議ではないからだ。ひるがえって、自分たちの行動が誰かのストレスやプレッシャーとなり、それが目詰まりの原因になっているのではないか――なんて考えてしまう。
「我々は障害者雇用という文脈で携わっていますが、こうしたアプローチは社会や企業においても、とても大事な考え方なのではないかと思っています。ブラック企業やモラハラ、パワハラが社会問題になる中で、そういった経験、環境がその人にとって大きなターニングポイントになってしまい、社会や会社に適応できなくなることもある」(小倉さん)
障害者雇用の最前線は、驚くべきスピードで進化している。だが、小倉さんは「障害者に対する支援はまだまだ足りてないと実感している」と、さらなる理解を願う。
環境を整備する。それは設備であったり、レギュレーションであったり、法律であったりするかもしれない。しかし、最も簡単な整備は、私たち一人一人が障害者が働きやすくなるように気持ちや考え方を、ほんの少しずつでもいいから変えていくことだろう。我々も、その人を取り巻く環境の一部。障害者雇用が日進月歩しているからこそ、私たちが目詰まりになってはいけない。
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